第10話 しつこい狐

 明人が食べ終わったあとに、美緒も夕食を済ませた。

 そのあと、明人は使った食器をキッチンで洗っていた。


 当然美緒が「洗い物は私が!」と名乗り出てきたが、頼んでないとはいえ料理を作ってもらったうえに洗い物までさせるのは気が引けたので断ったのだ。


「そういや、狐。お前この食材買うお金はどうした?」


 残り数枚の皿を洗いながら、明人がキッチンから尋ねた。

 リビングソファーに座っていた美緒が明人の方へ顔を向ける。


「もちろん、自分のお金を使いましたよ」


「……葉っぱとかじゃないだろうな?」


 狐や狸が葉っぱを使って変身したり、まやかしの物を作ったりするイメージがある。


 そう思って明人は聞いたのだが、美緒に「違いますよっ!」と怒られてしまった。


 洗い物を終えた明人。

 キッチンから出てリビングに戻る途中、美緒の料理の味を思い出した。


(マジで美味かったな……)


 最初期待していなかっただけに、食べたときの衝撃は大きかった。


(それにこの狐、俺が美味しいって言ったら凄く嬉しそうに喜んで……)


 自分の出した料理が褒められるのは嬉しいものだ。

 特に、それが意中の相手ともなればなおさら。

 明人にもその気持ちがよくわかる。

 似たような経験があるからだ。


(ま、俺の場合はたった一杯のコーヒーだったけどな)


 明人はこの街に来てから喫茶店でバイトをしている。

 そして、たまたまその店の常連に奏斗の好きな相手が――空御門瑠衣がいるのだ。


『貴方の入れるコーヒー、凄く美味しいわ』


 マスターに教わりながら何度もコーヒーをドリップする練習を重ね、初めて瑠衣に出したときにそう言われた。


(あのときは、危うくガッツポーズしかけたもんな)


 思い出すと可笑しくなって小さな笑みがこぼれた。

 だが、同時に失恋の痛みがズキッと胸の奥に刺さる。


(って、いかんいかん。気持ちを切り替えないと。それに今は感慨に浸ってる場合じゃねぇ……)


 美緒の傍に、腰に手を当てて立つ明人。

 呆れた半目で見詰めながら、ため息交じりに言った。


「ほら、狐。さっさと帰れ」


「えぇ、酷いです明人様! 折角お料理もお出ししたのに……!」


 スッと立ち上がった美緒が、明人の手を取ろうとしてくる。

 明人は一歩後退って距離を取り、回避する。


「料理は美味かった。正直めっちゃ美味かった。けど、それはそれこれはこれだ」


「そんな殺生な……」


「殺生じゃない。こういっちゃなんだが、別に俺は夕食作ってくれなんて頼んでないだろ? 頼み事は初めから一つだけ。出て行ってくれ、だ」


「むぅ……」


 美緒はシュンと耳と尻尾を垂れさせた。

 そんな姿を見ると、やはり明人の心は妙な罪悪感に痛まされた。


(んぁあああ! 何で俺がコイツのために毎度毎度申し訳なく思わないといけないんだよ!?)


 間違ったことは言っていない。

 勝手に押し入ってきているのは美緒。

 追い出しても懲りずに戻ってくるのは美緒。

 それを鬱陶しく思うのは当然の心だ。


 だが、どうしても明人は美緒の悲しそうな姿を見ると、胸の奥に棘が刺さったかのような痛みを覚える。


 瑠衣のことを思い出して胸が締め付けられる痛みと、どこか似ている気もした。


「……わかりました、明人様。ですが、またお邪魔させていただきますっ!」


「お邪魔すんな!?」


 そんな明人のツッコミ聞いているのかいないのか。

 美緒は所作美しく頭を下げてから、玄関を出て行った。


「……ったく、アイツも懲りないな……」


 明人は美緒が去ったあと、玄関の鍵とドアチェーンを掛けておいた。



◇◆◇



 数日が経過した――――


「はぁ……追い出しても追い出してもしれっと翌朝には帰ってきやがって……」


 今日も変わらず、美緒は明人の家にいる。


 追い出しては戻ってきて、追い出しては戻ってきて、追い出しては戻ってきて……もう一体何度繰り返したことか。


 朝起きたら勝手に布団の中に潜り込んでいた……ということはなくなったが、朝リビングに向かうと必ずソファーに座っているのだ。


 明人は美緒が勝手に用意した朝食を食べながら、ブツブツと文句を溢す。

 美緒はそんな明人の様子を、ただニコニコと見守っているだけ。


「ってか、狐。俺に追い出されたあと何してんだ?」


「何、と言われましても……夜ですから寝ていますよ?」


「寝る? どこで?」


「そうですね……あまり人目のつかないところでしょうか。公園の隅や、路地裏――」


「――ちょ、ちょい待て!」


 美緒が平然と聞き捨てならない言葉を口にするので、明人は危うく飲んでいた牛乳を拭き溢しそうになる。


「お前、それ本気で言ってんのか!?」


「えぇ、もちろん」


「そ、それは……」


 あまりに不用心では?

