第12話

「家庭教師か……」


クロードは少し思案した後、杏奈をじっと見つめた。悪いことをしているわけでもないのに、何故か後ろめたいような気持ちになるが、表情に出さないよう努める。


「無理をしないと約束するなら手配しよう」

「ありがとう、クロード」


ほっとしてお礼を言えば、クロードは悪戯っぽく口角を上げた。


「これぐらい何でもないことだ。だが俺との時間もきちんと作ってくれよ」

「っ……善処します」


口元を緩め満足そうな表情を浮かべるクロードを杏奈は直視できずにいた。愛おしくて仕方がないと言うように大切に甘やかされているのに居心地が悪い。

以前はアンナへの申し訳なさが大きかったが、今は逆にクロードとの距離を決めかねている状態だ。


それなのに事あるごとに甘やかな眼差しや言葉を掛けられれば、気恥ずかしさに顔が赤くなってしまう。


(な、流されちゃ駄目!ちゃんと考えるために教育を受けようと決めたんだから!)


考えすぎて熱を出してしまった杏奈は一旦棚上げすることに決めた。気持ち云々を置いても、杏奈はこれからアンナとして生きていくことは間違いない。


アンナと入れ替わる方法を調べていた時と違い、将来のことも見据えて行動する必要がある。貴族令嬢として生きていくかはともかく、教養やマナーを身に付けておいて損はないはずだ。


(それにこの屋敷の中だけじゃなくて、他の人からも話を聞いてみたい)


ケリーは質問すれば答えてくれるが、あくまでも使用人としての立場を崩さず気軽にお喋りできるような関係ではない。何より使用人は屋敷の主人であるクロードに仕えているため、アンナとの会話を報告する可能性がある。


一度外出したいと漏らした際にはクロードが側にいなかったのにもかかわらず、まだ体調が万全でないからと諭されたこともあり、それからは迂闊な言動をしないように心がけていた。


それから数日後、家庭教師としてやってきたメイユ夫人は人当たりの良い穏やかな性格の女性だった。とはいえ間違いは指摘し出来るまで根気よく教えてくれるし、出来た時にはしっかりと褒めてくれるので、モチベーションも上がるというものだ。


優秀な家庭教師のおかげでここ最近のもやもやした気分が薄らぎ、杏奈はすぐにメイユ夫人の訪問を心待ちにするようになった。


「アンナ様は優秀なだけでなく勤勉ですから、すぐに教えることもなくなってしまいそうですわね」

「先生のご指導の賜物ですわ。どうかこれからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたしますわ」


上品な笑みを浮かべながら告げるメイユ夫人に杏奈が返すと、メイユ夫人の表情が柔らかくなる。


「まあ、そう言ってくれることが何よりの喜びですの。アンナ様の家庭教師をお引き受けして本当に良かったわ」


どこか感慨深そうに声を漏らすメイユ夫人に杏奈がその意味を考えようとしたところ、すぐに補足してくれた。


「実は、私は貴女のお母様と同級生でしたの」


友人と呼べるほど親しい間柄ではなかったが、同級生として時折言葉を交わすことがあったという。


「とても優しい方で、私も一度助けていただいたことがありましたの。何もお返しができないままでしたが、こうしてアンナ様のお役に立つことができたのなら嬉しく思いますわ」


本来家庭教師は十五歳以下の学校に通う前の子供への教育として雇われる。それ以上の年齢になると、何か問題や厄介な事情があるのではと思われて敬遠されるそうだ。

だがメイユ夫人は依頼先がヴェルス伯爵家と知り、かつての恩を返す機会だと思い立候補してくれたらしい。


「……先生、ありがとうございます」


アンナの母の善行がこうして杏奈の手助けになっていることに、深い愛情を感じて胸が詰まる。アンナの記憶に残る母の姿はいつも慈愛に満ちていた。

杏奈とアンナの巡り合わせも不思議な縁としか言いようがないが、人生において過去は確かに未来と繋がっているのだろう。


(過去は変えられないけど、なかったことにしてしまうのは違うわ)


クロードが過剰なほどに配慮しているのは罪悪感と失うことへの恐怖のせいだと杏奈は思っている。一方で杏奈自身もアンナに対する仕打ちを許容できない気持ちとアンナと別人であることを隠していることで負い目を感じているのだ。


一度クロードとしっかり話し合うべきなのかもしれない。

不安がないと言えば嘘になるが、どこかすっきりした気持ちになった杏奈はクロードと向き合うことを決めた。

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