第04話 ただの狐じゃないらしい

「はぁ、情報量が多いなぁ……」


 美緒を前にして、明人は顔を手で覆ってから長くため息を吐いた。


 さて何から聞いたものか、と考えていると――――


 ぐぅ~、と明人の腹の虫が間抜けに鳴った。


「……取り敢えずお腹減った。話の続きは食べながらにしよう」


「何かお作りいたしましょうかっ!?」


「いやいい。冷蔵庫の中空だし、今日は手早く食べて寝るつもりだから」


「そ、そうですか……」


 ピンと立っていた美緒の狐の耳が、残念そうに垂れ下がる。


 それを見て、明人は申し出を断ってしまったことに若干の申し訳なさを感じながらキッチンへ向かう。


 戸棚の前に立ち、仕舞ってあったカップうどんに手を伸ばした。

 しかし、寸前でその手を止めた。


 客(正確には押し掛け)がいるのに、自分一人だけ食べるのも妙に居心地が悪いなと思ったのだ。


「……なぁ、狐。お前も食べるか? カップうどんだけど」


「えっ、よろしいのですか!?」


「まぁ、俺一人だけ食べるのも気まずいし……」


「で、では、お言葉に甘えて……!」


 明人の誘いに、美緒が垂れさせていた狐耳を再び垂直に立ち上げさせた。

 フサフサの尻尾も振り子のように揺れている。


(そ、そんな嬉しそうにされても困るんだが……カップうどんだし……)


 明人はまた別の申し訳なさを感じつつ、カップうどんを二つ取り出す。


 ビニールを外して蓋を三分の二ほど開封し、加薬と粉末状のスープの素を投入。

 電子ケトルで素早く湯を沸かし、二つの容器に規定容量注いでから蓋を閉める。


「まぁ、そこのテーブルのところにでも座ってくれ」


「はい」


 明人がリビングに置いてある背の低いテーブルを指すと、美緒は促されるまま床に正座した。


 ソファーもあるが、テーブルの背が低いため食事をするときは座りにくい。

 なので、明人も美緒とテーブルを挟んだ対面の床に腰を下ろす。


 湯を注いでからカップうどんが出来上がるまで三分掛かる。

 その間、特にすることもないし、黙っていてもただ気まずいだけ。


 明人は早速美緒に疑問を投げかけることにした。


「それで、結局お前は狐なのか人間なのか……どっちなんだ?」


「いえ、どちらでもありませんよ? 私は妖狐ようこですから」


「妖狐? つまり、妖怪ってことか……?」


 妖怪という存在に好意的な印象を持っている者はそう多くないだろう。

 科学的にその存在が認知されているわけでなく、本当にいるのかどうかも怪しい。


 ただ何となく、災いをもたらすようなイメージが定着している。


 明人が先入観は良くないと思いながも、多少の警戒心を抱いてしまうのは仕方のないことだった。


 美緒は明人の表情や仕草から警戒されていることを察した。

 だが、それも予想された反応。

 美緒は奏斗を怖がらせないよう、穏やかな声色と口調で答える。


「はい、そうです。でも誤解しないでいただきたいのですが――」


 美緒はすぐに説明を続ける。


「人間にも善人と悪人がいるように、妖怪と一括りにしてもその内には色々います。多くの人間は妖怪と聞けばあまり良くない印象を抱くかもしれませんが、少なくとも私は、誰かに危害を加えたりするつもりはありません」


「なるほど……確かに妖怪でも座敷童とか、悪戯はするけど家が栄えるってのがいるもんな。一括りに妖怪がどうのって考える必要はないのか……」


「ですですっ!」


 私が無害だとわかっていただけたでしょうか、とでも期待するような表情を浮かべる美緒。


 感情を忠実に表してくれる尻尾を見ていると、明人も美緒が危険な存在だとは思えなくなってくる。


 しかし、ただ一つ先程の発言で引っ掛かった部分があった。


「だが狐。お前は今『誰かに危害を加えたりするつもりはありません』と言ったな? ということは、だ……」


 明人の黒い目が僅かに細められる。


「危害を加えるつもりがないだけで、危害をわけではないんだな?」


「……流石は明人様です。きちんとそこに気付いておられるのですね」


 形としては、重ねて明人が警戒を露わにしたことになる。


 それでも美緒は気を悪くしたような素振りを見せない。

 むしろ、明人が自分について知ろうとしてくれていることに嬉しさすら感じている様子。


「変に誤魔化して明人様に疑われるのは本意ではないので、正直に答えますと……はい。


「それは、お前がさっきチラッと言ってた妖術? とかに関係するのか?」


「そうですね。妖術には色々あります――私がこの部屋に入るために鍵の掛かった扉をすり抜けるときに使ったようなものから、相手を攻撃するようなものまで。力の強い妖怪ほど多彩な妖術を扱えるのです」


