第5話:二人の思惑


 次の日、アクアは裏庭の雑草と戦っていた。




 彼女は昨晩、アルジェントの部屋の扉を蹴破り、盛大な喧嘩を繰り広げたのだ。


『言い争い』などという可愛らしいものではない。二人は殴ったし殴られたし、蹴ったし蹴られた。つまり物理的な大喧嘩だ。

お互い小さくない怪我も負った。


 その罰として、アクアは裏庭の整備を言いつけられたのだ。本当は『二人に』言いつけられた罰だったが、アルジェントの姿はいつの間にか消えていた。


「逃げるとか、ありえないし。あの野郎……」


 アクアはぶつくさ文句を言いながらも、独りで草刈りに取りかかったのだった。



 雑草を引っこ抜きながら、アクアは考えた。

 あのアルジェントという男、あれはどういう身の上なのだろう。昨晩、彼はためらいなく自分を殴ってきた。しかも、結構な力で。『人を殴る』という行為には、魔術と同じく耐性と適性が必要だ。生来の性格なのか、育ってきた環境なのかは分からないが、なかなか面倒くさそうな奴だ。アクアは青あざの残る太ももをさすった。


 アウローラの言うように、ゲイル老が身元をあずかったのならば、それなりに面倒な事情があるということは推し量れる。

なにしろ自分やアウローラも、同じように『面倒な事情』からゲイル老のもとで修行している身だ。


 正直な心情としては、ひねるアルジェントの気持ちも分からないわけではない。 

 むしろ、『ゲイル老に引き取られた頃の自分』と、今の彼はそっくりなのだ。自分のことは棚にあげてしまうが、おそらく『そのこと』がイライラする原因なのだろう。


 そこまで考えて、アクアは思考を放棄した。

 これ以上考えても、自分の推測が広がるだけで『答え』は出ない。それより雑草むしりをさっさと済ませることのほうが重要だ。


 今日の夕飯は、ハーブとクルミを練り込んだキッシュパイにしよう。アウローラは顔をしかめるかもしれないが、香辛料もしこたま入れてやる。


 アクアはそう決め、雑草との戦いに専念することにした。





 アルジェントは、湖のほとりに腰をおろしていた。


 ゲイル老から裏庭の整備をするように言いつけられていたが、素直に従うつもりはない。第一、昨日いきなり殴りかかってきたのは、あのアクアとかいう女だ。確かにこちらも殴りかえしたが、先に仕掛けたのは向こうだ。

 罰だというなら、あれが独りでやればいい。


「とは言え……」アルジェントはぼんやりと、湖面を眺めた。

 

 あのアクアという女は、どういった身の上なのだろう。アルジェントの力は強い。それは「体術に優れている」とか「魔術を極めている」といった戦う上での技術的なことではなく、『単純に、生物として筋肉の力が強い』という意味だ。

 それは彼が持つ『血』によるものであったが、正直なところ、アルジェント自身はその力をもてあましていた。

 加減のできない強い力は、簡単に物や他者を壊してしまう。


 それなのにあの女、アクアは自分が殴っても平然と蹴り返してきた。もちろん無傷とはいかなかったが、自分が攻撃をしても壊れることなく、それどころかやり返してきた女、というのは新鮮だった。アルジェントは赤く腫れた左頬を撫でた。


 あの閉じ込められた部屋の中で、ゲイル老が言っていた『じゃじゃ馬娘』というのはアクアのことかもしれない。あの時の周囲の反応を考えると、相当『普通でない』ことはうかがえる。


 『ここ』は、今までとは違うのかもしれない。


 かすかな思いが胸をかすめたが、アルジェントはそれを振り払った。『期待』はしないほうがいい。してはいけない。


 それがひっくり返された時、傷つくのは自分なのだから。

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