第10話:冬じたく
「コーネリィ? あれ、どこ行った?」
アクアは窓から顔を出し、裏庭を見まわした。先ほどまで裏の畑で草を食んでいたはずなのに、もう姿がない。どこへ行ったのだろう。
コーネリィというのは、数日前から塔で飼いはじめたヤギのことだ。
先日、グリフィン退治の報酬として、アクアは雌の家畜を求めた。
村人をはじめ、ゲイル老やアウローラもその唐突な要求に首をかしげたが、事情を説明すると快諾してくれたのだ。そのうえ、時期的に難しかっただろうに、まだ乳の出る若いヤギを連れてきてくれた。ありがたいことだ。
そんなこんなで、その白いヤギは『コーネリィ』と命名され、あらたな塔の住民となった。彼女は物怖じしない、おっとりとした性格のようで、一日の大半をのんびりと草を求めて塔の周辺を練り歩いている。不思議と敷地の外まで出ることはないし、畑の作物には手を出さなかった。はじめのうちは裏庭に繋いでいたのだが、今は彼女の自由にさせているくらいだ。腹がふくれて眠くなれば、勝手に小屋に戻ってくる。
「さっきまで裏庭にいたんだけどな。どこ行ったんだろ?」
「賢い子だし、そのうち戻ってくるわよ」
アウローラは、ラム豆を踏みながら笑う。
「まあ、そうだね。チーズのための、乳をもらいたかったんだけど……」
アクアは少し残念そうに、手のなかにある空のバケツを見つめた。
冬の準備は着々と進んでいる。
乾燥させた豆はさやを外して瓶に詰め、湖で獲った魚を開いて燻製や塩漬けにし、大量の香辛料と共に肉を樽に漬け込み、細かく切った根菜を干して酢漬けにし、収穫した芋は土を落として地下蔵に詰め込む。
森の木を伐り薪にして積み上げ、コクバを拾って集め、寒さや雪に弱い薬草を塔の地下室に移す。羊毛のブランケットや絨毯、外套などの冬着を倉庫から引っぱりだし、よく晴れた日に陽に当て、ほつれがあれば繕った。
それでもまたまだ、やることは残っているのだ。
魔術の『修行』も、この時期は半休になる。ゲイル老の都合にもよるが、「朝から昼まで」と「昼から2刻」が基本的な修行時間だ。家事や買い出しなど日々の雑用や、依頼の有無しで、その通りにいくとは限らなかったが、今時期はそもそも午後の修行が、冬支度に充てられる。
修行はともかく、魔術の依頼は全て断るわけにもいかない。空いた時間にそれらをこなすことになるので、よりいっそう忙しくなる。
コーネリィの乳が出ているうちに、保存用のチーズを作っておきたかったのだ。アルジェントの偏食のこともあるが、人1人とヤギ一匹が増えたということは、当然、冬の用意も一人と一匹分増えたということだ。本来であれば、『冬支度をする人数』も一人分増えるはずなのだが……。アクアは、うんざりと肩を落とした。
「コーネリィはともかく、あっちの『白いの』も見あたらないんだよね」
「あ、そうなんだ……」
コーネリィはまだいい。彼女は自分自身が冬を越すために、食べられる時にたくさん食べて体重を増やしているのだから。しかし、アルジェントは違う。何をするでもなく、ふらりと姿を消してしまう。少しくらい、手伝ってくれてもいいのに。
アルジェントを見直したのは一瞬で、彼の態度はなんら変わらなかった。
グリフィンを倒したのも「喧嘩を売られたからだ」と言い放って、周囲を呆れさせていたし、本人の申告どおりにヤギの乳なら「少しは」口に入れるようになったものの、決して同じ食卓にはつこうとしなかった。
無遠慮でぶしつけな言動もそのままだ。
結局、アクアの「なんなんだ。あいつは?」という苛立ちはおさまらない。
チーズ作りは一旦あきらめて、アクアはアウローラの隣に座った。彼女に踏まれ、さやから飛び出したラム豆を、一粒一粒ひろいあげてザルへ移していく。そして虫に食われているモノや残った薄皮を取り除き、瓶に密閉して保存するのだ。これで春までもたせることができる。
「でも、なんか意外だったわ。アルジェントが、結果的にだけど『村人を助けた』ことも、アクアが報酬に動物を欲しがったのも。どういう風の吹きまわしなの?」
「別に。アルジェントだって『村人を助けるために』グリフィンを倒したわけじゃないみたいだし? 本人も、そう言ってたじゃない」
「でも一緒にいた人の話だと、アルジェントが言ったのって『うるさい、黙れ、下がれ』だけだったみたい。言い方はともかく、それってグリフィンを刺激しないように、ってことでしょ? それに……本当に人のことをなんとも思っていないとしたら、彼なら『村人ごと』吹き飛ばしていると思うわ」
「それは、確かに」
「まあ、『謎』ってかんじよね。でも私、前ほど彼のことが怖くないの。アクアだって何かしら思うところがあって、ヤギを手に入れようとしたんでしょう?」
「まあ、ね」
「ふふ」
「でも! 今は冬支度だよ! さすがに手伝ってほしい!」
「同意~!」
窓の外からコーネリィの鳴き声が聞こえてきた。どうやら戻ってきたようだ。
アクアは空のバケツを抱えると、意気揚々と裏庭へと向かったのだった。
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