9話 透明な斬撃

 

 異例のダークホース到来で幕を開けた大会もいよいよ終盤戦。優勝すれば県への切符を手にするAクラス。その中で残された選手はたったの4人。そこに初出場の賢乃が含まれていた。


「やぁ、キミが噂の賢乃ちゃんかな?」


 一人椅子に座って駒を並べている賢乃の前に座り、チャラい声色で話しかけてきた男。彼は賢乃と同じ同じAクラスの選手。しかもここまで勝ちあがってきた猛者で、"天才"と名高い男──馬上火まけか 玖帝くていだった。


 玖帝は賢乃と同じくいきなり頭角を現した選手であり、そのあまりの成長の速さから天才ともてはやされていた。


 そんな玖帝に声をかけられた賢乃は、ニコッと微笑んで若干のスルーを決め込む。


「物静かな子だね。ボクはそういう子嫌いじゃないよ。……ところで、その指し方はお兄さんから教えてもらったのかな?」


 その言葉にもスルーを決め込もうとする賢乃。しかし、玖帝は薄ら笑いを浮かべながら盤上を隔てて賢乃を見下ろした。


「お兄さんは元気にしてるかい? ボクが『香坂流』を潰したこと、できれば恨まないでくれると嬉しいんだけどね」


 玖帝は香坂賢人の後に出てきた天才だった。故に賢人の棋風をよく知っており、周りを侵食するように喰らっていた玖帝は、賢人の編み出した『香坂流』すら喰らい尽くしていた。


 そう、馬上火玖帝は『香坂流』を解剖した第一人者だった。


「……残念ながら、兄は──」

「おぉっと、ボクのせいにしないでくれよ? キミのお兄さんが挫折しようとそれは自業自得というやつだ、ボクには関係のない話だからね」


 賢乃が答えるよりも前に先走って返事をかえす玖帝。しかし、賢乃は面食らったような顔をした後、本気で首をかしげてこう答えた。


「──いえ、残念ながら兄は……あなたのことなんて眼中にないみたいですよ」

「……は?」


 玖帝は賢乃の言葉の意味が理解できず、思わず間抜けな声を漏らす。賢乃はそんな玖帝のことなど気にも留めずに駒を並べ続けると、続きの言葉を口にした。


「ですから、兄があなたのことを口走ったことなんて一度もないです。……ところで、あなたは誰ですか? 初めまして、ですよね? 初対面でそんな高圧的に兄のことを語られても、わたしはよくわからないです」


 その言葉に、玖帝はあっけらかんとした表情を浮かべていた。


 事実、賢乃は目の前の男を本当に知らない。香坂賢人だった頃に戦ったことがあるような気はするものの、香坂賢人の時代に黒星はひとつも付いていないため、恐らく自分に負けた相手の一人なのだろうということしか分からない。


 そして、自分に負けた相手のことなど賢乃は覚えていない。興味もない。『香坂流』が研究されることは自分が日本一になった時点で自明の理だったわけで、何らかの対策が生まれるのも想定の範囲内だった。


 だから、誰が研究していようと賢乃にとってどうでもいいことだった。


 仮にそれが自分を追い詰めた全国の強豪たちだったのならまだしも、こんな見たこともない自称天才くんに警戒する謂れはない。


「こ、この小童が……!」


 相手にされていないことに気づいた玖帝は、力強い手つきで駒を叩きつけるように並べ始める。


 それを見て賢乃は「あーそうか、この人次の対戦相手だったのか。変に挑発しちゃったな」と、大して反省もしていない顔色で駒を並べ終えた。


 それから準決勝開始の合図がなると、玖帝は序盤から速攻の形を作り上げる。


「『香坂流』を潰したのはこのボクなんだ……! 今さら過去の遺物がでしゃばるな、時代遅れなんだよ!」


 強気な姿勢で攻め形を作っていく玖帝に、賢乃は悠々と『新・香坂流』を使用する。


「はっ、またそれか。ほんとキミたち兄妹はその戦法しか指せないよね」


 これまでの戦いをすべて『香坂流』で乗り越えてきた賢乃は、玖帝からしてみれば『香坂流』しか使えない凡人と一緒。古今東西将棋の神髄に到達するにはあらゆる戦法を網羅する必要がある。だからこそ、たった一つの戦法をマスターしたところで多くの戦法を持つ自分には勝てないと玖帝は踏んでいた。


