第06話 狐は神出鬼没!?

「えへへ……おはようございます、明人様ぁ……」


「か、勘弁してくれマジで……」


 昨晩追い出したはずの美緒が、朝起きたらまさか隣で寝ていたとは。


 寝起き早々驚かされた明人はベッドから転げ落ちた。

 そのまま床に尻餅をついた状態で大きくため息を吐く。


「ったく、念を押してドアチェーンも掛けたんだけどなぁ……」


 明人は鬱陶しそうに後ろ頭をガシガシと掻きながら立ち上がる。


(妖術の前では、このアパート程度のセキュリティじゃ無意味ってことか……)


 鍵とドアチェーンを掛けた扉を難なく突破してくる美緒。

 明人が何度美緒を追い出そうとも無意味ということ。

 つまりは、美緒はこの部屋に出入り自由ということだ。


「けどまぁ、そんなことより……」


「ん~、どうかなさいましたかぁ……?」


 明人は何とも言えない表情で美緒の姿を見る。


 まだ眠気が残っているようで、美緒の表情はどこかぼんやりとしている。


 身に纏う浴衣は襟元の辺りが大きくはだけており、確かな存在感を放つ胸の膨らみが惜しげもなく晒されていた。


 明人は居たたまれない気持ちになりながら、そっと視線を背ける。


「おい狐、取り敢えずその恰好をどうにかしてくれ……」


「ふわぁ……私の格好……?」


 美緒は上品に口許を隠して欠伸をしてから、ベッドの上で自分の身体を見下ろした。


 徐々に意識が鮮明になってきたのか、目を大きく開けていき――――


「~~っ!?」


 バッ、と美緒が慌てて胸元を両腕で覆った。

 頭上の耳がピンと立ち、尻尾は身体の前に持ってくるようにして巻き付けられている。


 美緒は紅潮した顔をゆっくり明人に向けた。


「み、見ましたか……?」


「いや、見てない……」


「……」


「……」


「……あんまり」


「~~ッ!!」


 美緒はキュッと唇を結び、何かを訴えるように潤んだ瞳で明人を見詰めた。


「そ、そんな目で見るなよ! 元はと言えば、お前が勝手に布団に潜りこんできたせいだろ!? 不可抗力だ!」


「うぅ、これではもうお嫁に行けません……! ですので、明人様。責任を取って私と結婚――」


「しないから!」


「んむぅ、相変わらずつれないですねぇ……」


 美緒はそう言って残念そうにため息を吐くと、ササッと手際よく気崩れた浴衣を直した。


 あまりの手際の良さに、明人はジト目を向けた。


「まさかだとは思うが、狐。お前、わざと浴衣をはだけさせたんじゃないよな?」


「……ふふっ、まさか」


「おい! 何か間があったぞ、間がっ!?」


 そう指摘しても、美緒は「何のことでしょう?」としらばっくれた。


 明人は心の中で「ったく」と軽く毒づいてから、部屋の時計へ視線を向ける。

 すぐに表情をハッとさせた。


「って、こんなことしてる場合じゃなかった!」


 今日は火曜日で、普通に学校がある日。

 この一連のやり取りで時間を少し無駄にしてしまった。

 早く準備をしなければ遅刻してしまう。


 洗面所で顔を洗い、寝癖を整える。

 未だに明人の部屋のベッドの上でくつろいでいた美緒を追い出し、クローゼットに仕舞ってある制服に袖を通す。


「あ~、食パン切らしてたか……」


 手早く朝食を済ませるのに、明人は食パンを重宝している。

 トーストしても良し、焼かずにジャムを付けても良し。

 しかし、昨日買ってくるのを忘れていた。


「他に料理作ってる時間もないし、材料もない。仕方ない、朝は抜いてくか」


 昼になれば学校の食堂で食べられる。それまでの我慢だ――と、明人は自身に言い聞かせ、空腹を堪える。


 明人が景星館高校指定のカバンを肩に掛け、慌ただしく玄関に向かう。


 ローファーを履いていると、いつの間にか着物に着替えた美緒がやって来る。

 美緒は穏やかな微笑みを浮かべて言った。


「行ってらっしゃいませ、明人様」


「んあぁ、行ってき――」


 と、そこまで言って、明人は出かかった言葉を引っ込める。

 美緒に振り返って、ビシッと人差し指を向けた。


「『行ってらっしゃいませ』じゃなくて、お前が出て行け! 良いか? 俺が学校から帰って来るまでにここから出て行けよ!?」


 はい以外の返事はないと言わんばかりに、明人は美緒の返答を聞く前に玄関を出た。


 三階建てのアパートで、明人の部屋は三階の右端。

 エレベーターの前まで来たが、現在一階に止まっている。


 ボタンを押して三階に上がってくるのを待つより階段で降りた方が早い――そう判断した明人は、階段をやや早足で下っていく。


 途中、ふと思った。


(そういや、『行ってきます』とかもうしばらく言ってないな……)


