第3話:魔術師の塔
ヴェルターツの辺境ミルフォルト地方。街から離れた森の中に、ひっそりとたたずむ石造りの塔があった。湖畔に面した塔は見上げるほど高く、その身を空へと伸ばしている。
かなりの年代物のようで、外壁が崩れてしまっているような所も見られたが、畑や馬小屋などは整備されていて、生活の気配が感じられた。
そんな美しい森と湖を背景に、間抜けな悲鳴が響いた。
「ねえぇぇぇアクアぁ! もうやめようよぉ! ほんとに死んじゃうよぉぉ!」
「大丈夫だって!」
悲鳴に応えた少女は髪を振り乱し、獣と格闘していた。「大丈夫」などと言っているが、獣の爪にやられたのだろう、その身体は傷だらけだ。
「だからぁぁぁ。エアルグリフィンに乗るなんて無茶だってばぁ。危ないよぉ」
間抜けな声を上げているのは、こちらも同じ年ごろにみえる少女だった。蒼く光る長い髪と、それにつながる大きくとがった耳は、その間延びした悲鳴にあわせて『へにゃり』と垂れ下がっている。
「だからぁぁぁぁぁ! 消えている仔に乗るのなんて無理だってばぁぁぁ!」
「大丈夫! 魔力の波長を合わせれば乗れるって、この前師匠が言ってたの」
アクアと呼ばれた少女が、あまり意味をなしていない「大丈夫!」を指の数ほども繰り返した頃、下のほうから声がした。彼女が師匠と仰ぐ、ゲイル老の姿が見える。
それからもう一人分の影。珍しい。客人だろうか。
「アクア! アウローラ! 二人とも降りてきなさい。話がある」
二人は顔を見合わせ、ゲイル老のもとへ足を向けた。
「他に人がいるのか?」
アルジェントは、心底不服そうにつぶやいた。とりあえず、この老人の元で魔術とやらの修行することは了承したが、自分の他にも人がいるのであれば、色々と面倒なことだ。これ以上、誰かと関わりを持つなんてうんざりする。
「ああ、おるよ。弟子がひとりと、居候がひとりだ」
「悪いが、そいつらにあわせる気は毛頭ないぞ」
今日の晩飯ついて話すかのようなゲイル老の気軽さに、イラついた様子でアルジェントは吐き捨てた。文句を言おうと試みたが、この老人を言い負かすのはそれはそれで骨が折れそうだ。
まあ、誰がいようと関係ない。無視すればいいだけのことだ。
ゲイル老が何か言おうとしたが、ちょうど森から人の気配がして、中断される。
現れたのは二人の少女だった。
ひとりは蒼くまっすぐな髪に蒼い瞳をした少女で、先のとがった大きな耳を垂らしている。その色彩からして、どうやらセイレーン族のようだ。とアルジェントは推測した。
もうひとりは琥珀色の髪に明るい緑の瞳をした背の高い少女だった。顔つきや体つきは確かに女性なのだが、どこか中性的な雰囲気をあわせ持っている。どういうわけか傷だらけで、おそらく普段はまとめられているであろう髪の毛は、ボサボサと跳ね上がって揺れていた。
そんなアルジェントの所感などおかまいなしに、会話は進んでいく。
「おかえりなさい。師匠。本部はどうでしたか? どうせいつもの疲れるだけの会議でしょうけど……」
身も蓋もないことをさらりと言ってのけたのは、琥珀の髪をした少女。
「おかえりなさい。ゲイル様。道中お怪我はありませんでしたか?」
にこにこ微笑みながら、のほほんとゲイル老を労ったのは、蒼い髪の少女。
「ただいま。大丈夫じゃよ。しかしお前達こそどうしたんじゃ? そのありさまは。傷だらけではないか。アクア。アウローラ」
ゲイル老は驚いて、『アクア』と呼んだ少女に近づいた。
「あと、これは、えっと、その……」
歯切れ悪く口ごもったアクアだったが、アウローラと呼ばれた蒼い少女はのほほんと正直に言い放つ。
「アクアったら、まぁた凝りもせずにエアルグリフィンに乗ろうとしたんですよ。それで爪やら嘴やらにやられたんです」
「ぐぬぅ」
アクアは唸って押し黙った。
エアルグリフィンとは、ミルフォルトの森に生息するグリフィン族の亜種のことだ。一見普通のグリフィンと変わらないが、必要に応じて姿を完全に消す能力を持つ。爪や嘴は鋭く、グリフィン族の例にもれず獰猛で凶暴だ。それでいて賢い。好むことはあまりないが、人を食べる獣でもある。
