13話 三冠王の戦術と、絶対的な戦術

 

 薫風にのって走駆する電撃。期待はほどほどに、指し手は晴れやかに。青天の霹靂を背に小さき少女は微笑する。


 大勢の者達が立ち尽く中、残された席に座るのはたったの二人。香坂賢乃と小鳥遊美優である。


 二人を除く全ての席には誰も座ることがなく、また座る資格すら与えられない。なぜなら、今から行われるのは今大会の決勝戦。本日最後の戦いだからだ。


 この大会の最強が決まるということで、それまで他の所に気を取られていた者達がぞろぞろと会場へ入って来る。それは敗れ去った選手から下位リーグの優勝者まで、この会場付近にいる全ての者達が集まっていた。


 そして、小鳥遊美優の史上初となる四冠制覇。その一歩目となる快進撃を一目見ようと期待に胸を膨らませる観戦者たちが目を向ける。彼女の相手は名も知らない少女、小鳥遊より一回り小さい小柄な体格をした少女だ。


「まぁ、今回の大会も小鳥遊の圧勝だろうな」


 小鳥遊目当てで来た者達は、賢乃の試合など知る由もなく小鳥遊の対局ばかりに目がいっていた。故に、小鳥遊のこれまでの圧勝劇を鑑みればこの大会での優勝など鉄板。敗北する姿など予想できるはずもない。


「……それはどうだろうな……」


 だが逆に、賢乃の試合を注目していた者達は冷や汗を浮かべながら決勝の席を凝視していた。


「なんだよ? あの賢乃って子はそんなに強いのか?」

「いや……強いとか、そんなレベルじゃない気がする」


 あの有無を言わさぬ圧倒的な棋風。兄である香坂賢人を上回るほどの精度を見せる『香坂流』。そして、悪魔のような読み筋とどんな局面でも間違えることのない正確な指し手。……ここまで一切の隙なく無双してきた賢乃を知る彼らは、順当に小鳥遊が優勝できるなどとは微塵も思えなかった。


「お、おいおい、まさか小鳥遊に勝てるなんて言わないよな? 相手は県の三冠王だぞ?」

「……」


 普通なら、ここは小鳥遊の圧勝だと自信をもって言える。だが相手は普通じゃない。これまで戦ってきたその全てで、彼女は周りの予想を何度も覆してきた。


 そう考えれば、今回も予想通りに行くとは思えない。


 そして、小鳥遊の勝利を確認しようと大会の関係者たちも会場の入り口から入ってくる。その中心には銀譱委員会の上院議員代行、板井目いたいめ 未留みるも混ざっていた。


 板井目は地面に杖をつきながら歩いており、その表情は冷ややかで薄気味悪い笑みを浮かべていた。そして、小鳥遊と対峙して座っている見たこともない選手、賢乃の方へと視線を向けた。


「……ん? 誰だ、あの小娘は?」

「香坂賢人の妹、香坂賢乃だそうです」

「なるほど、夢破れた兄の代わりというやつか。くだらんな」


 その声が賢乃の耳に届くくらい近づいたことで、賢乃は窓ガラスに反射する板井目を視界にとらえる。


「……!」


 銀譱委員会の関係者。しかも上院議員代行という界隈の大物。それが今、賢乃の視界に映り込んでいる。それを見た賢乃は今にも吹き出しそうなほどの怒りを感じ、それをぐっと堪えて息を整える。決して後ろは振り向かない。


「け、賢人……」


 その事情を唯一分かっている小鳥遊は、心配そうな目付きで賢乃を見ていた。


 彼の怒りはよく分かる。しかし、このまま放っておくわけにはいかない。彼をこのまま野放しにしていたらいずれ本当に日本一を取る。それだけの実力が備わっている。だから止めるならここしかない。この小さき悪魔を止められるのは、今この場で自分しかいない。


 小鳥遊は振り駒をして先後を決め、対局時計を設置して互いに視線を交わす。


 後にも先にもこれが最後の戦い。小鳥遊は史上初となる県の四冠が期待され、賢乃は香坂賢人の魂にかけて一度の敗北も許されない。


 二人は火花を散らす視線を交わした後、静かに一礼をした。


「お願いします」

「お願いします」


 本大会最後の戦い、決勝戦の開始である。


 振り駒で先手を引いた小鳥遊は、王様を繰り上がって第一手目を指した。


「おいまて……」

「なっ……!」


 既視感のあるその一手にその場にいた観戦者が揃って動揺を示す。そして賢乃もまた、自陣の王を繰り上がって小鳥遊と同じ挙動を見せた。


 対称性、先後同型、シンメトリー。小鳥遊は対局に望む三冠王としての信念を目に宿して盤面を見つめた。


「まさか、これは……」

「小鳥遊美優の──『香坂流』か……!?」


 そう、小鳥遊の指した手はまさしく賢乃の王たる一手。かつて日本一となった男が指した無敵の戦術であり、誰にも破られることのなかった過去の遺物──『香坂流』である。


「……いや、ちょっと違うな」


 賢乃は小さく呟いた。


 観戦者たちの驚きも束の間、局面は既に十数手を越えていた。しかも、賢乃が数秒から十数秒かけて指しているのに対し、小鳥遊は1秒ほどしか時間をかけていない。考えていないのだ。


