第09話 狐の手料理
「では、明人様はゆっくりなさっていてくださいね」
「そりゃまぁ、ここ俺の家だし……ってか、お前は何する気だよ」
美緒がショッピングバッグを持ってキッチンへ向かっている。
明人はまさかと思いながら、念のため尋ねておいた。
「何って……料理ですよ?」
案の定の答えが返ってきた。
何を当たり前のことを、とでも言いたげな表情をしている美緒。
明人はそんな彼女に疑うような半目を向けた。
「お前、料理出来るのか? インスタント食品すら知らなかったのに?」
「むっ」
明人の言葉を不服に感じたのか、美緒がぷくぅと頬を膨らませた。
「確かに私は人間の文化や文明に疎いですが、料理だけは別ですよっ」
「にわかに信じられんが……」
「んもぅ、明人様は疑い深いんですからぁ……」
はぁ、と小さくため息を吐く美緒だったが、すぐに真剣な表情で言った。
「良いでしょう。そこまで言うのであれば――」
美緒はショッピングバッグを一旦床に置いた。
着物の袖口に仕舞ってあった白い布紐を取り出す。
ヒュルヒュル……キュッ!
料理するのに邪魔な袖を手早く縛って結んだ。
気合充分。
そんな面持ちで、美緒はグッと拳を握り込んで胸の前に持ってくる。
「明人様自身で確かめてみてください。私の料理の腕をっ!」
「……薬とか盛るなよ?」
「うぅ、酷いです明人様。私だって傷付くんですからねぇ……!?」
流石の美緒も、ちょっとだけ涙目になっていた――――
◇◆◇
「――美緒。何をやっているのだ?」
「あっ、お父様」
まだ美緒が十歳になったばかりのある日。
美緒が何やら台所でゴソゴソしていると、後ろから美緒の父が声を掛けてくる。
美緒はやる気に満ち溢れた表情で振り返った。
「私、今からお料理の勉強をするところなのですっ」
「料理? どうしてまた急に……?」
父は首を傾げた。
いつも家では使用人が料理を作っている。
美緒が料理を出来るようになる必要などどこにもないはずだ。
美緒は不思議そうにする父に、幼いながらも決意の籠った視線を向けて言う。
「それはもちろん、あきと様のためです。いつか、私があきと様をお傍で支えられる存在になるために必要なのです!」
「はぁ、またその“あきと”なる人間のことか……」
一年程前だ。
一人で山に出て川に溺れそうになった美緒が、人間の少年――明人に助けられたのは。
それ以降、美緒は事あるごとにあきと様あきと様とその名を口にするようになった。
「良いか、美緒」
父は幼い美緒と視線の高さを合わせるように屈んだ。
その表情は子供に大切なことを言い聞かせる親のもの。
「我らは妖怪。人とは相容れぬ存在だ。そのあきととやらも例外ではないのだよ」
「……?」
「美緒が何に興味を持とうがそれは自由だ。だが、執着はするな。特に人間にはな。まして――」
執着以上の感情などは――と父は言い掛けたが、言葉はそこで止めた。
「……いや、何でもない」
まだ幼い美緒に言っても理解出来ない。
第一、美緒の感情は多少の恩義と好奇心。
それ以外の感情であるはずがない。
そう考えた結果の判断だった。
「ともかくそういうことだ。まぁ、料理がしたいというのは止めんよ。しっかり励むと良い」
父は立ち上がり、台所をあとにした。
(お父様の言うこと、よくわかりませんが……)
美緒は父が消えていった方をしばらく見詰めたあと、傍にあった木箱を台所に移動させた。
床に置き、それを足場にして小さな背を補う。
(私は、この胸の高鳴りに従います……!)
美緒はまだ幼く、心の内に姿を見せる感情の正体を正しく理解していないのかもしれない。
父の思った通り、恩義や単なる好奇心の可能性もある。
また逆に、それ以上の感情である可能性も。
だが、それでも確かなことがあった。
あきとのことを考えるとどうしようもなく幸せな気分になるということ。
そして、もう一つ――――
「参ります。いざ、料理っ……!!」
「ちょ、美緒! やはり誰かに教えてもらいなさいっ!?」
――ちょっとばかり、歯止めが利かなくなること。
やはり一人で料理をしようとする美緒が心配だったのだろう。
遠間から見守っていた父が、美緒が包丁を逆手に構えたのを見て駆け出して行った。
◇◆◇
「さ、明人様。出来ましたよ」
明人がリビングソファーに座って待つこと一時間弱。
キッチンから出てきた美緒が、明人の前に料理を並べていく。
「お、おぉ……?」
茶碗によそわれた炊き立ての白米。
鶏肉としめじのソテー。
里芋のそぼろ煮。
具沢山の味噌汁。
……と、献立はそんな感じ。
明人は反応に困った。
確かに美緒本人は、料理は出来ると豪語していた。
しかし、インスタント食品すら知らない者がまともに料理できるわけがない。
明人はそう思っていた。
だが予想に反して、目の前に出された品々はまず見た目が綺麗。
(てっきり、お約束のモザイク必至みたいなゲテモノが出てくるかと思ってたが……)
おまけに香り豊か。
一品一品から食欲をそそる匂いが立ち上り、否応なしに明人の鼻腔を楽しませる。
(お、美味しそう……)
明人は心の中で素直な感想を呟いた。
ただ、妙に悔しいのでその言葉を口には出さない。
「ど、どうでしょうか……?」
美緒がそわそわした様子で尋ねてくる。
明人はソファーから腰を上げて、リビングテーブル近くの床に座り直した。
「ま、まぁ……見た目は良いんじゃないか? 見た目はな?」
要は味だ、と明人は素っ気ない表情を作って言う。
まだ負けてない、と駄々をこねるような子供の顔にも似ていた。
明人は手を合わせて小さく「いただきます」と呟く。
箸を手に取り、目の前に並べられた料理を眺める。
(結局料理は
明人はまず鶏肉としめじのソテーに箸を伸ばした。
口許まで持ってくると、ガーリックの香りが一層食欲をそそってくる。
明人はゴクリと一度喉を鳴らしてから、一口大にカットされた鶏肉を口に入れた。
咀嚼。
すると――――
「んっ……!?」
「あ、明人様……?」
緊張した面持ちで見守る美緒の視線の先で、明人が思わず声を漏らした。
(な、なんだコレはっ!?)
