第9話
二人で連れ立って歩いているあいだ、優は色々なことを花に話して聞かせた。
元々、この町の近くの地方都市の高校に通っていたこと。
彼女の父親の仕事の関係でこの町に越してきたこと。
急な引越しだったため、制服の調達もできておらず今着ているのは前の学校のセーラーであること。
花にとってはどうでも良い事ばかりだった。
優は本気で自分のことを知ってもらいたいと思っている様子だった。そしてその態度は、優が本気で花と友人になりたいと考えているように花の目には映った。
花の中から徐々に先ほど感じた優への不信感が徐々に薄れていった。
丁度その頃に、彼女たちが住む地区へとつながる橋へと差し掛かった。
優は湊の家の隣に越してきたという話だった。
湊の家は、橋を渡って左側、花の家とは反対方向である。
橋を渡り切ったところで、別れを告げるために花は立ち止まった。
またねと言う前に優が口を開く。
「ねえ、水上さんのお家ってどこなの?」
「え、あっちの方だけど」
そう言って優の家の方角と反対方向を指差す。
「ふうん。じゃあ、私の家とは反対だ」
「うん。じゃあ、また」
花が言うと「せっかくだから水上さんのお家まで一緒に行きましょうよ」と優が言い出した。
若干の恐怖、というよりも違和感に近い感覚が花の中にふつと湧き上がる。
「でも、黒沼さんのお家と反対だよ?」
「うん」
優は何を当たり前のことを言っているのだと言わんばかりに頷いた。
「ひ、ひとりで帰れるよ」
「でも、一人は寂しいでしょ?」
優の目は笑っていなかった。
真っ黒な瞳。
一ミリも揺れることなく、真っ直ぐに花をとらえる眼球。
それは深い穴倉のように底知れない暗さが宿っていた。
全身に鳥肌が立つ。
目以外に笑顔を称えた優はさらに「一人は寂しいから、一緒にいましょうよ。ね?」とたたみかけてきた。
そこに一台の軽自動車がやってきた。
彼女たちのすぐ傍で止まると、助手席の窓が開く。
「花、おかえり」
その声に花は振り返る。
そこには母の京子がいた。
「お母さん」
「あら、見ない子ね」
京子がそう言うと、優はゆっくりお辞儀をしてから丁寧に挨拶をする。
「ご挨拶が遅れました。私、昨日この町に引っ越してきた黒沼優と申します。水上さんと同じクラスです」
「あら、そうなの。礼儀正しい子ねえ。これからもうちの子と仲良くしてあげてね」
優は嬉しそうに「もちろんです」と言った。
花は優の誘いを断る口実に母親を使ったことを思い出し、冷や汗をかく。
「母さん今日早いね」
そう、早すぎる。
今日遅いというのは嘘だったにしろ、この時間に帰宅するのは早すぎる。
「え? ああ今日予定よりはやく上がれたのよ」
背後から「よかったね」と霧雨ような声が聞こえた。
優は笑っていた。
「寂しくないね」
「う、うん」
花は気まずさに耐えられず「じゃあ、私行くね。また明日」と言って京子の運転する車の助手席のドアを開けた。
優は頷くと胸元で小さく手を振った。
赤いスカーフがやけに目についた。
京子は怪訝な顔を一瞬花に向けたが、すぐに柔和な顔を取り繕って、優に別れを告げてから車を発進させた。
数十メートル車が進んだところで、花は助手席側のサイドミラーをふと覗く。
そして、小さく悲鳴をあげた。
そこには、いつまでも手を振り続け、こちらをじっと見つめる優の姿が映っていたのだった。
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