第4話:アクアのいらだち

 そんな二人が同じ屋根の下で暮らしていて、平穏に物事が進むはずがない。

 事は早速、夕食のときに起こった。



「何なのよ! あいつは!」


 アクアはアウローラと共に夕食の準備をしながら、アルジェントに対する罵詈雑言をまき散らしていた。


「な、に、が。『馬鹿な女』よ。ふざけるな!」


 先ほどから延々と、この調子である。ぶつぶつと口を動かしながらも、手元は休みなく芋の皮を剥きつづけている。器用なものだとアウローラは密かに感心し、苦く笑った。


「確かに、なんだか怖いもんねぇ。あの人」

「でしょ? 滅茶苦茶にらんでくるし。目つきは悪いし! それに何よ。あの『殺気』! 敵意とか、こっちが気にくわないとか、そういうの通り越して、いきなり『殺気』って!」


 ここぞとばかりにまくしたてる。アクアの勢いは止まりそうにない。


「確かにねぇ。でも、ちょっと格好いいんじゃない? 顔とか?」

「そんなことない! あれは、斜に構えてるだけよ!」


 大鍋のパスタをかき混ぜながら、アクアは鼻を鳴らした。アウローラは苦笑いをくずせない。


「そうかなぁ。……でも、ゲイル様からは仲良くしろ、って言われたよ?」

「う、ん。それを言われると痛いんだけど……」

「ゲイル様が連れてきた人だもの。何か、事情があるんじゃない? 怖いけど……」

「それは、『そう』だろうけどさぁ」


 アクアはひとしきり叫んで、少し落ち着いてきたようだ。ぼんやりとしていても、こういう気配りができるのがアウローラという少女なのだろう。アルジェントのことを一番怖がっているのも、まぎれもなく彼女なのだが。


「どんな事情なのかは分からないけど、しばらくは様子を見ようよ。……怖いけど」

「そう、だね。確かにまだ、どんなヤツなのかも、知らないもんね」


 胃の下あたりがキリキリときしんだが、そのあたりで妥協しようとアクアは努めた。大きく息を吐き、オリーブの実を細かくきざんではパン鍋に放り込んでいく。


「それに、なんだか今日のアクアの怒り方、らしくなかったよ?」

「それは……、どうだろう?」


 心の底では解っていたのかもしれない。自分がアルジェントの振る舞いに腹が立ってしょうがない、その理由。 それが、単なる自己嫌悪に過ぎないということが。

 胃の下のキリキリが、モヤモヤになってきて、アクアは考えるのをやめた。



 普段、アクアたちは塔一階にある小部屋を食堂と呼び、そこに集まって食事をとっていた。塔の歴史は古く、用途のはっきりしない設備や部屋も多い。魔術師の塔になる前は、貴族の隠れ家として使われたとか、罪を犯した王族が幽閉されていた、などという真偽不明の噂もあるほどだ。

 その小部屋も、かつてどはのような用途で利用されていたのかは知れない。賓客用の応接室だったのではないかと、アクアたちは考えていた。隣接する部屋にちょっとした調理場が設置されていたので、それをそのまま使っていたのだ。数人分の食事を作るには申し分ない設備だったし、水場や畑が近くて便利がいい。

 塔の地下には『本来の』食堂と調理場もあったが、たった三人で使うには大きすぎた。それに地下は主に魔術の練習や実験に使っていたので、薬草やら書物やらで常に散らかっていたし、食事がとれるような状態ではなかったのだ。


 ともあれ、アクアたちがそう呼んでいる食堂のテーブルの上には、アクアとアウローラが作った豆とパスタのスープ、庭の畑で育てた青菜のサラダ、作り置きのピクルス、近くの村で買ってきたチーズ……と、それなりに豪華な料理が並べられていた。ゲイル老が帰ってきたので少々奮発したのだ。

 そして、テーブルに椅子は三脚ではなく四脚だ。しかし――――


 その「食堂」に、いつまでたっても、アルジェントはやってこなかった。



 何度も声はかけた。塔を案内する際に食堂の場所も伝えたから、部屋の場所がわからない、ということもないだろう。なんならゲイル老が迎えに行ったぐらいだ。声をかけても返事はなく、中から鍵はかかっているくせに、気配はする。

 つまりは「完全無視」の状態だ。


「しょうがない。わしらだけでもいただくとするかな。そういう気分ではないのじゃろう。疲れてもいるだろうし、寝てしまっているのかもな」


 ゲイル老はそう言い、三人は席についた。食前の言葉をすませ、食事をはじめた。


「ふむ。なかなかじゃな。このスープは。隠し味は、オリーブかね」

「あたりです。よくお分かりですね。ゲイル様」

「やはりそうか。この豆ともよく味がなじんでおるのぉ」

「そうでしょう? 豆とオリーブって相性いいんですよねぇ」

「…………」

「…………」


 何かがおかしい。その場の空気は、ヒンヤリと凍りついていた。


「ア、アクア?」


 胃の下のキリキリが、モヤモヤからムカムカになって、胸のあたりまでせり上がってきた感じ。食事が要らないなら要らないで、ちゃんとそう言えばいいではないか。 『無視』する必要などないだろう。

 アクアの苛立ちは、あまり意味のないことだ。アクアたちの心遣いと、アルジェントの感謝は、比例されるものではないのだから。そんな気分の時は誰だってある。人と関わりたくない時、自分だけでいたい時。


『そんなこと』は解っている!


 ただ、頭では理解していても、実際の感情はそうはいかなかった。胸のムカムカがキーンとなって、喉のあたりまで上がってきた。

 アクアは座っていた椅子を盛大に蹴り倒し、アルジェントの部屋へと走り出していた。

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