「読書」という「刺青」

読書とは、こうも刺青に似た行為だったろうか。
読者諸兄姉の中には、「刺青」と聞いて谷崎潤一郎の短編が浮かぶ者もいよう。
あちらが刺青師の業ならば、この作品は作家の業を描破してみせる。題名のまま、作品の中心には「言葉を喰べる」美しい娘がいる。幻想文学を語る通り、設定こそ非現実的だが、原稿用紙から群青色の文字を抜き出し、肌に手指に這わせるようにして喰む姿は刺青を連想させる。作家なら、誰しも青褪めながら歓喜するだろう絶景。作品の前で、すべての書き手は主人公に共鳴するのではないか。

小説とは、「言葉」でありまた「文字の羅列」である。
文字が記録媒体であるなら、書籍とは最古の外部記憶装置とも言えよう。口碑、伝承の保存における脆弱さも娘には些事である。胸の内に、記憶に刻み込まれた言葉はまさしく刺青であろう。だがしかし、人間とはすべからく書籍に似ているのかもしれない。作中でも、人間を一冊の本に喩える場面がある。
それは娘だけでなく、生まれ死にいくすべての人間を指した台詞なのだ。

作中、執筆は「心に疵をつけることだ」と表現される。
ならば読書もまた、刺青と呼ぶに相応しい行為ではあるまいか。
読者の心の、そのうわべを彫り込んで消えぬ疵をつける。薫陶などという言葉では生温い。読者の魂をまっさらな絖地とする刺青師の業なのだ。己の血を、青墨と絞り出して注ぎ続けたいとの欲は、書き手が抱え続ける宿痾に似ている。娘と同じく、読書を通じて数多の人間は己の心と記憶に刺青を入れるのだ。
万年筆の先は、記憶に疵をつける剣先。青のインクは、書き手の心血そのものか。

戦前を髣髴させる硬派な文章。眩惑の、没頭するような美しい文章の篆刻。
作者に彫琢された言葉は、記憶野を彫り込むようにして脳裏に踊る。
この艶冶な刺青は、数多の読者を魅了してやまぬに違いない。

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