 アパートを出たところで、自分の部屋を見上げてみる。

 すると、ベランダから美緒がニコニコ笑いながら手を振ってきているのが見えた。


「アイツ……」


 出て行く気ないだろあの狐――と、イラッとした気持ちが八割。


 残りの二割は、明人も無意識。


 一人ぼっちで虚しい部屋に突如花が咲いたような、そんな温かい気持ちだった――――



◇◆◇



 景星館高校。昼休み――――


 食堂のカウンターで注文したきつねうどんを受け取った明人。


 先に席を確保してくれていたクラスメイトの友人――月島つきしま洋介ようすけの対面の椅子に腰を下ろすと、「いただきます」と言って麺を啜った。


「あぁ……朝食を抜いて食べる食堂のメニューは絶品だな……」


 ここ景星館高校は私立で金があるらしい。

 校舎の設備や学校行事、制服のデザインだけでなく、食堂で出される料理にも力を入れている。


 だが、それもあくまで他校と比較してどうかと言う話。

 学食のうどんと、うどん屋のうどんの味を比べれば言うまでもない。


 それでも今この瞬間、明人は確かに目の前のきつねうどんが絶品に感じられていた。


「なははっ! 授業中やたら後ろから腹の音が聞こえると思ったら、やっぱ明人だったかぁ~」


 可笑しそうに顔をクシャッとさせる洋介。

 背が高く健康的な肌色。

 きちんとセットされた茶色い髪と、同色の瞳。

 目鼻立ちが整っており、紛うことなきイケメンである。


 だが、モテない。

 本人が結構がっついていくタイプなこともあり、残念系イケメンというのが悲しいかな周囲の認識なのである。


 明人はそんな洋介に「やっぱバレてたか」と、やや恥ずかしい気持ちを露わにした。


「いや、今朝時間なくてさ。パンも切らしてたし」


「あぁ~、一人暮らしだと自分で飯準備しないとだから大変だなぁ~」


 そう言う洋介の手元には、いつも母親が作っているという弁当箱があった。


 二段構成で、一段はご飯。

 もう一段は肉、野菜、卵と色とりどりのおかずが詰まっている。


「んまぁ、大変だけどもう慣れた。最近じゃインスタント食品なんてものがあるからな。手早く食べてれ便利便利」


「最近じゃって……何だそのつい最近インスタント初めて知りましたみたいな言い方! あっはは!」


「いやいや、実はいたんだよ。そのつい最近初めてインスタントに触れた奴が」


 昨晩カップうどんを食べて驚いていた美緒。

 明人がそんな彼女の姿を思い出しながら言うと、洋介は大袈裟に笑った。


「うっそだ~! いつの時代から来た人っての。あっははは!」


「まぁ、そう思うのが普通だよな……」


 そこらの田舎に住んでる人でもインスタント食品くらい知っている。

 むしろ、スーパーが近くになかったりする田舎だからこそ保存の効くインスタント食品が重宝されてたりもする。


(それを見たことがなかったあの狐……一体田舎の山でどんな食生活を……?)


 狐だからやはり小動物や木の実を喰らうのだろうか。

 それとも妖怪だから――と、そこまで考えて明人は思考を中断した。


(って、何で俺が学校に来てまであの狐のことを考えないといけないんだよ!)


 勝手に家に入ってこられるのも迷惑だが、こうして美緒のことを考えてしまうことも腹立たしかった。


 まるで一途な美緒の想いに揺れ動かされてしまっているようで。

 美緒の積極的な行動に影響されているようで。


「はぁ……ないない」


 明人はため息混じりに首を横に振った。

 美緒のことを考えていたせいでうどんの麺が伸びたとあってはたまらない。


 早々にテーブルの上のきつねうどんを片付けることにした。




 と、そうやって明人が昼食を取っているのと同時刻。


 美緒はというと…………


「はぁ、明人様。今頃何をされているのでしょうか……」


 明人の家で一人帰りを待っていた。

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