第9話

「申し訳ありません。アンナ様にお仕えするようになったのは数日前からですので、伯爵や奥様とのご関係性については分かりかねます」


クロードから話が聞けないのならばとケリーに訊ねてみれば、そんな返事が返ってきた。


「それならここに長く勤めているのは誰か分かるかしら?」


伯爵令嬢のアンナだが冷遇されていたのなら専任の侍女はいなかったのかもしれない。それでも同じ屋敷にいれば、それなりに関わりがあるはずだ。そう考えた杏奈だったが、ケリーの言葉に目を瞠ることになる。


「伯爵夫妻が領地に連れて行ったため、使用人は総入れ替えすることになったのだと聞いております」


(え、そんなことってある?)


確かに長年仕えてくれた使用人であれば、引き続き自分たちの下で働いて欲しいと思うのは自然なことだろうが、全員連れて行くのはかなり大掛かりであるしこの屋敷自体の管理が上手く回らないのではないだろうか。


「あ、失念しておりました。執事のトマスさんだけは先代の頃からヴェルス伯爵家に仕えているそうです」


目が覚めた日にクロードが連れてきた初老の男性だ。理知的な面差しにこちらを見つめる目は少し潤み、お労しいと声を詰まらせていたことを覚えている。


「出来ればクロードに知られないようにトマスに会いたいのだけど……」


執事は主人に常に付き従っているイメージがある。クロードはアンナが伯父夫婦について知ることに積極的でないのなら、協力してくれないかもしれない。


「アンナ様のご希望が叶うか分かりませんが、確認してみましょうか?ご協力できない場合でも先代のご令嬢であるアンナ様のためなら意を汲んでクロード様へ余計なことを伝えないと思いますが」


そんなケリーの言葉に励まされるように、杏奈は伝言を頼むことにした。




「上手くいかないな……」


ケリー経由でトマスから断りの返事がきた。クロードが主だからという理由だけなく、トマスも過去を思い出すよりも今を大切にして欲しいと願っているそうだ。


だが、杏奈はアンナではない。もしかしたらもうずっとこのままではないのかという考えも浮かばないわけではないが、それならそれでクロードに打ち明けるべきだろう。


肩を落として歩きながら到着したのは庭の一角だ。視線を上に向けるとアンナが転落したというベランダが見える。


本当はその部屋に行ってみたかったが、安全のため現在閉鎖されているという。また今のアンナの部屋にあるベランダは外に出られないよう内側から鍵が掛かるようになっている。最初に聞いた時は過保護だな、ぐらいしか思わなかった。

しかしベランダの手摺壁を改めて見れば、幼児でもあるまいしそうそう落ちることなどないはずだ。


(アンナちゃんが落ちたのは事故ではない……?)


もしも誰かから突き落とされたとしたら、該当する人物はそう多くない。嫌な想像にベランダから視線を外せば、何かがきらりと光った。


太陽の光を受けて反射したのは、翡翠のような石だ。欠けている上に表面にヒビが入っていたが、何となく手の平の上に乗せると気分が落ち着くような気がした。


(何かしっくりくるというか、お守りみたいな感じがするな)


あまり行儀が良いことではないので、杏奈はこっそりポケットの中にしまう。おもむろに地面にしゃがみ込んだ杏奈を付かず離れずの位置にいるケリーには見られていたが、何を拾ったかまでは見えていないはずだ。


(あと一週間、何も手掛かりが見つからなければクロードさんに全てを打ち明けよう)


杏奈では思いつかないことでも、聡明なクロードなら分かることもあるかもしれない。一抹の不安はあるものの、ずっとこのままではいられないのだ。

決意を新たにした杏奈は、自分がポケットの上から翡翠色の石に無意識に触れていることに気づかなかった。

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