第6話

 担任の平林 桃子が声を弾ませて言った。

 「今日から、この二年二組に新しい仲間が増えます」

 少し大げさで、芝居がかっている。

 それを聞いた生徒たちは騒めき立つ。

 花の通う神代じんだい高校はかんなぎ町の外れ、地方都市に近い区域にある。そのため、町の住人だけでなく、地方都市から通う生徒もいる。そのため、生徒数はそれなりにあり、三十人程度のクラスがひと学年平均で二クラス程度と、全学年で二百人弱の生徒数であった。

 地方都市に近いとはいえ、神代高校周辺はかんなぎ町を含めて、人の流動性はほぼない。

 そのため、転校や転入する者など、ほとんど皆無であった。

 そんな中、転校してくる者がいるとなれば生徒たちが浮き足立つのも無理はない。

 桃子はざわつく生徒たちを軽く制すと、廊下に向かって「どうぞ入って」と声をかけた。

 立て付けの悪い廊下に面した引き戸が音を立てながらゆっくりとひらく。

 皆、期待に胸を膨らませながらその扉に注目する。

 誰かが小さく息を呑んだ。

 その瞬間、まだ少しざわめいていたクラスが水を打ったように静まり返る。

 まず現れたのは、黒真珠のような艶やかな長い黒髪。その黒髪の向こう側には白磁のように透き通る肌が透けて見える。恐ろしく整った横顔はまるで彫刻のようだった。

 胸を張り堂々と入室してきた彼女の胸には真っ赤なスカーフが飾られていた。

 花は昨日邂逅したあの少女であるとすぐに分かった。

 彼女は教卓の横までくると、クラス全員の方に振り返る。

 彼女の唇が小さく開くと、そこから不思議な声色が響いた。

 それは、冬の霧雨のような柔らかな、しかし冷涼な声だった。

「黒沼 優です。今日からよろしくお願いいたします」

 そうして彼女は深々とお辞儀をした。

 彼女ほっそりとした小さな背中から、髪の毛が滑らかに滑り落ちる。そんな単純な物理現象ですら彼女の支配下にあるかのように、見えた。

 それほどに美しかった。

 彼女が顔を上げて微笑む。

 誰かの生唾を飲み込む音が響く。

「黒沼さんは、ご家族のご都合で、かんなぎ町に越してきました。いろいろと分からないことも多いはずなので、優しくしてあげてください」

 その桃子の言葉、いや声でクラスは日常を取り戻し、教室内の緊張の糸がふっつりと切れた。

 教室中に黄色い歓声が響く。

 いつもおどけている男子生徒は立ち上がってガッツポーズまでしていた。

 そんな様子のクラスに気押されたのか、優ははにかんだ。

「黒沼さんの席は、水上さんの隣にしましょう。あそこの窓際の席です」

 桃子が指を刺す。

 一斉に生徒たちが水上の方を振り返った。

 注目を浴びた花の心臓は縮み上がる。

 ちらりと、自分の左隣をみると、昨日までなかった机と椅子が置いてあった。

 優は「分かりました」と言って、花の左側の席へとゆっくり歩き出す。

 その一挙手一投足を皆が固唾を飲んで見つめる。

 優は花の隣の席に座ると、花の方を見つめて「水上さん。よろしくね」と笑いかけた。

 しどろもどろになって何も答えられない花を不思議そうに見つめると、優は「あ」と小さく声をあげた。

「昨日、橋のところで……」

 花は頷くのが精一杯だった。

「あのへんに住んでいるの?」

 優の質問に花はやっぱり答えることができなかった。

 花が頷くと、優は嬉しそうににっこりと笑った。

「良かった。私もあの辺に越してきたの。こんなに近くにお友達が住んでいるなんてとっても嬉しい」

「お友達……」

 花は無意識的に優の言葉を繰り返した。

 優はそんな花のことを不思議そうに見つめていたが、桃子の「ホームルームを始めます」という声かけに応じて前に向き直った。

 花は放心状態のまま、前に向き直る。

 ふと視線を感じてそちらの方をみると、湊が振り返ってこちらの方を見ていた。

 湊の視線は優を捉えていた。

 それは何かを期待するような目だった。

 花の胸が疼く。それは若いかさぶたが剥がれた時のような、ほんの小さな痛痒さだった。

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