第14話

その日の午後、定例となったお茶会の場所に杏奈はクロードよりも先に到着した。クロードと向き合う覚悟を決めたせいか、気持ちが逸っているのかもしれない。

日を改めることも考えたが、こういうことは思い立ったが吉日だ。余計なことを考えすぎてまた話せなくなったら困る。


ざわざわと落ち着かない気分に翡翠色の石に触れれば、気持ちが少し安らぐ。あの時アンナに渡したはずの石だが、目を覚ますと元の位置に納まっていた。長年大切にしていたクロの一部だという記憶があるせいか、今ではすっかりお守り代わりとして持ち歩いている。


(そういえばクロちゃんはどうなったのかしら……?)


クロと一緒に転落したはずだが、アンナの部屋のどこにもその姿はなかった。転落の衝撃で瞳が欠けてしまったのだろうが、アンナが大切にしていたものをクロードが勝手に処分したとは思えない。


「アンナ、待たせてすまな――」


クロードの声が不自然に途切れたことで杏奈が振り向くと、クロードが確かに驚愕し引きつった表情を浮かべていたものの、すぐに何事もなかったように表情を消した。


その様子に杏奈は思わず立ち上がるが、クロードは避けるように一歩後ろに下がる。かつてない反応に杏奈はクロードを注意深く見つめると、彼の視線はある一点――石を握り締めた杏奈の左手に注がれている。

冷静なようで動揺を隠せないクロードの様子に、杏奈はクロードがこの石がクロの一部だと知っていることを悟った。


「……アンナ、それはどこで見つけたんだ?」


僅かに掠れた声がクロードの心情を物語っている。杏奈は慎重に、だが表面上は普段通りを装って答えた。


「庭を散歩していた時に見つけたの。綺麗でしょう?」

「ああ、だがそんな傷が入った石は伯爵令嬢である君に相応しくないな。新しい物を用意するからそれは……俺が処分しよう」


(クロード、お願いだから――)


先に知らない振りをしたのは杏奈のほうだ。うるさいほどに音を立てる心臓を無視して、杏奈は心のうちで祈りながら続けるしかなかった。


「でも、何だか持っていると落ち着くの。もしかして以前の私が持っていたものではないのかと――」

「俺には見覚えがないな。気のせいだろう」


催促するように手を差し出されて杏奈はクロードの手に石を落とす。ほっとしたようにクロードが小さく息を漏らした音が杏奈の耳にはっきりと届いた。


「翡翠もいいが、エメラルドのほうがドレスと合わせやすいな。ネックレスとイヤリング、どちらにしようか?」


優しい口調のクロードに何と返事をしたか覚えていない。口数の少ない杏奈をクロードは終始気遣っていたようだが、気まずい空気の中お茶会は終了した。


(クロードは嘘を吐いた……)


その事実は思いの外重くのしかかっていた。アンナの大切な物だと分かっているはずなのに、そして今も大事な物だと示したにもかかわらず杏奈の手から取り上げたのだ。


渡さなければ良かったと後悔しても遅く、自分の不甲斐なさに涙が出るほど悔しい。

アンナが最後まで守ったものをどうして手放してしまったのだろう。クロードに記憶があることを打ち明けなかったことが間違いだったのだろうか。


「私が優柔不断だったことが全ての原因ね」


ぐるぐると回り続ける思考の末に、そう結論づけた杏奈はベッドから起き上がり机の上にあるランプを灯す。それから紙に向かって猛然とペンを動かし始めた。


クロードが選択したのだから、次は杏奈の番だろう。

これからの為すべきことや必要なことを書き記す杏奈の目にもう迷いはなかった。

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