 本来の『香坂流』を真っ当に指していくのであれば、相手がどんな形であれ必ずその場その場の思考力が求められる。それが『香坂流』の欠点であり、賢乃くらいに頭の回転が早くなければ使えない戦術だ。


 だが、小鳥遊は全くと言っていいほど考える素振りを見せていなかった。


「いよいよか」

「虎飛……!」


 トイレから戻ってきた虎飛が観戦席の前に立つ。そして、賢乃と小鳥遊の戦いをみて予想していたかのような反応を見せた。


「やっぱり先後同型か」

「なんだよ? 虎飛は分かってたのか?」

「あー? そりゃまぁ相手があの小鳥遊美優だからな、当然っちゃ当然だろ」

「?」


 首をかしげる観戦者に虎飛は少しだけ口を噤む。


 同時に、少し離れたところで二人の対局を観戦していた板井目も同じような反応を見せた。


「なるほど、あの小娘『香坂流』を使えるのか。通りで小鳥遊美優が本気になったわけだ」

「代行はこの意図をご存じなのですか?」

「クク……。なに、簡単なことだ。なんてったって──」


 そうして、二人は同じ言葉を口にした。


「「小鳥遊美優の得意戦法は『真似将棋』だからな」」


 そう、小鳥遊美優の得意戦法は『真似将棋』である。


 真似将棋とは相手の指した手を真似するという単純なものである。相手が攻撃を仕掛けるまでは相手の棋力と同じ指し方を維持できるという特徴を持ち、初心者の上達法として取り入れられている指し方である。


 そして、真似将棋の欠点もまた単純な理由だった。それは、相手の手を真似するため常に後手に回ってしまうこと。それによって開戦の主導権を相手に握られてしまうため、どうしても不利な局面から戦いが始まってしまうことである。


 これらが理由で真似将棋はされた側が勝つと結論が付いていた。


「真似将棋……? そんなデタラメな指し方があの賢乃ちゃんに通用するわけ……」

「するんだよ。抜群にな」


 虎飛は小鳥遊の意図を知っていた。なまじあの香坂賢人と長く戦ったことのある彼女だからこそ、今の『香坂流』に対抗できる方法を持っているということを知っていた。


 小鳥遊の真似将棋は決して後手に回らない。先手でも相手を真似するという、先読みに特化した真似将棋である。


 特に『香坂流』のようなマイナーでオリジナル色が強い形に使えばまさに効果抜群。相手の力をそのまま活用しながら互角の局面に持ってこれる特攻カードであり、相手の強みを完全に打ち消す研究潰しの策略にもなる。


 いわば小鳥遊美優にとっての"戦術"。それこそが彼女の使う真似将棋だった。


「──そう、これなら私でもアンタに勝てる……! 香坂賢人が創り上げた『香坂流』の最大の弱点、それは同じ『香坂流』をぶつけること!」


 小鳥遊はそう豪語しながら賢乃よりも1手先回りして『香坂流』へと組んでいく。


 賢乃が使う『香坂流』はどんな戦法が相手でも対応できる唯一無二の戦術である。しかし、相手も同じ『香坂流』を使ってきた場合はどうなのだろうか。


 戦術は戦法に勝つ。だが、果たして戦術は戦術に勝てるのだろうか?


 ざわつく会場、どよめく観戦者たち。それまでダークホースに転じていた賢乃の棋風に正鵠の鉄槌が下される。現役三冠王からの明確な答えが提示される。


 これはさすがの賢乃もしてやられたか?


 そんな視線を背に受けた賢乃は、ゆっくりと顔を上げて盤面を見下ろした。


「確かに『香坂流』の弱点は同じ『香坂流』をぶつけることに他ならない。作戦が拮抗すれば研究のアドバンテージが無くなるからな」


 賢乃はこれまでの苦悩を思い出すかのように苦笑し、それを乗り越えてきた事実を確かに受け止める。


「だが小鳥遊、お前は大きな勘違いをしている」

「勘違いですって……?」


 幾度も悩んだ、幾度も考えた。あらゆる状況、あらゆる対策。そこから生まれてくる二次的な展開まで全て。


「その戦術を指すには、明確に足りないものがひとつだけあるだろう?」

「……まさか」


 小鳥遊は息を呑む。小さく呟いた賢乃の言葉は観戦者に届くことはないが、その小さな断言は恐怖以外の何物でもなかった。


 なぜ『香坂流』を指す者がそこに座っている? なぜ『香坂流』を指す者がその戦術の全てを知り得ていない?


 その戦術は──『香坂流』は、香坂賢人の"思考力"が無ければ完成しない戦術だろう?


 賢乃の目はまるで虎の威を借る狐のように鋭く、そして蒙昧な知略を振りかざす小鳥遊に正真正銘の覇道を示す。


 その戦術は香坂賢人にしか指せない。その戦術は香坂賢人にしか指すことを許されない。例え他のどれだけ強い指し手がいたとしても、この戦術は香坂賢人の思考力に合致しなければその神髄を生み出せない。何せ香坂賢人のためだけに作られた戦い方なのだから。


 だから、他の人間が指せるようには作られていない。


「返せよ」


 たった一言そう告げた賢乃は、自分の頭に向けて人差し指を突き刺し、その可憐で華奢な顔つきからは想像もできない悪魔のような微笑みを向けた。


「──その戦術はわたしのものだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る