第02話 狐との出逢い
「……長居しすぎたな。そろそろ帰ろ」
流石に身体も冷えてしまった。
早く帰って温まった方が良い。
そう思って明人が公園のベンチから腰を上げたとき――――
パチン……パチン、パチン。
公園を照らしていた街灯が三つとも切れた。
先程までどれもが変に明滅したりせず、しっかりとした光を放っていたはずだ。
(急に全部切れるとかあるか? まだ一つだけとかなら故障なんだろうなとは思うけど……)
明人もこの状況には不気味さを感じずにはいられなかった。
早く帰ろう――そう思って一歩踏み出した瞬間、
ボゥッ!!
「なっ……!?」
突如として、明人の進行方向に赤紫色の焔が灯った。
その焔を切っ掛けにして、一つ、また一つ……と暗闇に閉ざされた公園内に次々と新たな焔が灯っていく。
見渡すと、公園内が焔によって怪しく照らし出されていた。
その異様な光景を目の当たりにした明人は、思わず一歩後退る。
(こ、これ、狐火ってヤツかっ……!? でも、何でこんなところに……!?)
明人が驚愕のあまり目を見開いて固まっていると、その視線の先に何かが空からゆっくりと降りてきた。
時代劇や歴史資料館などでしか見ることがないような、立派な駕籠。
それも高貴な者が乗るような立派なもので、黒い外装には金の装飾が施されている。
(か、駕籠!? マジでどうなってんだよこの状況……!)
ただ、明人が知識として覚えている駕籠とは決定的に違う点が二つあった。
一つは、駕籠が宙を飛んでいるということ。
もう一つは、駕籠を担ぐ人物が存在しないということ。
代わりに、狐火が本来担ぐ人がいるべき位置に灯っている。
(……意味がわからん!)
やがて明人の前で制止した駕籠が、その扉を開けた。
ゴクリ、と明人が固唾を呑んで注視していると――――
「お久し振りです、明人様……」
中から白無垢に身を包んだ少女が、そう挨拶を口にしながら降りてきた。
(お、女の子!? それもこの格好――って、いやいや! それ以前に何でコイツ俺の名前知ってんだ……!?)
あまりの情報量の多さに明人は困惑する。
だが、少女は既に奇々怪々なこの状況でさらに追い打ちを掛けてきた。
「昔助けていただいたご恩をお返しすべく、嫁いで参りました。えへへ……」
そう言ってはにかむ少女は、それはそれは息を呑むほどに美しく、可愛らしいことに間違いはないのだが…………
「いや、誰ッ!?」
明人の口を衝いて出た最初の言葉は、当然の疑問だった。
確かに目の前の少女は物凄く可愛い。
意味のわからない状況下とはいえ、こんな美少女に『嫁いで参りました』などと言われれば多少男心が擽られるというもの。
しかし、それ以前に明人はその少女に見覚えがない。
一度見たら忘れそうもないほど綺麗な少女だが、いくら記憶を辿っても見当たらない。
(で、でもコイツは、俺のことを知ってる……?)
少女は間違いなく明人の名を口にしていた。
(ま、マジでどうなってんだよ。急にわけわからん駕籠から場違いな格好した謎過ぎる女の子が出てきて……挙句の果てに嫁いで来たとか、意味わからなすぎだろ……!)
一体どこから突っ込んだらいいんだ!? と、明人は頭を抱えた。
少女は明人が困惑しているのを見て、柔和に微笑む。
「
「この姿? お前さっきから何言って――」
「私は昔、幼い明人様に川で溺れそうになっているところを助けられた狐です」
「…………は?」
「覚えていらっしゃいませんか? ほら、明人様のお爺様とお婆様が住んでらっしゃる田舎の山で……」
「い、いや、それはもちろん覚えてるんだが……」
そういうことじゃないだろ、と明人は言いたい。
もちろん小学校低学年のときに祖父母が暮らす田舎の山で溺れかけていた子狐を助けたことは覚えている。
そう、助けたのは狐。
正真正銘の食肉目イヌ科の狐だ。
決してヒト目ヒト科の中でもとびっきり容姿に優れた“美少女”という名の厳選個体ではない。
と、そこまで考えて、明人は一つの結論に至った。
至極真っ当で、非常に現実的な唯一解だ。
「あ、なるほど……疲れてんだな、俺。あぁ、疲れてるんだ」
「あら、お疲れなんですか?」
こうやって心配そうに首を傾げてくる目の前の美少女は、幻覚。
疲労感のあまり脳が癒しを求めて明人に見せている、まやかし。
明人はそう結論付けた。
眼前の光景は幻覚。
そんなものにこれ以上付き合ってる時間が惜しい。
「あの、明人様?」
(それにしても、まさかこんな幻覚を見るほど失恋のショックが大きかったとは……)
やはり心労の一番の原因は、空御門瑠衣にフラれたことを諦め切れずにずっと引き摺ってしまっていたことだろう。
実際、玉砕してからここ二週間は何事にも手がつかず、どこか上の空だった。
元々何かに積極的に取り組むタイプではないが、ここまで無気力でもない。
「明人様? もしも~し?」
(けど、いくらショックだったからって……何が悲しくて美少女の幻覚なんざ見せられないといけないんだ……)
そこはせめて意中の相手にして欲しかった――という本音は、心の奥底に仕舞っておく。
それより、今大事なのは自分が幻覚を見るほど疲れてしまっているということ。
休息が必要だ。
「さっさと帰って、さっさと寝よ……」
明人はまるで目の前の出来事など何も見えていないかのように、少女――美緒の横を通り過ぎる形で小走りに駆け出した。
「え……? あっ、ちょ――明人様っ!?」
美緒は慌てて手を伸ばすが、その指先が明人の背中に届くことはなく、ただ虚しく虚空を掴むだけだった――――
◇◆◇
二十一時過ぎ。
帰宅した明人は、自室に荷物を置いてから入浴する準備を行った。
幻覚を見てしまうほど疲労が溜まっているんだと知った明人。
少しでも身体の疲れを取るために、今日は浴槽に湯を張って浸かることにした。
浴室を洗って、お湯張りの完了を告げる電子音が鳴るまでしばらく待つ。
その間に、今日学校で出された課題を済ませておく。
そして――――
「ふぅ……久し振りにお湯溜めて入ったら気持ちいな。これから寒くなるだろうし、お湯を溜めるのも悪くない、か……」
三十分近く掛けて風呂を堪能した明人。
洗面所で寝間着に着替え、ドライヤーで雑に髪を乾かしてからリビングに向かう。
「夜ご飯どうするかなぁ……」
そんな明人の独り言に、鈴を転がしたような声が返事をした。
「冷蔵庫の中身と相談してはいかがですか?」
「それが、冷蔵庫の中身ほとんど切らしてたんだよなぁ……」
「んもぅ、食材のストックはきちんと管理しなきゃダメですよ?」
「はは、だよな。でもしょうがない。今晩は適当にカップうどんでも食べて早く寝るか……って、え……?」
明人は足を止めた。
明人はアパートに一人暮らしの身。
当然同居人などいるわけがない。
そしてさらに当然ながら、家の中から返事が返ってくるなどありえるはずもなく…………
「えへへ……お邪魔しています、明人様っ!」
リビングに、先程公園で出逢った謎の少女――美緒の姿があった。
一時の静寂が訪れ――――
「う、うわぁぁあああッ!? 何なんだよお前ぇえええええッ!?」
アパートの一室に、明人の絶叫が鳴り響く。
明人は高校生にもなって少しちびってしまったが、この状況では大半の者が仕方ないと許してくれることだろう――――
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