第03話 押し掛け狐

「お邪魔しています、明人様っ!」


「う、うわぁぁあああッ!? 何なんだよお前ぇえええええッ!?」


 明人はアパートに一人暮らしで、同居人などいるわけがない。


 しかし、今確かに明人の目の前にはある。

 リビングテーブルの前に置かれたソファーに腰掛ける美緒の姿が。


 公園で黄昏れている中で出逢った、幻の少女。


 先程は立派な白無垢を纏っていたが、今着ているのは楓の葉が描かれた着物で、恰好が軽くなっている。


 そのため、夜の公園では綿帽子のせいもあってあまり見えなかった少女の姿を、よりハッキリと認識することが出来た。


 年の頃は明人と同で、背は平均的。

 全体的に身体の線は細いが、出ているところはしっかりと出ている。

 肌も雪を欺く白さで、楚々と整った顔には紫紺の瞳が二つ。

 長く伸ばされた亜麻色の髪には癖一つなく、毛先に向かうにつれて髪色が白くなっている。


 文句の付け所のない清楚可憐な美少女だった。


 美緒は完全に硬直してしまっている明人にやや不満そうな表情を向けて、拗ねた口調で言った。


「もぅ、話の途中で帰ってしまうなんて、明人様酷いです……」


「えっ、あ、いやぁ……」


 明人は一歩後退る。


 状況の理解に数秒の沈黙を要してから、片手で顔を覆うようにして「はぁ……」とため息を吐いた。


「これは重傷だな……まさか、家の中でも幻覚を見てしまうとは……」


「幻覚……?」


 明人の呟きを拾った美緒が小首を傾げる。


「私、明人様に幻覚を見せるような術は掛けていませんよ……?」


「術? 術って何だ――って、いやそうじゃない。俺は今幻覚を見てるんだよ。なんか昔助けた狐が美少女になって家に押し掛けてくるっているなかなか末期な幻覚をな」


「なるほど、そういうことでしたか。でも、私は幻覚ではありませんよ。正真正銘、明人様に助けられた狐です」


 美緒はそう言って立ち上がると、怪訝な表情を浮かべる明人の前までやって来た。

 そして、どこか面白そうに笑う。


「ふふっ、信じられないとでも言いたそうな顔ですね」


「そりゃそうだろ。お前の言ってることは滅茶苦茶だ。お前はどう見ても人間で……狐じゃない」


「そうですね、今私は人間と何ら遜色なく見えているでしょう……ですから、私が狐である証拠をお見せします」


「証拠、だと……?」


 明人の疑問に答えるべく、美緒がそっと目を閉じ、呼吸と精神を整えるように長く息を吐いた。


 すると――――


 ……ピョコ、ピンッ!


「う、嘘だろ……!?」


「ふふっ、コレが証拠というものです。どうです? 信じていただけましたか?」


 明人は自身の目を疑った。

 無理もない。

 なぜなら、美緒の頭から…………


「み、耳が……ケモミミが、生えた……!?」


 美緒の髪色と同じ獣の耳。

 縦長で先端が鋭利に尖ったそれは、紛うことなき狐の耳だった。

 

