第05話 狐は狩人なのだそう
「ご馳走様でした、明人様」
「いや、単なるインスタントだし、そういうのいいって……」
リビングテーブルの上には、カップうどんの空容器が二つ並んでいた。
明人は自分のものと一緒に美緒の容器も回収して立ち上がると、キッチンへ歩いていく。
空容器を一度水ですすいでから、ペダルで蓋が開閉するタイプのゴミ箱に放り込んだ。
明人がリビングに戻ってくると、美緒が不思議そうに目を丸くして感嘆の音を溢す。
「なるほど……あれが
「巷で有名って……お前、インスタント食品知らなかったのか?」
「い、いえ! そう言うものがあるということだけは耳にしていましたよ!? ですが、お湯だけで料理が出来上がるなんて、そんなまさかと……」
「嘘だと思ってたのか」
「は、はい……妖術で料理が出来たように見せかけるなら別ですが」
「いや、妖術じゃお腹に溜まらないだろ」
「で、ですよね……」
曖昧な笑みを浮かべる美緒。
明人はそんな姿を見て思った。
(コイツ、田舎も田舎……それも山の中で生活してたせいで、人間社会に疎いのか……?)
まぁ、そんなことはどうでもいいか――と、明人はため息を一つ。
このままだとずっと居座りそうな美緒に、呆れた視線を向けた。
「おい、お前いつまでここにいるつもりだ……」
「えっ?」
「『えっ?』じゃねぇよ。俺、そろそろ寝たいんだけど……」
「あっ、お休みですか? では私は
「いや、帰れッ!?」
明人は思わず声を大きくしてツッコミを入れてしまった。
「そ、そんなっ、明人様どうしてっ……!?」
勢いよく立ち上がった美緒。
明人の傍まで駆け寄ると、どこか祈るように両手を胸の前で握り合わせる。
明人は面倒臭そうに後ろ頭をガシガシと掻いてから答えた。
「まぁ、お前の話はわかったよ。お前は俺が昔助けた狐……それもただの狐じゃなくて妖狐。んで、その恩を返すためにここに来た」
「そうです! いえ、より正確には嫁ぎに参ったのですが――ともかく、私は今後明人様のお傍で誠心誠意尽くすつもりです!」
美緒が興奮気味に言いながら、一歩踏み出してくる。
明人はそれに対して一歩後退って必死に答える。
「いやいやいや、そこまでしてくれなくていいから! 昔助けられたからその礼を言いに来た――それで良いって!」
「そういうわけにはいきません! 明人様が助けてくださったあの日より、この身も心も命さえも明人様のモノですっ!」
さらに美緒が一歩踏み出してきた。
明人はリビングの壁に押しやられながらも、全力で首を横に振った。
「要らんっ! めちゃくちゃ要らん!!」
「そ、そんな……」
美緒の頭上から生える狐耳と尻尾がしなだれる。
そんな姿を見せられると明人も若干申し訳ない気分になるが、真っ当なことを言っているのは明人の方であることは確かだった。
明人は美緒の手を引いて早足で玄関へ向かうと、ガチャッ! と扉を開ける。
「ほら、狐。さっさと帰るんだ」
「むぅ……」
開かれた玄関扉を不満げに睨んだまま、動かない美緒。
そんな美緒に「出ていけ」と無言の視線で訴え掛ける明人。
しばらく硬直したままの両者だったが…………
「はぁ、わかりました。今日は私も無理に押し掛けてしまいましたし、これ以上明人様にご迷惑を掛けることは望みません……」
折れたのは美緒の方だった。
明人は安堵したように息を吐く。
「理解のある判断に感謝する」
「ですが、私は諦めませんっ!」
「前言撤回。お前は今すぐ俺の心中を理解する努力をしてくれ」
明人はずっ転けそうになりながら、今日でもう何度目かわからないため息を溢した。
「先程も申しましたが、私は明人様を心よりお慕いしております」
