3話 謎の美少女、初出場で最上位クラスを選択する

 

 香坂賢人はかつて、アマチュア界最強と呼ばれた将棋指しだった。


 定跡を覆す圧倒的な棋風と目にも止まらぬ早指し、そしてある時を境に出る悪魔のような攻めは"香坂流"と呼ばれ、周りから恐れられていた。

 しかし、そんな香坂賢人も今や女々しい姿に変わり果てており……。


「あ、あ、あっ。た、大会どうしよう……」


 見た目中学生くらいの女の子になってしまった賢人は、男を誘うような艶めかしい声色で涙ぐむ。しかし、その表情は絶望の色そのものである。


「どうするっつってもなぁ……お前さすがにその顔と格好じゃあ男である香坂賢人を演じるってのは無理があるだろ……」


 流石の虎飛もこればかりは対策の打ちようがなかった。声だけならまだしも、見た目も完全に元の香坂賢人からはかけ離れている。目元や髪形はそこまで変わっていないものの、面影があると言われればノーだった。


「あ!」

「お? なんだ? いい考えが思いついたか?」


 何か閃いたような表情を見せた賢人は、手のひらにポンっと拳を置いて虎飛に言った。


「このまま出るぜ!」


 無策一貫。ごり押し戦術である。


「おー凄いな賢人、お前とうとうバカになったのか?」

「これでも将棋知略で日本一になったことがあるんだが?」

「なぜ神はこんな男に才能を与えたんだ?」

「女の子だけど?」

「……」


 フフン~♪ とひらひら舞い踊る賢人。アイドル顔負けの美少女っぷりに虎飛の脳内はイライラと眼福で相殺されていた。


「つってもなぁ賢人、お前さすがにTS初日で人目に晒される場所に行くってのは危なすぎると思うんだが……」

「やだやだー! 大会でるー! でなければ全裸で外を這いずり回る」

「なんだこいつ狂人か? TSしてこんなに強気でいるのきっとお前だけだぞ……」


 虎飛の制止も虚しく、結局賢人は大会に出ることを決意した。それから大会へ行くための準備を進めていた二人だったが、賢人は着替えに手間取っているようだった。


「なー虎飛ー、俺女ものの服持ってないんだけど……」

「別に男ものでいいだろ。ギャップ萌えってやつだ」

「そうかぁ……? って別に男にモテたいわけじゃないんだが」

「TSの宿命だ。諦めろ」


 そう言って虎飛は勝手にタンスを漁って男もののズボンを投げつけた。そのズボンは賢人が学生時代に履いていたものである。


「まぁしゃーないか」


 賢人は着ていた服をバサッと脱ぎ捨てて、そこら辺にあったもので適当に着替える。季節が夏なこともあり、風通しのいい薄着の半袖に軽いジャケットを着たいつもの賢人らしい格好だった。

 賢人はその場でクルリと一回転して虎飛に感想を尋ねる。


「どう?」

「悪かねーじゃん」

「じゃ、これでいくか」


 こうして大会に出る準備を終えた二人は家を出て、会場へと向かったのだった。



 ◇



 会場に到着した二人は当然というべきか、周りの注目を一斉に集めた。

 それは香坂賢人というアマ強豪が現れたからではない。見たこともない謎の美少女が現れたからである。しかもよりによってその美少女が将棋の大会に足を踏み入れている事実は、周りからしてみれば違和感そのものであった。


 そして一番災難なのは虎飛である。明らかに場違いとも思える美少女を脇に連れて一緒に会場にやってきている虎飛へ飛ばされる視線は、猛獣のような怒りと憎しみに塗れた嫉妬の視線だった。


