4話 本人降臨

 

 第二の人生を香坂賢乃たかのとして生きることに決めた賢人は、本日開かれる大会に一番強い者が集まるとされるAクラスでの出場を決めたのだった。


「ふわぁ~……」


 そして大会開始前の開会式、賢乃の横に座った虎飛はあくびをしながら司会の挨拶を聞いていた。


「なぁ賢人──」

「おいばかやめろ。俺は……じゃなくてわたしは香坂賢乃だ」

「お、おう。じゃあ賢乃、お前Aクラスに出場したって本当か?」

「ほんとー」

「マジかよ……」


 堅実に入賞を狙えるBクラスで美味しい思いをしている虎飛にとって、賢乃のパワープレイはドン引きするレベルのものだった。


「お前いくら中身がその、あれだからって、いきなりAクラスに出るのは悪目立ちが過ぎるぞ」

「いいのいいの。県大会行きたいし」

「正気か? 初出場で初優勝、初県大会、初県代表、初全国大会なんてことになったら日本中からバケモノ扱いされるぞ」


 香坂賢人が将棋大好き星人なのを知っている虎飛ですら、今の賢乃の無茶な行動には驚きを隠せない。しかし、賢乃は賢乃で狙いがあった。


「試してみたいじゃん? 性別すら変わった今の俺が本当に今まで通り戦えるのか」

「は?」


 賢乃は自分の頭を指さして答える。


「将棋界は女が弱いといわれている。だが今の俺は女だ。しかも女でありながら元日本最強のアマチュアの思考が備わっている。どうだこの矛盾? ワクワクしないか? この常識が性差によって抑えられるのか、実力によって覆るのか。本当に楽しみで仕方ない」


 可愛らしい笑みで狂戦士のような言い方をする賢乃。そんな賢乃に虎飛は苦笑いを返すしかない。


「お前なぁ……やっぱイカれてるわ」

「そう?」


 そうこう話しているうちにも開会式は終わり、いよいよ大会が幕を開けようとしていた。


「そんじゃまっ、いっちょやってくるとするかー!」


 賢乃が席を立ち、背伸びをして気合を入れる。


「頑張れよけん……賢乃、今日の相手は粒ぞろいって噂だぜ」

「そりゃあ期待できるな。ちょうど朝食に何選ぼうか迷ってたんだ」

「……いやほんと、お前ってヤツは恐ろしいよ……」


 こと将棋に関してはどこまでも突き抜ける賢乃の姿勢に、もはや虎飛は笑うしかない。今日は間違いなく波乱が起こる。そのことを知っているのはこの中で虎飛だけである。


 いつものピリっとした大会の雰囲気にちょっとした変わり種の美少女が紛れ込んでいる。本来ならたったそれだけのことのように思えるが、その美少女の中身はあのアマチュア界最強と呼ばれた香坂賢人本人。


 ジョーカーと化した賢乃の動きを見れば、この大会が波乱に包まれるのは虎飛にとって当然の予想だった。


 それから開会式が終了すると対戦相手を決める抽選が行われ、リーグ戦の表が大々的に掲示される。県内の支部が独自に開く大会と違い、公式戦に分類される本大会は70人以上もの指し将達が参加していた。


 そして迎えた対局の時。それまで賑わっていた空気が一瞬で静寂に包まれる。係員に呼ばれた賢乃は指定の席へと座り、同時に呼ばれた対戦相手が賢乃の前の席へと腰を下ろした。


「おい、見ろよあれ」

「うわ……鎌瀬さんじゃん。運ねーわあの子……」


 こそこそと後ろから聞こえてくる小言。賢乃は自分のことだとは思っておらず、彼らの言葉は耳に届いていなかった。


「まさか初戦の相手が斎緒之さいしょの 鎌瀬かませさんなんてな」

「あの子、確か今日初めて出場したんだろ? 初出場でAクラスに行く度胸は凄いが、相手があの鎌瀬さんじゃあ、勝負にならんだろ……」


 後ろで小さく呟く観戦者達の言う通り、賢乃の初戦の相手は強豪の一人だった。


「……けっ、女が相手かよ」


 鎌瀬は席に座るなり賢乃を一瞥して舌打ちを漏らす。


「おい嬢ちゃん、負けても泣くんじゃねーぞ」

「……?」


 賢乃は何を言われてるのか分からず疑問符を浮かべる。そして係員がマイクをもって会場の壇上に立つと、辺りを見回して全員の準備が整ったことを把握した。


『それでは、対局を始めてください──!』


 その声が会場全体に響き渡り、いよいよもって大会のゴングが鳴り響いた。


「お願いします」

「お願いします」


 互いが頭を下げて対局が開始される。先後を決める振り駒を行い先手を引いた賢乃は、そのままボーっと盤面を見つめだす。


「……」


 不動。賢乃は盤面を見たまま動かない。ぼーっと自分の陣地を見つめている。


「……なんだ?」


 5秒、10秒、15秒──。


 周りの対局者達が既に何手も駒を動かしているのに対して、賢乃はまだ1手も指していなかった。


「おい、何やってんだあの子?」

「……さぁ?」


 Aクラスは注目戦。勝てば県大会への出場が決まる大一番でもある。そんな代表を決める戦いは常に観戦者の目に晒され、中でも初出場で見るからに顔のいい少女が参加してれば注目度も高まる。


 周りの観戦者は賢乃を怪訝な目で見つめ、そして首をかしげていた。


「……あの子、いつまで経っても指さないな」

「ああ……」

「まさかルールが分からないとかじゃないよな?」

「それは言い過ぎかもしれねぇが、まぁ、十分ありえるだろうな。なんせ見たこともねぇ子供が初出場でAクラスだぞ? ぜってぇ将棋のしの字も分かってねぇって」


 将棋の初手は必ず決まっている。様々な戦法、定跡、そしてハメ手。玉席混合の作戦から唯一を掴むとしても、初手は必ず『歩を突く』ところから始まる。特にAクラスともなれば戦法の取捨選択は顕著であり、互いに同じような戦型になることも珍しくはない。


「──うん」


 対局開始から40秒ほど経ったところで賢乃はようやく小さな頷きを見せ、静かに口角を上げた。


「なんだ、やっぱり何も変わってないじゃん」


 一瞬、そんな恐怖に包まれた声色が賢乃の口から小さく零れた。


「……え?」


 暗転。それを見た者は視界が暗転したという。


 既視感のある光景がフラッシュバックし、それまでなんの興味も抱かなかった彼女の"香坂"という名前に繋がりを覚える。


 その手付き、その目付き、その駒の掴み方。そこにはいないはずの存在が、そこに座している少女の身体に憑依したかのような光景。


 まさに『バグ』と言える感情だけを残して、小さき少女──香坂賢乃は駒を掴むために手を伸ばした。


「おい、うそだろ……?」


 賢乃はその小さな指で、自らの王様を掴んだ──。

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