第10話
どこからか子供の泣き声が聞こえる。
堪えているように啜り泣く声が胸に迫り、杏奈は逸る気持ちを抑えながら声の方向へと駆け出した。
薄闇の中でぼんやりと輝く光を辿っていけば、膝を抱えて俯く少女の姿がある。
「こんにちは、どうして泣いているの?」
膝をついて話しかければ、僅かに顔を上げた少女から鮮やかなオレンジ色の瞳がのぞく。潤んだ瞳や頬にも涙のあとが残り痛々しい。
「クロが、いないの。ずっと一緒にいてくれたのに……ひとりぼっちになっちゃった」
目じりに涙が溜まっていくのを見て、杏奈は慌てて声を掛けた。
「じゃあお姉ちゃんと一緒に探そう!クロちゃんはどんな子なのかな?」
「……黒いウサギさん」
ぽつりと告げた後、少女は不安そうな表情でちらりと杏奈を見たが、すぐに俯いてしまう。見知らぬ他人に声を掛けられて怯えてしまったのかもしれないと思った杏奈は、明るい口調で話しかけた。
「黒ウサギのクロちゃんだね。お姉ちゃんは杏奈っていうの」
少女の名前を訊ねる前に、急に顔を上げた少女は驚いたせいか先ほどよりも表情が豊かに見えた。
「お姉さんもおんなじお名前?」
「――あら、お揃いなのね?アンナちゃんって呼んでもいい?」
こくりと頷く少女は共通点があったことで先ほどよりも警戒心は薄れたようだ。ほっとしながらも、杏奈は内心とても動揺していた。
(せっかく本物のアンナちゃんに会えたのに、どうして子供の姿に……!)
ふわふわと揺れる黄金色の髪にガーネットの瞳は、どう見てもアンナだろう。はっとして自分の髪を手繰り寄せれば、見慣れた黒に今の自分は元の杏奈の姿に戻っているらしい。
(そもそもここは何処なの?やっぱり夢の中とか?)
子供の泣き声に気を取られて周囲にあまり気を配っていなかったが、薄暗い空間には何も見当たらず、アンナや自分の周囲だけほのかに明かりが灯っているような不思議な現象が起こっている。
「……お姉さん」
杏奈が黙りこくったせいか、アンナの瞳が不安に揺れている。色々な疑問を後回しにして杏奈はアンナの手を取り、クロを探すことにした。
当てもなく歩いている中で、差し障りのない飼い猫の話などをしていると動物が好きなのかアンナの表情が徐々に明るくなる。遠慮がちに繋いでいた手にも力がこもり、アンナもいつしか自発的に話してくれるようになった。
「おじさまやおばさま、クロードおにいさまも嫌われてしまったけど、クロがいてくれたからさびしくなかったの」
そう告げるアンナは自分がどれだけ悲しい目をしているのか気づいていないのだろう。
それを痛ましく思う一方で杏奈は言葉の意味を考えていた。アンナがクロードにも嫌われていたというのはいつのことなのか。外見も言葉遣いも幼いので、過去の話なのかもしれないが、それでも今のクロードの態度を知っているだけに信じられない気持ちだった。
「……クロにも嫌われちゃったのかな」
小さな呟きに視線を落とせば、涙が溢れないように口を引き結んだアンナが目に入る。ずっとそんな不安を抱えていたのかもしれない。杏奈は咄嗟にアンナを抱えてぎゅっと抱きしめた。
「クロちゃんは迷子になっただけだよ。アンナちゃんみたいな可愛くていい子を嫌いになるわけない。会ったばかりだけどお姉さんもアンナちゃんのこと大好きだもの」
ずっと辛くて悲しくて誰にも言えない想いを一人で抱えて、どれほど苦しかっただろう。子供が特別に好きだという訳でもない杏奈だったが、幼い子供にこんな我慢をさせていけないことは分かる。
「本当、に……?アンナ、悪い子じゃない?アンナのこと好きでいてくれるの?」
「もちろんだよ。私もクロちゃんもアンナちゃんが大好きだからね」
ポロポロと涙を零すアンナの背中を、アンナは優しくあやすように手を添えたのだった。
「さあ、クロちゃんを探そう。黒いから見逃さないようにしないとね」
泣き止んだ頃合いを見計らって声を掛ければ、すっかり表情が柔らかくなったアンナはふにゃりと子供らしい笑みを浮かべて言った。
「大丈夫よ。クロのお目目は緑色でキラキラしているからすぐに分かるの」
その言葉にポケットを探れば、硬い石のような物が手に触れた。まさかと思いながらも取り出せば手の平に載った石は掻き消え、代わりに黒いウサギのぬいぐるみがどこからともなく現れる。
「クロ!」
何が起きたのだと呆然としたものの、アンナの歓声から探し物が見つかったのだと分かった。ぬいぐるみを受け取ったアンナは両手でぎゅっと抱きしめる。
「お姉さん、ありがとう!これでお父様とお母様のところに行けるの。あのね、クロもお礼がしたいって」
アンナの言葉に杏奈は息を詰めたが、満面の笑みでぬいぐるみの手を差し出されたので、握手のつもりでふわふわの手を掴む。
『ありがとう』
直接頭に声が響いたかと思うと、目まぐるしいほどの映像が流れ込んでくる。
そうして杏奈はアンナの生涯を知ることになった。
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