咀嚼した瞬間鶏肉から溢れ出すジューシーな肉汁。
バターのコクとガーリックの旨味が奏でる旋律が鶏肉本来の味を引き立てている。
しかし、何より注目すべきは醬油加減。
多すぎると味が濃く辛くなるし、少なすぎると物足りない。
長く料理をしてきた者だけが辿り着くことの出来る、完璧なさじ加減。
目立たないながらも、確実に伴奏を担当していた。
(う、美味すぎ――って、いやいやいや。待て、落ち着け俺)
明人は一旦心の底から沸き起こる感想を押し止め、冷静に考える。
(騙されるな。ニンニクを使えば腕に関係なく基本料理は美味くなるはず! そう、これはあくまでにんにくの力! 決してこの狐の実力ではない!)
奏斗は咀嚼した料理を飲み込んだ。
一度深呼吸をし、精神を整える。
(ったく、にんにくの力に頼るとは……外道め! 俺は騙されないからな。その化けの皮、副菜で剥がしてやる!)
次に明人は里芋のそぼろ煮を箸で掴んだ。
サッと口に放り込む。
咀嚼。
そして…………
「っつぁ……」
明人は目蓋を閉じて顔を天上の方へ持ち上げた。
(うっま……いや待ってくれ。マジで美味しい。いやぁ……泣きそう……)
里芋特有のとろみが活かされた煮物。
醤油やみりん、砂糖などで味付けされた汁だけじゃない。
そぼろから滲み出た豚肉の旨味が溶け込んでいる。
一体どんな工夫があるのか明人にはわからないが、作ったばかりの今ですら里芋に問題なく味が染みている。
明日や明後日にはもっと味が染みて、より美味しくなる可能性を秘めていた。
奏斗はこのあとも料理を食べ進めた。
味噌汁には豆腐やネギだけでなく春菊も入っており、他二品同様非常に美味だった。
カチャ、と明人は箸を置いた。
目の前に並べられていた料理を完食。
今は空き皿だけがそこにあった。
茶碗には米粒一つ付いていない。
「その……いかがでしたか、明人様……?」
黙々と食べ進める明人を邪魔しないよう、今まで静かに傍で見守っていた美緒。
明人が完食した今、不安の色が滲む表情で明人に感想を求めた。
「……」
明人はなかなか口を開かない。
空っぽになった皿を物言いたげにジッと見詰めたまま、何も言わない。
沈黙が長引くにつれ、美緒の不安は大きくなっていく。
「やはり……お明人様の口に、合わなかったでしょうか……?」
消え入りそうな声でそう言う美緒の狐耳と尻尾がしなだれる。
明人の顔に浮かぶのは、不満、不服の色。
だがそれは、明人のややひねくれ気味な性分のせい。
「……かった」
「え……?」
明人の呟きに、美緒がピクリと耳を動かした。
よく聞こえなかったため聞き返すと、明人は顔をプイッと背けて再度呟く。
「だ、だから、その……美味しかった……」
「~~っ!?」
今度はきちんと、鮮明に聞き取れた。
美緒の頭上で狐耳が垂直に立ち上がり、尻尾は左右に大きく揺れる。
「ったく、得意の妖術とやらで味誤魔化してないだろうな~?」
「ふふっ、妖術など使っていませんよ。正真正銘……私の明人様への想いと同じ、嘘偽りのない本物の味ですっ!」
「そ、そうかよっ……!」
ごちそうさま、と明人はぶっきらぼうに言って立ち上がろうとする。
「えいっ、明人様ぁ~!!」
「ちょ――うおわぁっ!?」
しかし、美緒が飛び切りの笑みを浮かべて飛びついてきたので体勢が崩れる。
明人は床に押し倒され、美緒に覆い被さられた。
「は、離れろ……離れろって……!」
「いやで~す。えへへっ……!」
「んぁあああ、もうっ! 勘弁してくれぇえええええ!!」
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