第15話:リリの依頼
「はぁぁぁ、やっと出られたわ! ああ、せいせいしたぁ!」
丘の上の白い建物が見えなくなったとたん、リリが葦毛の上で大きなのびをした。
先ほどの『おしとやかさ』はどこへいったのやら、実に奔放な雰囲気だ。
アクアたちは、顔を見合わせた。
「やっぱり。さっきの態度は『よそいき用』だったの?」
「それはお前もだろうが」
「うるさいな」
「まあまあ。まずは、リリの話を聞こうよ」
馬を引くアクアが笑って訊ねると、後方からアルジェントが茶々をいれる。馬をはさんで反対側を歩くアウローラが、すかさず二人をとりなした。
修道院でのリリの態度は、どこか不自然だった。表情が顔に貼り付いているというか、芝居がかっているというか、礼儀正しい言動の奥に『わざとらしさ』が見え隠れしていたのだ。
リリは見破られていたことに驚き、少し拗ねたようではあったが、それでもあっけらかんとうなずいた。
「そうよ。先生たちの前では『よいこ』にしておかなきゃ。せっかく修道院の外に出られるのに、台無しになったら困るじゃない?」
「なるほど?」
「でもこれで、やっとあの牢獄ともおさらばできるわ!」
「牢獄かぁ……」
「そうよ。おしゃれもダメ。歌うのもダメ。お菓子もダメ。おなかいっぱい食べるのもダメ。なんでもダメ、ダメ、ダメ。それしか言わないんだもの。あんなの、牢獄と変わらないわよ」
「歌うのもダメなんだ。わたし、死んじゃうかも……」
「そりゃあ、アウローラはねぇ」
「おい。つっこんだ方がいいか?」
ぼやいたアルジェントに、アクアは首をふった。アウローラには悪いが、彼女の天然発言を細かく気にしていてはキリがない。
「ねぇ。もしかしてあなた、セイレーンなの?」
「ふぇっ?」
いきなり距離を詰めてきたリリに、アウローラは飛びのいた。しかしリリは気にする様子はない。この人懐っこさと強引さ、良くも悪くも気遣いのない幼さが、彼女の持ち味のようだ。
「その耳の形と髪の色、セイレーンよね? ねえ、なにか歌ってみてくれない?」
「ええぇ? アクアぁ」
「もう……。リリ。アウローラはむやみに歌わないよ。セイレーンが歌うとどうなるか、知らないわけではないでしょう?」
「たしか、船が沈むのよね? でもここは陸の上だから、大丈夫なんじゃないの?」
なるほど。
「修道院で育つ」ということは、こういうことなのかもしれない。良く言えば純粋で、悪く言えば世間知らずだ。
「ちょっと違う。船が沈むのは、操舵している船乗りたちが眠ってしまうからだよ。セイレーンの歌には、眠りの術がかけられているんだ」
「そうなの? じゃあ、歌を聴くことはできないわね。ちょっと残念。でも、あなた達は魔術師なのよね? ねぇ、何か魔術を見せてよ」
「リリ?」
「う……」
「『修道院での生活が窮屈だった』というのはわかるよ。あたしでも、そんな生活は嫌だもの」
「でしょう?」
「ええ。でも、魔術は『見世物』じゃない」
「……そう。残念だわ」
やはり素直だ。しゅんとうなだれたリリを見て、アクアは可愛らしいと思った。
「リリは、いつから修道院で暮らしているの?」
「たしか、五つの頃よ。母さんが死んで、修道院へ入れられたの」
「そうなんだ?」
「母さんが死んだってことは、父さんも知っていたはずなんだけどね。結局こんな形で引き取るくらいなら、最初からそうしてくれていたら良かったのに」
「父さん?」
「……あなた達、聞いてないの?」
「そう、だね。『ツェツェグの街まで、あなたを護衛して欲しい』ってことしか。詳しい事情やらは、なにも聞いてないよ」
「話しておいた方が、いいかしら?」
「それはどちらでも。リリが話したければ話せばいいし、話したくなければ話さなければいい」
「そう……」
しばらくの間、リリは馬上で考え込んでいたが、意を決した様子で顔を上げた。心なしか、瞳が楽しそうに光っている。
アクアは『本部の魔術師』とは違った意味で、面倒な予感がした。
「事情は話すわ。実は私からも個人的に、あなた達に依頼したいことがあるのよ!」
そう言って、リリは事情とやらを語った。
なんとなく予想していたことではあるが、やはり彼女はミルフォルト領主の、妾の子だということだ。
母親と二人、ミルフォルト郊外の別宅に囲われていたらしい。とくに冷遇されていたわけでもなく、稀ではあるが父親も別宅に顔を出していたそうだ。2人にそれなりの愛情はあったのだろう。しかし母親が亡くなると、父親からの音沙汰はなくなり、彼女は修道院へと送られた。
「なのに、今度はいきなり私をひきとる、なんて言うんだもの。意味がわからないわ。ちょっと勝手がすぎると思わない?」
「ひどい……」
修道院暮らしは規律も多く、裕福ではないが、死ぬことはない。成人すれば自分の意志で修道院を出ることもできる。実際それを狙って、彼女は独学で裁縫の腕を磨いていたということだ。
しかしどういうわけか突然父親から連絡があり、領主の娘として呼び戻されることになったらしい。領主には本妻とその子供も居るそうで、彼女たちから自分が疎まれていることも知っている。なのにそうされる理由や領主の意図が、リリ本人には説明されていないのは納得いかない。ということのようだ。
リリは怒りの声をあげ、アウローラがぽそりと同意の言葉をつぶやいた。
「きっと、政略結婚とかに利用されたりするんだわ!」
「そんなぁ!」
「そうでなきゃ、給与のいらない下働きにでもするつもりよ!」
「ひどい!」
リリはまくし立て、アウローラが手で顔をおおう。
「おい。つっこんだ方がいいか?」
「いや。やめておこう?」
アクアとアルジェントは肩を落とした。さすがにそんな少女小説のようなことはないだろうが、不可解なのは事実だ。それに『周囲の大人の思惑に振りまわされる苛立ち』は、三人には痛いほど理解できた。
「で? あなたの個人的な依頼っていうのは?」
「そうなの。あのね。私をこのまま拐かして欲しいの! ツェツェグの街でない場所に連れて行って!」
あまりの内容に、アクアは首を横にふった。
「馬鹿なこと言わないで。さすがにそれは無理だよ。領主の依頼に背くことになるでしょう? 現実的でもない。どこかの街に行って、それでどうするの」
「むぅ」
「そうしてやりたい気持ちは分からなくもないけどな……」
「めずらしい。アルジェントが、そんなこと言うなんて」
「ふん」
「……まあ、別の街に連れて行くなんてことはできないけど、途中の街で市や店を見てまわったり、ちょっと観光するくらいはいいんじゃない?」
「本当?」
リリが顔を輝かせた。
「ええ。でも領主には内緒だよ?」
「もちろん! 誰が言うもんですか!」
一日か二日、余分にみておいた方が良さそうだ。リリのはしゃぎ様を見たアクアは思った。それでも五日もあれば、ツェツェグの街までたどり着けるだろう。領主との約束の期限には間にあう。
しかし期日の十日を過ぎても、彼女たちは領主の元へ姿を現さなかったのだった。
魔術師の塔と湖の魔女 千賀まさきち @sengamasakichi
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