「……戦法じゃない」

「は?」

「……『香坂流』は戦法じゃない」


 今にも消え入りそうな小さな声でそう呟く賢乃。


「じゃあ何だって言うんだ?」

「──『香坂流』は、香坂賢人の"戦術"」

「戦術?」


 疑問を浮かべる玖帝に、賢乃は『新・香坂流』の新たなパターンを使用する。そしてその消え入りそうな声は、勝負師の魂を宿して燃えるように将棋の真理を玖帝に告げた。


「──戦法は、戦術に勝てない」


 そう言って賢乃は玖帝の攻めを逆利用する。すると、それまで受け形だった賢乃の戦型は魔法でもかかったかのように攻め形へと変貌した。


「これは……!」


 なぜ『香坂流』が戦術と呼ばれるのか。これには明確な理由がある。


 ──それは『香坂流』を使用する者が先手後手どちらを引いても、そしてどんな局面であっても指せるからというものだ。


 本来、将棋における戦法は限られた場面でしか使うことのできないものである。故に、ひとつの戦法だけ使っていてはどうやっても限界が来てしまう。だからこそ、色々な戦法、そして色々な定跡を覚えることで、ようやくどんな局面にでも対応できるような応用力が手に入る。


 しかし、こと『香坂流』に関しては他の戦法を覚える必要性がない。なぜなら『香坂流』そのものが膨大な戦法の塊であり、その集大成だからだ。そのため『香坂流』は膨大な分岐の暗記を必要とされ、他の戦法と遜色ないほどの手を覚えなくてはならない。


 そしてそれは、香坂賢人専用の戦術である。香坂賢人以外では挫折してしまうほどの膨大な量があり、普通であればその1割すら理解することもできない。


 そんな膨大な研究量のある『香坂流』を、香坂賢人は全て網羅することができた。それは自らが編み出したオリジナル戦術という矜持と、自分にあった理想的な形を模索していった結果だからである。


 だからこそ『香坂流』は香坂賢人のための戦い方であり、他の誰も使用できない香坂賢人専用の戦術だった。


 そして戦術は戦法を包含する意味を持っており、また戦法が戦術に敵う道理などありはしない。


「小癪な……!」

「無駄」


 防御をかなぐり捨てた玖帝の攻めに、賢乃はノータイムで切り返す。その手は賢乃にとって研究の範囲内。故に考える必要すらなく、元より出ている答えを踏襲するだけである。


 いつの間に用意されていたのか、透き通るような斬撃が賢乃から飛ばされる。それは『新・香坂流』に手を付けていない玖帝からしてみれば、賢乃の駒たちがいきなり縮地してきたかのように錯覚するものだった。


「クソ……!」

「それも無駄」


 遠方から放たれた玖帝の角。それに対して賢乃も角を打って一気に相殺する。


「ならこれはどうだ──!」

「……」


 投げつけられた歩の手裏剣。その手に賢乃は飛車で王手をかけ、ズラした筋に桂馬を打ち、逃げた間に角を取ってその角を再び王手で打ち込み、玖帝が王手を防いだ隙に打たれた歩を角で回収する。


 何をやっても数手後に対応される。どんな手順であっても、どんな方法であっても、賢乃にダメージが入ることはない。この『新・香坂流』に弱点は見当たらず、その圧倒的な指し回しと隙のない応酬で全ての手を無為にする。


 頭を抱えながら苦悩する玖帝に対し、賢乃は考える素振りひとつしていない。


 このままではまずいと思った玖帝は、攻防手を入れ替えようと反対側の陣地に手を出す。するとそれを見た賢乃は小さな溜め息をついて小さくその言葉を呟いた。


「……あきた」

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