 虎飛は苦笑しながらもこの見るからに危なっかしい目を輝かせた賢人の隣を離れるわけにはいかず、そのまま受け付けのところまで一緒に同行していくのだった。


「ところで賢人、お前名前はどうすんだよ?」

「名前?」

「まさか香坂賢人で行く気か? 一瞬で偽名バレするぞ」

「確かに。……妹の名前にするか。背丈ほとんど同じだし、見た目も誤魔化せる」

「マジかよ、それ妹さんにとってはドッペルゲンガーになるぞ」

「今は海外飛んでるから当分は大丈夫だろ」


 そう言っているうちにも順番が回ってきたため、前に並んでいた虎飛は先に受け付けを済ませた。


「はい、虎飛龍介くんはいつも通りBクラスね。そういえば今日も賢人くんと一緒じゃないのかい? 最近見ないねー」

「あー……まぁ、そっすね……」


 上手く答えられずあやふやな返事をしてしまう虎飛。そのまま賢人の番が回ってきた。


「おや、見ない顔だね。新人さんかな?」

「はい。今日初めて出ます」


 賢人は懐から大会料を差し出し、そのまま記入欄へとペンを走らせた。


「お名前は?」

「あ、えーと。たかの。香坂賢乃たかのです」


 賢人は妹の名前である"賢乃"を使うことに決めた。妹は現在は海外に留学中で日本に帰ってくることはほとんどない。ほとんど疎遠の状態になってしまっているため、ここで使用しても影響はないと考えたのだ。


「はい、賢乃ちゃんね。……ん? Aクラス?」

「……?」


 記入欄に目を移した受け付けの男が眉をひそめて賢人、もとい賢乃を見上げる。


「賢乃ちゃん、今回が初めてなんだよね? 初出場でAクラスはちょっと……」

「えっ」


 アマチュア将棋大会では主にいくつかのクラス分けがされている。子供の部、一般の部、代表の部と分けられることもあれば、アルファベット分けられることもある。今回の大会はアルファベットで分けられており、Aクラスは一番上のクラスだった。


「この大会はDクラスまであるんだけどね。Dクラスは初心者、Cクラスは級位者、Bクラスは有段者、Aクラスは高段者で分けられているんだよ」


 その程度の知識、もちろん賢乃は知っていた。しかし、香坂賢乃という人物から発せられる風格は、とてもじゃないが将棋を指せるようには見えていなかった。


「あの、わたし香坂賢人の妹なんです。だから棋力には自信があって……!」

「いやーそう言われてもねぇ……初出場の子をAクラスに上げるのは……」


 受け付けの男が不安視しているのには理由があった。それは大会への敬遠である。せっかく大会に来てくれた新人をAクラスという魔境に放り込んでしまっては、その自信が簡単に打ち砕かれてしまう。そしてこの子は二度と大会に来てくれなくなるかもしれない。そんな不安だった。


 そもそもBクラスですら優勝するのに数年はかかると言われているのに、初めて大会に出る少女がいきなりAクラスなんかにいってまともに勝てるはずがない。それが彼の口を濁す原因となっていた。


 しかし、賢乃は賢乃で彼女にも引けない理由があった。


「でもAクラスで優勝しないと県大会にはいけないんですよね?」

「それは、そうだけど……」


 そう、クラス分けは単なる難易度選択ではない。基本的に県大会へいけるのはAクラスのみとなっている。他のクラスに出ても優勝したところで打ち止めだ。それは賢乃のプライドが許さなかった。


「お願いします! 県大会に行きたいんです!」

「うーん……」

「お願いします! 兄にお前ならできる、余裕で全国取れるって言われてるんです!」


 めちゃくちゃすぎる賢乃の言葉に受け付けの男は表情を悩ませる。目の前の少女がそれほどの実力を持っているようには思えない。仮に香坂賢人の妹だとしても、名前すら聞いたことない少女がいきなりAクラスに出て戦えることなどありえるのだろうか?


 そもそもとして、この県でAクラスで優勝した女性は過去1人もいない。せいぜいCクラスが限度。そんな界隈においてこんな小さな女の子が初出場でAクラスに挑むなんて高望みもいいところだった。


「……分かった。Aクラスでの出場を認めるよ」

「やった……!」


 受け付けの男は悩んだ末に、賢乃をAクラスに出場させることを認めた。


「ただし、Aクラスは本当に強い人がいっぱいいるからね? 覚悟して挑むんだよ?」

「はい!」


 賢乃は受け付けから領収書を受け取り、ご機嫌な表情で会場の中へと向かう。そのやりとりを見ていた周りの者達は「正気かよ……」と半分呆れた視線を向ける。

 しかし、賢乃は鼻歌を歌いながら目に燃えるような赤い光を宿していた。


「……さーて、今日はどう料理していこうかなー♪」

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