 それだけではない。

 少し視線を下にやれば――――


「尻尾も生えてる……モフモフだ……」


 普通の人間にあるはずのない、獣の耳と尻尾。

 そんなものを見せられれば、美緒がただの人間でないことを納得せざるを得なかった。


 しかし…………


「い、いや……まだだ」


 明人は無理矢理に平静を装って言う。


「これもすべて、俺の脳が作り出してる幻覚……そう、ただの幻。妄想に違いない。妄想なら何だってアリだからな……」


 そんな言葉が口を衝いて出る。


 心の奥底ではもう目の前の光景がただの幻なんかではないことを理解していた。

 それでも、そんなことが認められるかと上辺で否定する。


「むぅ、明人様は疑い深い方ですね……」


 良いでしょう、と美緒は自信に満ちた表情を湛えて明人の方へさらに一歩近付き、頭上に立った耳をピョコッと震わせて言う。


「では、触ってみてください。もし私が明人様の仰る通りただのまやかしに過ぎないというのなら、この身に触れることは出来ない……違いますか?」


「あ、あぁ……」


「さ、どうぞ?」


 美緒がそっと目蓋を閉じた。


「……っ!?」


 まるで思い人からのキスを待つようなその仕草に、明人は不覚にも胸の奥を大きく跳ねさせる。


 しかし、今は目の前の少女の正体を明かすことの方が先決だと自身に言い聞かせ、ほんの気持ちばかりの冷静さを取り戻す。


(触れるわけがない。コイツは幻……疲れ切った俺の脳が癒しを求めて見せている幻覚……!)


 どこか願うようにそう心の中で言いながら、明人は恐る恐る右手を美緒の頭上へと伸ばした。


 目指すはその獣の耳。

 あと五センチ、四センチ、三センチ……と、美緒の耳と明人の指先との距離が近付いていき…………


 ピトッ。


「んっ……」


「なぁっ……!?」


 指先に凄く柔らかくて温かな感触。

 そんなわけがないと思って、明人はもう少ししっかりと触れてみる。


 右手で美緒の片方の耳の先端を優しく摘まむようにし、指先で弄ぶ。


「んっ……!」


 触れるたびに柔らかな毛が右手を楽しませてくれる。


 あまりの気持ちよさに、明人は意識せぬ間に左手でも美緒の耳に触れ、頭上に立つ二つのケモミミを堪能する。


(な、何だこの感触は……これまでの人生、何度か犬猫を撫でたことはあるが、それらとはワケが違う。永遠に触っていられる気持ちよさだぁ……)


「はぁっ……んっ……! あっ、明人、様ぁっ……!!」


「……あっ、す、すまん!」


 美緒の呼ぶ声で我に戻った明人。


 美緒が顔を真っ赤に染め上げている。

 熱を帯びて潤んだ瞳をすがるように向けてきていたことに気付き、慌てて両手を離した。


「も、もぅ! そんなに触って良いなんて言ってません! そういうときには、ちゃんと心の準備というものが必要なんですから……!」


「す、すみません……」


 明人は普通の人間なので、頭上に生えた耳を触られるのがどんな感覚なのかはわからない。


 それでも、美緒の様子を見て、少なくともただ頭を撫でられるのとは別種の感覚があることは理解した。


 そして、もう一つ理解した。

 最も重要なこと――――


「お前、本当に幻じゃないんだな……」


「ふぅ……まぁ、明人様が納得してくださったのなら、私も身体を張った甲斐がありました……」


 火照った顔を冷ますように手で扇いでいる美緒が、幻でないことは確かめられた。


 だが、そうすると明人の中に新たな疑問が浮かび上がってくる。


「ん? ってか、幻じゃないならどうやって部屋に入って来た? 俺ちゃんと玄関の鍵は掛けてるはずだし、ここ三階だからベランダからっていうのも無理だろ?」


「あぁ、それでしたら玄関からお邪魔させていただきましたよ」


「は? 話聞いてたか? 俺はちゃんと鍵は閉めたって――」


「ふふっ……扉の鍵など、でどうとでも突破できますから」


「よ、妖術?」


 また意味のわからないことを言い出したと思って、明人が頭上に疑問符を浮かべる。


 美緒は柔和な微笑みを浮かべた。

 明人から一歩分距離を取ってからスッと背筋を伸ばすと、所作美しく頭を下げる。


「私は昔、明人様に助けられた狐……由緒正しきの一族の娘」


 顔を上げた美緒が、微かに恥じらいを含んだ微笑みを湛えて言う。


「不束者ではありますが、どうか末永くよろしくお願いします。明人様っ……!」


 そんなことを言う美緒を前にして、明人は苦笑いを浮かべながら心の中で呟いた。


(ど、どうやら、まだコイツについて色々聞かないといけないっぽいな……)

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