「……っ!」
妖怪のくせに――妖狐のくせに化かし一つ存在しない真っ直ぐな本心に、明人の胸の置くで心臓が跳ねる。
「狐は狩人……狙った獲物は逃しません。絶対に……!」
それは、間違いなく宣戦布告だった。
美緒は熱を帯びつつも真剣な眼差しを一度明人に向けてから、ゆっくりと歩き始める。
「じゃあな、元気で」
明人は美緒が玄関を出たところで、そう別れの挨拶を口にする。
不覚にも美緒にドキッとさせられたことを認めたくないように、その態度は冷たすぎるまでに素っ気ない。
普通は意中の相手にそんな態度を取られれば傷付くもの。
しかし、美緒は違った。
これしきのことで心折られるような半端な覚悟でこの場に現れていない。
美緒は明人に振り返って立ち止まると、可愛らしく微笑んで言った。
「ふふっ、明人様……ではまた」
(コイツ……)
明人は最後に一度美緒へ細めた目を向けてから、扉を閉めた。
「……」
先程までの騒がしさはどこへやら。
一気に部屋の中がいつも通り独り暮らしの静けさへと包まれる。
そんな静寂の中で、明人の頭の中に美緒の台詞が横切った。
『ふふっ……扉の鍵など、妖術でどうとでも突破できますから』
「……」
明人は部屋へ戻ろうと踏み出していた足を止める。
振り返り、閉まった扉をジッと見詰めて………
ガチッ。
駄目押しとばかりに、ドアチェーンも掛けておいた。
「はぁ……歯磨きして、さっさと寝よう……」
明人は疲れたように呟くと、力のない足取りで洗面所へ向かっていくのだった――――
◇◆◇
翌朝。
カーテンの隙間から差し込んでくる旭光が、ベッドで寝ている明人の顔を照らす。
深いところに沈んでいた明人の意識が、徐々に浮かび上がってくる。
「ん……」
昨日色々あったせいか、いつもに比べて身体の疲れが抜けきっていないような気がする。
それでもずっと寝てはいられない。
明人の体調や気分とは関係なしに、学校というものがあるのだ。
(さて、起きるか……)
もう冬も目前。
布団から出る難易度は暖かい季節の比ではない。
明人は取り敢えず重たい目蓋を持ち上げることにした。
すると――――
「……?」
真っ先に視界に映ったのは、顔。
絶句するほど目鼻立ちの整った、白くて可愛らしい少女の顔。
次に見たのは、その少女の頭上から生えるケモミミ。
髪と同じ亜麻色で先端の毛は白い。
今、自分が置かれている状況の判断がつかない。
ただでさえ寝起きで思考が曖昧なのだ。
目の前の光景を理解するのにしばしの時間を要し――――
「うおわぁっ!?」
明人はベッドから飛び起きた。
勢い余って床に転がり落ちて尻餅をつくが、痛みなど気にしていられない。
「お、おまっ、おまっ……!?」
驚愕のあまり上手く言葉を紡げずにいると、明人の視線の先でその少女が目を覚ました。
「うぅん……明人様ぁ……?」
見間違いじゃない。
ゆっくりとベッドの上で上体を起こし、目を擦るその少女は美緒だ。
頭上に狐の耳、腰の下からフサフサの尻尾を生やし、明人のことを『様』と敬称をつけて呼ぶ者など美緒しかいないのだ。
身に付けている浴衣は気崩れており、襟元が大きくはだけている。
そこから大きすぎず小さすぎず、まるで美緒の身体に完璧に合うように設計されたかのような胸の膨らみが半分ほど晒されていた。
しかし、美緒はそんなことを気にしていない。
床に尻餅をついた状態のまま目を見開いている明人へ、美緒はとろけた笑みを向けた。
「えへへ……おはようございます、明人様ぁ……」
「か、勘弁してくれマジで……」
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