 そして――と、美緒は続けて言った。


「この身には古くより力を持って栄えてきた妖狐一族の血脈が受け継がれております。当然、有象無象の妖怪に引けを取ることはありません」


「……そっか」


 つまり、今目の前にいる少女は、やろうと思えばいつでも明人の命を刈り取れるような存在だということ。


 明人はそんな存在に、昔助けたことが理由で気に入られてしまった。


「けど、それだけの力があるならこの状況が謎だ……」


「謎、ですか?」


「ああ。もし本当に俺と結婚したいなんて思ってるなら、妖術とやらで脅すなり、精神を支配するなりしてどうとでも出来るはずだろ?」


 そんな明人の言葉に美緒が固まった。


 これまで明人がどれだけ警戒しても顔色一つ変えなかった美緒が、ここに来て初めてどこか寂しそうに目を伏せる。


「おい、狐?」


 新鮮な反応に思わず明人が首を傾げると、美緒は一時の沈黙を置いてから静かに答えた。


「……本当に、好きだから…………」


「え?」


 美緒が自分の胸の上に片手を触れさせ、優しく握り込む。


「あの日あのとき、明人様に助けられた瞬間に……私、恋をしたんです。まだ私自身も幼かったですが、胸の奥に灯る温かな気持ちが恋であることだけは確かに理解しました」


 美緒が真剣な面持ちで真っ直ぐ見詰めてきたので、明人は思わず心臓をドキッと跳ねさせてしまう。


 美緒の頬が赤い。

 紫紺の瞳には固い決意の光と恋慕の熱が同時に宿っている。


「愛しています、明人様。この気持ちが本物だからこそ、私は妖術に頼ったまやかしの関係ではなく、私自身の魅力を以て貴方様を振り返らせたい……振り返らせてみせますっ!」


「……っ!?」


 真っ直ぐなのは視線だけではなかった。

 その気持ちが、想いが真っ直ぐなのだ。


 ドッ、ドッ、ドッ――と明人の心臓が早打ちで鼓動を刻むのは、果たして妖怪を前にした緊張からなのか、ただ美緒の勢いに気圧されているだけなのか、それとも…………


「あ、あっ! そ、そろそろ三分経ったんじゃないか!? ははっ、ほらさっさと食べるぞ! お腹空いたわマジで!」


 明人はその理由を考えることから逃げるように、テーブルに置いていたカップうどんの蓋を開けた。

 箸を持ち、スープを吸って膨らんだ油揚げを真っ先に頬張る。


「ん~、やっぱうどんはきつねうどんに限るな! そ、そういえば、狐の好物が油揚げってホントなのか!? いつか狐に聞いてみようと思ってたんだよ、あはは!」


 不覚にもドキドキしてしまったことを認めたくないように、必死に話題を変える明人。


 そんな明人に、美緒は不満を訴えるようにジッと半目を向けて答えた。


「ふん、知りません! 明人様のバカ……」


 美緒もカップうどんの蓋を開けて、明人と同じように油揚げを食む。


 明人はチラリとそんな美緒の姿を盗み見ながら、改めて自分達の状況を考えた。


 実は先程から妙に既視感があるなと思っていたのだ。

 今、その理由がわかった。


(な、何かこの状況……某カップうどんのCMみたいだな……)


 そう考えるとなんだか可笑しく思えて、高鳴っていた鼓動も徐々に落ち着きを取り戻してくる。


 そんなタイミングで――――


「……油揚げのきつねじゃなくて、きつねを頂いてくださればいいのに…………」


「ブッ――げほっ、げほっ!? お、お前何言っちゃってんのっ!?」


「ふぅんだ」


「ったく……」


 とてもテレビCMでは流せそうもない発言が飛び出てしまった。


 そのせいで、折角落ち着きを取り戻しつつあった明人の心臓も、また胸の奥で忙しなく動き始めた――――

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