第7話:先立つもの
『乳製品』に、アクアは頭を悩ませていた。
塔では動物も飼っていたが、タマゴを採るための鳥ばかりだったのだ。馬もいるが、彼女には移動や荷運びを手伝ってもらわなくてはならない。何年か前にはヤギがいたのだが、その子は天寿を全うした。その後、乳や乳製品は近所の村との物々交換で手に入れていたのだ。
アルジェントの食生活のために、牛にしろ、ヤギにしろ、羊にしろ、何かしら『乳を得られる』生き物がいた方がいいのは確かだ。しかし……
「先立つものがなぁ」
アクアは薄暗い天井を仰ぎ見た。塔の生活は、そのほとんどを自給自足でやりくりしていた。三人が暮らしていくには十分だったし、蓄えがないわけではない。ゲイル老の魔術の腕は周囲から信頼を得ていたし、薬草の調合や獣よけの術の依頼は頻繁にあったからだ。
ただ、間がよくなかった。
ちょうど冬支度をはじめる時期で、大きな出費の予定ばかりなのだ。燃料やら塔の補修材料やら、雪が降り出すまでに、こまごまとした物品をまとめて買っておかなければならない。今日もゲイル老とアウローラが保存食用の香辛料を買いに、港の街まで足を延ばしていた。
家畜を『買う』となると、それなりにまとまった額がいる。冬支度のことを思うと、微妙なところだ。
「師匠に相談してみるしかないかぁ……」
アクアが唸っていると、玄関口のほうで呼び声がした。お客だろうか。ゲイル老が不在なので、休みの札を出していたのだが。不思議に思いながらアクアは腰をあげた。表に出てみると、近くの村に暮らしている顔見知りのおじさんだった。ひどく切羽詰まった様子で、ゼイゼイと息を切らせている。
「おおい! ゲイルさんはいるかい?」
「ベネスさん? 師匠なら、今日は街まで出てますけど……」
それを聞いたおじさんは、悲痛な面持ちで肩をおとした。
「何か、あったんですか?」
「ああ、実は、村の近くに魔獣が出たんだ。おそらく、マンティコアじゃないかと……」
アクアは驚いた。マンティコアは人を襲う魔獣だ。しかし普段は森の奥に潜んでいて、そうそう人里に出てくるようなものではないはずだ。
「大丈夫だったんですか?」
「いや。死人は出ていないが怪我人がいる。ちょうど村人総出で、森へ柴刈りに出ていたところだったんだ。ゲイルさんに退治してもらおうと思ったんだが……」
それはおおごとだ。アクアはその場で、伝書用の使い魔を呼んだ。
「わかりました。急いで師匠に使いを出します。……よかったら、怪我人は私が」
「ああ、助かるよ。あんたの薬草もよく効くからな。ぜひ、診てやってくれ」
「道具を持ってきます。少し待っていてください。一緒に行きましょう」
「ああ」
治療のための道具と薬を取りに行くと、廊下でアルジェントとぶつかった。どうやら陰で話を聞いていたらしい。彼の実力のほどは正直わからないが、あれだけの喧嘩ができるのだ。道中の荷物持ちや、護衛にはなるだろう。
「アルジェント。一緒に来て!」
「はぁ? なんで俺が……」
「い・い・か・ら!」
半ば引きずるようにして連れてこられた青年に、おじさんは怪訝な表情を向けた。が、アクアがあたらしく入った弟子で護衛代わりだと紹介すると、あっさりと受け入れてくれた。
アクアは薬箱を背負いながら、こういうことは『普段からの信用』によって左右されるものだな、とつくづく思ったのだった。
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