つまりは獣としてはかなり危険であり、普通は森で遭遇しても逃げることが推奨されているくらいだ。
そんな獣に乗ろうとするなど、普通は考えた時点で彼らの胃に直行だ。しかし小さな傷は負いつつも、致命傷がないところを見ると、彼女らも『普通』ではないのだろう。確実に、『馬鹿』ではあるようだが。
「まあ、あまり勧めはせんが、死なない程度にやりなさい」
と、ゲイル老の反応もその程度だ。
「ところで……」
そこでようやくゲイル老はアルジェントを示した。二人の少女も彼の方を向く。
彼女らの前には、顔立ちは端正だが素晴らしく目つきの悪い、白い青年が立っていた。何が気に入らないのか初対面の二人に対し、無遠慮な殺気を向けてくる。
そんな彼を見てアウローラはひるんだが、アクアはけろりとしている。ゲイル老は満足げにほくそ笑むと、青年を紹介した。
「アクア。アウローラ。彼はアルジェント。今日から共にこの塔に住み、魔術の修行をする。アルジェント。アクアとアウローラだ。アクアはわしの弟子。アウローラは居候として雑務を手伝ってくれている。仲良くするんじゃぞ」
それぞれを紹介し、ゲイル老は気持ちの悪いほどにっこりと、笑った。
数秒間、彼らは怪訝な表情で見合っていたが、観念したようにアクアがアルジェントに歩み寄る。
「えっと、アクアです。よろしく。アルジェント」
「…………」
アルジェントは応えない。むっつりと黙ったまま、例の『不機嫌きわまりない』といった表情で、アクアのことをにらみ据えた。そして一言。
「馬鹿な女」
「……はぁ?」
あまりの態度が、頭にきたのだろう。反射で受けた侮蔑を跳ね返すかのごとく、アクアは思い切りアルジェントをにらみ返していた。ここですんなりと引かないあたりが、この娘の性根のようだ。
「…………」
「…………」
無言のにらみ合いが続く。
その不毛な意地の張り合いに「とりあえず」終止符をうったのは、意外にもアウローラだった。とはいっても、へっぴり腰でアクアの腕につかまり、アルジェントの視線を極力避けながら、なおもにらみ返し続ける彼女をゲイル老のそばまで引っぱっていった、というだけだが。憶病なアウローラにしては、上出来の働きだ。
二人の出会いの印象は、互いに「最悪」だった。
「師匠! なんですかコイツ! 弟子にするって正気ですか?」
アクアはまくしたてたが、ゲイル老ののほほんとした態度は変わらなかった。それどころか、さも微笑ましげに二人のにらみ合いを見つめている。
当のアルジェントは黙ったままだ。苦虫を嚙み潰したような顔のアクアを、鋭くにらみつけながらも心ここに在らず、といった態度をくずさなかった。
「一緒に修行、って。なんでこんな奴と……」
「これアクア。そんなことを言うものではないよ。誰にだって事情というものがあるのだからね」
なおも言い募るアクアを、ゲイル老はいさめた。
「う……。はい」
アクアはしぶしぶ押し黙る。アクアとしては許容しがたい状況だったが、ゲイル老には逆らえない。アルジェントの態度は憎たらしいが、ゲイル老が弟子に迎えようというのだから、何かしらのっぴきならない事情があるはずなのだ。
そんな彼のことを、怒りに任せて「こんな奴」呼ばわりしたことに、少しの罪悪を感じてもいた。
「まあ、アルジェントもここに来たばかりだ。慣れないことも多かろう。アクアもアウローラも、色々教えてやっておくれ。アルジェントも、ここは独りでいるわけにはいかない。二人とも仲良くな?」
「ええっと……はい。わかりました。ね? アクア」
アウローラは友人へと顔を向けた。彼女はアルジェントをにらむどころか、顔を正視することすらできない。本能的におびえているようだ。
「は、あ、い」
アクアは絞り出すようにして『とりあえず了承』の返事をする。
それでもアルジェントは、『無言のまま』を通したのだった。
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