第2話:風変わりなゲイル老

 ひんやりと冷たい部屋の中央に、その青年は座っていた。青年は縄ヒモで縛られており、座らされていた、と言うほうが正しいかもしれない。


 頭巾を被った老人たちが彼を取り囲むように陣取り、始終ひそひそと囁きあっていた。青年へ向けられているのは、好奇の視線と侮蔑の感情だ。彼の手足には、縛るだけでは足りないと言わんばかりに大量の封の術が施されていた。


「…………」


 青年は黙っていた。黙って、そしてありったけの殺気を辺りにまき散らしていた。


「気持ちは解るが、それほどカリカリせんでもよかろう」


 人垣の中から一人の老人が歩み出た。彼は青年のそばにゆっくりかがむと、柔らかな口調で話しかける。しかし青年は黙ったままだ。それどころか、ますます険を深くした。


「まあ、この状態で何を言っても説得力はないわな……」


 象牙色のローブをまとったその老人は、そう自嘲気味に笑った。そしておもむろに手を伸ばすと、青年を縛る縄を解いたのだ。


「ゲイル老! 何を……」


 周囲がざわめく中、縄を解かれた青年は黙ったまま立ちあがった。そしてただただ、鋭く紅い眼差しで、目の前の老人をにらみ据えた。周囲は震えあがったが、老人は静かに青年を見つめ返した。

 整った顔立ちに白銀の髪。腰まで届く長い髪は首の後ろで一つにまとめられていたが、あちこちに余り毛が跳ねている。黙っていても目立つ人間離れした容姿に加え、その存在感は彼の力が尋常でないことを無為に表していた。


「わしのところへ、来るといい」


 青年の威嚇も、周囲のざわめきも、気にも留めない様子で老人は言った。


「わしの塔に来て、そして魔術の修行をしなさい」


 さらりと言い放たれたその言葉に、青年はわずかに眉をひそめた。しかし周囲の老人たちの喧騒に、たちまちかき消されてしまう。


「なんですと!」

「正気か?」

「どういうことじゃ、ゲイル。そのような者に、魔術を教えるなど。そいつはバズネット村を壊滅させた化け物だぞ!」


 巻き起こる反論の声の数々に、しかしゲイルと呼ばれたその老人は飄々と答えた。


「何をおっしゃられるか。魔術の修行ほど、今の彼に必要なものは他にあるまい」

「……どういう意味だ」

「お前さん方は、彼の大きすぎる力におびえておるのじゃろう。『いつ暴走するか分からない』とな」

「あたり前だ。そのような危険な力を、野放しにできるか」


 当然だ、と紺地のローブの男が言い放ち、周りの者も首を縦に振った。しかしゲイル老はというと、呆れたように首を横に振る。


「ならばなおのことじゃ。要は『危険な力』でなくなればよい。魔術を学び、力を制御できるようにする。うってつけではないか」


 あっけらかんと言い放つゲイル老の言い分に、周囲はたじろいだ。かろうじて、ひとりの老婆が異論を唱える。


「ですが、その者は記憶を無くしています。どういう身の上か解らない以上、仮に記憶が戻ったところで、魔術を悪用しないとは限らないでしょう」

「それはべつに、記憶があるかないかは関係ないじゃろう?」

「それは、そうかもしれませんが」


 ゲイル老は、静かに続けた。


「それにな、わしはこの青年の力を信じておる。隠れているようで、ちっとも隠れておらん。不器用な力じゃ。確かに彼の力は強い。皆が不安に思うところも、解らんではない。しかし強大な力であるからこそ、扱い方は知らねばならんのじゃよ」