 と、明人は頭の中で美緒が夜一人公園の隅や路地裏で寝ている姿を想像する。


 もう来月には冬を待たせているこの季節。

 夜はそれなりに冷え込む。


 容易に美緒が身体を丸めて震えている姿が想像出来た。


(……って、こんなことにもなりかねんよな……?)



『――ん、君どうしたの? もしかして家出?』


 会社帰りのオジサンが、公園の隅で蹲る美緒に話し掛ける。


『家出……ではありませんが、まぁ、似たようなところですね』


『ありゃ~、それは可哀想に』


 オジサンは美緒の頭のてっぺんから足の先まで見る。

 ニヤリと顔を歪ませ、舌なめずり。


『良かったらオジサンの家来るかい?』


『え……?』


『こんなところで寝ちゃ、風邪引いちゃうからさ。オジサンの家あったかいよ?』


『で、ですが……』


『ほら、遠慮しないで。こっちこっち――』


『――あ、ちょ』


 半ば強引に手を引かれていく美緒。

 オジサンの家に到着。

 未婚なのか真っ暗な家には誰もいない。


『お、お邪魔しま――きゃっ!?』


『はぁ、はぁ、はぁ……』


 美緒がオジサンに後ろから抱き着かれる。

 熱く、荒い息を上げるオジサン。


『や、止めてください……!』


『ふへへ、止めないよ。美緒ちゃんって言ったっけ? 君もこういうことを期待してのこのこついてきたんでしょ?』


『ち、ちがっ……やめてください……!』


『ぐへへっ……美緒ちゃんの身体測定を始めま~す。まずはスリーサイズから――』



(――ありえる。世間知らずなこの狐なら、全然あり得る……!)


 明人は勝手な想像で少し恥ずかしくなりながら、恐る恐る美緒を見た。


「明人様?」


「お、お前……絶対知らないオジサンについていったりするなよ?」


「し、しませんよっ! って、明人様、何想像してるんですか!?」


 美緒がそう叫んでソファーから勢い良く立ちあがる。

 顔はカァ、と真っ赤に染まっていた。


 どうやら先程の間で明人がどんなことを想像していたのかを察したらしい。


「い、いや、別に……」


「もぅ、明人様ったら卑猥なんですから……」


 美緒が不満げに唇を尖らした。

 半目に細められた紫紺の瞳にジッと見詰められ、明人は居たたまれなくなり顔を背ける。


「言っておきますけど、私この姿で眠っているわけではありませんからね? 完全に狐の姿になってますから、万が一人が来ても動物がいるくらいにしか思われませんよ」


「な、なるほどなっ。完全な狐……そっか、子供の頃お前と会ったときも子狐の姿だったもんな。そりゃ、狐の姿にもなれるよな。あはは……」


 明人は早とちりな想像を膨らませていた申し訳なさから、ぎこちなく反応する。


(けどまぁ、そうなるとモフモフの毛皮で寒くもないのか……?)


 完全な狐になった美緒の姿を想像する明人。

 耳だけでも癖になりそうな触り心地だったのだ。

 全身ともなるとさぞかし気持ちの良いことだろう。


(ま、まぁ……口が裂けても、今ここで狐になってモフらせてくれとは言えん……)


 明人はそう思って苦笑いを浮かべる。

 美緒はまた明人が変な想像をしていると勘違いし、自分の身体を腕で抱いた。


「明人様ぁ~!?」


「ち、違うってもう考えてない!」


 明人は首と手をブンブンと振って否定する。


「ってか、何でそこまでするんだよ……」


「……ふふっ、そんなの決まっているじゃありませんか」


 先程までの疑うような視線はどこへやら。

 美緒は愛らしく微笑んで、明人の傍までやって来た。


 紫紺の瞳に恋慕の光を揺らめかせ、じっと明人を見詰めて言う。


「心からお慕いしているからです。この気持ちが、何があっても明人様のことを諦めないと思わせてくれるのですよ」


「~~っ!?」


 明人は自分の顔が急激に熱くなるのを感じた。

 美緒の視線から逃れるように、顔を背け、吐き出すように言う。


「お、お前っ、そういう恥ずかしいことをサラッと言うな……!」


 明人は食器を持ってキッチンに向かった。


 どうしようもなく早まる鼓動を、見て見ぬ振りするように――――







【あとがき】


 引き続き読んでいただきありがとうございます!


 もしお楽しみいただけているようでしたら、まだの方はぜひ作品のフォローや☆☆☆評価をよろしくお願いします!


 皆様の応援が作者の励みとなりますので!


 あと、近況ノートに当作品メインヒロイン『狐坂美緒』のイラストを掲載しておきますので良ければご覧くださいな!


 ではっ!

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