「しかし……」


 なおも納得しない周囲に、ゲイル老もいい加減あきれたようで、「やれやれ……」と、たっぷりとした髭を撫でつけた。


「くどいのう。もう決めたことじゃ。このわしがな。責任は、わしが持つ」

「し、しかし、あなたがいくら熾の職にあるといっても、そのような勝手は……」

「なぁに、あのじゃじゃ馬娘でも、なんとかなったんじゃ。この子もなんとかなるじゃろう」


「「「ぐうっ……」」」


「ふむ。では、失礼させていただくかの。来なさい。こっちじゃよ」


 当惑したままの青年を半ば引きずるようにして、老人は部屋を出た。

『じゃじゃ馬娘』発言を聞き、その場の多くが青ざめたことを、薄く笑って部屋を後にした老人は果たして気づいていたのかどうか……。



「なぜ、あんたは俺にこんなことをするんだ」


 部屋を出て、薄暗い廊下を歩きながら青年は問いかけた。

「こんなこと、とは?」と、不思議そうに問い返してくる老人に、青年は目を細める。


「俺を連れて帰るとか、魔術を教えるとか。何をたくらんでいる。俺は、お前たちにとって化け物なんだろう?」


「それに俺は誰の世話になる気もない」と、青年は氷のような笑みを見せた。


「そのようなことを言うでない。お前さんは、化け物ではないだろう」

「……」


 外は嵐だ。廊下の窓枠が、ガタガタと音をたてている。老人はゆっくりと言葉を続けた。


「お前さんは、少々風変りな血を持っておる。力が強すぎて扱い難い。それだけじゃ」

「あんた達は、そういう奴を『化け物』と呼ぶ」


 青年がそう言うと同時に、ゲイル老の頬を鋭い風がかすめた。表情は笑っているが、語気から彼が怒っているであろうことがわかる。彼の感情に呼応するように巻き起こった衝撃が、老人へと向かった。

 しかし、ゲイル老は動じなかった。さらりと青年の殺気を受け流す。

 その強引さや周囲から敬語を使われていたことから、この老人は高い位にあるようだと青年は思っていたが、その肩書きは伊達ではないようだ。

 ゲイル老は少しだけ寂しそうに笑うと、言った。


「お前さんが、そう思うのは仕方がない。しかしまあ、そういう者ばかりでもないよ」


 青年は不思議に思った。ここにいる連中は皆、自分の持つ力を恐れて拒絶するものだと思っていた。しかし、目の前にいるこの老人は何かが違う。少なくとも自分のことを恐れてはいない。

 もちろん信用はできない。この老人は他の連中より強い力を持っているようなので、強気でいられるだけかもしれないのだ。


 生まれてこのかた、彼にとっての「他人」とは、恐れて攻撃してくるか、離れていくか、その力を利用しようとしたり顔で近づいてくるか。そういう人種ばかりだった。 

 なにしろ、彼を産んだ母親ですら『そう』だったのだ。なまじ力が強く、身体も頑丈だったため、死ぬことはなかった。しかしその経験は、彼の「他人」に対しての警戒心と拒絶の姿勢を育むことになった。

 そんな青年にとって、この老人の行動は、ほとほと理解しがたいものだったのだ。


「すまなかった。わしが目を光らせておくべきだった。……アルジェント」


 ぺこりと頭を下げた老人に困惑した青年だったが、加えてアルジェントと呼ばれたことに、その表情が凍り付いた。


「な、ぜ」

「アルジェント。お前さんの名前じゃろう?」


 一呼吸の後、ゲイル老の身体は壁に叩きつけられていた。『アルジェント』と呼ばれた青年によって。青年の瞳には、先ほどのような激しい怒りの色は、うかがえない。 

 あるのは深すぎて色を失った怒りと、困惑と、恐怖と。


「何故だ。何故お前はソレを知っている。答えろ」


 低く、絞り出すような声で、青年は問いかけた。彼は囚われてから、魔術師たちに己の名前を決して明かさなかったはずだ。それなのにこの老人は自分の名前を呼んでいる。口外した記憶はない。 この老人は、危険だ。


 全身で警戒するアルジェントの内心を知ってか知らずか、しかし壁に縫いとめられたままゲイル老は淡々と答えた。


「そう心配せんでもいい。わしがお前さんの名前を知っているのは、記憶を失う前のお前さんを知る者と、わしが知り合いだった、というだけじゃ」


 思いがけないゲイル老の言葉に、おもわずアルジェントは手を緩めた。失った記憶の中の自分をこの老人は知っているという誘惑に、心ならずも淡い期待を持ってしまう。


「俺を知る人間から、俺のことを聞いていた、ということか?」

「そうじゃ」

「それは誰だ。いや、どういった奴だ! 俺は!」


 喰ってかかるアルジェントに、老人は答えなかった。


「アルジェント。お前さんは、それをわしが伝えたとして、納得するのか?」

「そ、れは……」

「じゃろう? わしの言葉だけでは、納得できまい。お前さんの記憶は、お前さん自身で思い出さなければ」


 アルジェントは苛立ったが、ゲイル老の言うことはいちいち最もだ。確かにゲイル老から自分のことを説明されたとしても、信じることはないだろう。アルジェントは忌々しげに言葉をしぼり出した。


「……魔術を学べば、その、可能性があるということか?」

「うむ。わしはそう思っておる。お前さんの場合は魔術を、というよりは力の使い方と制御のやり方を、というところかの。どうじゃ。改めて、わしのところに来んか?」

「……」


 それも、悪くないかもしれない。少なくとも記憶を取り戻すまでは。

 アルジェントはそう思い、ゲイル老の首から手を離したのだった。

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