16話 TSした元アマ強豪、妹になりすまして大会に出場するも実力で身バレする
行く末は簡単に予想出来るものだった。
賢乃が放つ『香坂流』を模倣して駒組を行った小鳥遊の真似将棋は、戦線の火蓋が切られたと同時に瓦解。何物にも影響を受けない太陽の如く覇道を貫き続ける賢乃の指し回しに、小鳥遊は一切の反撃を加えることができずにいた。
ジワジワと削られていく命、追い詰められていく背水の状況。それでも反撃の瞬間は訪れない。
「……強すぎる……」
小鳥遊とて逆転の狙い目を読んでいないわけではなかった。しかし、小鳥遊がどれほどの策を講じようとも全て賢乃に退けられ、どれほどの読みを重ねようともその上を行く賢乃の思考に看破される。
類似した陣形なのにも関わらず、賢乃の『香坂流』は盤上の全てに輝きを放っている。攻めは1つだけに限らず、数えきれないほどの狙いと策をもって小鳥遊を翻弄する。
対する小鳥遊の攻めは全て賢乃に躱された状態であり、どれだけ狙いを作ってもその倍の速度で間合いから姿を消してしまう。それどころか、賢乃の王様は中段で綺麗な空中楼閣を築いており、小鳥遊の攻めでは一向に捕まる気配がない。
「……君。それ以上は分かっているのだろうね……!?」
必死の形相で賢乃を睨みつける板井目。彼の紡ぐ言葉は自分の今後の人生を左右するほど重要なものであり、簡単には退けない問題でもあった。
しかし、言葉を続けようとする板井目を一蹴するかのようにある男の口が開いた。
「──賢乃」
それは今まで賢乃の試合をじっと静かに観戦していた男。彼女の古くからの知り合いであり、彼女がTSしたことを事実として知っている唯一の人物でもある。
そんな男──虎飛龍介は賢乃の目をじっと見つめると、わずかな笑みを零して言い放った。
「勝て」
ただ一言そう告げる虎飛。
「なっ……!」
その言葉に動揺を隠せなくなってきた板井目。
そして二人の言葉など掛けられずとも、戦局は絶対に揺るがない。事実、賢乃は全身全霊をもって小鳥遊美優の王様を追い詰めていた。
圧倒的実力、震えあがるほどの読みの鋭さ。賢乃から生み出される一手一手には重い一撃が込められている。
そして──。
「……っ」
難化した局面は詰みの格好となり、局面の大勢は明確に決する。小鳥遊は持ち時間を全部使い果たした後に深いため息をついて、賢乃に向かって静かに頭を下げた。
「……負けました」
「ありがとうございました」
長い勝負が決着した。長い戦いが幕を終えた。
「……ば、バカな……」
狼狽えた眼でそれを見つめる板井目。付き人も止まらない冷や汗を拭くこともなく、唖然とした表情で盤面を眺めていた。
初参加、最上位クラス、初優勝。あり得ない功績を打ち立てた香坂賢乃という人物にどよめきの視線が贈られる。
「賢乃ちゃん、マジでやりやがった……」
「あの小鳥遊美優にこんな大差付けて勝つのかよ……」
盤面はある意味で地獄絵図と化していた。なんと言っても賢乃の王様は一切攻められていない。それどころか周りの守り駒にすら一切傷が付いていなかった。
上級者同士の戦いでここまで差が付くことはまずありえない。例え格上が相手だったとしても、表面上はある程度攻め入っている図になるのが当然。にもかかわらず、賢乃はノーダメージとも言える状態で完封勝利を果たしていた。
「……く、ククク……っ」
賢乃の優勝にざわつく会場内でひとり、板井目不穏に笑いだす。そしてそんなことは露知らない賢乃は再びトイレに行こうと席を立った。
「待ちたまえ」
板井目の真横を通り過ぎようとした賢乃に、板井目は声を掛ける。
「素晴らしい戦いだった。君のような子がまだアマチュア界にいたことを大変喜ばしく思うよ。そこでどうかね? 我が銀譱委員会が誇る最高の場、銀譱道場に入門するというのは? 今なら入門テストを免除し、君の好きなクラスに配属させることを約束しよう」
その言葉に小鳥遊は目を見開いて席を立つ。
そう、今この瞬間、板井目の新たな狙いは小鳥遊美優から香坂賢乃へと変わったのだ。
相手は小鳥遊美優を下すほどの逸材。しかもあの香坂流を扱える類稀な才能。そして将棋の世界に絶対的に必要な若さ。この3つを兼ね備えている香坂賢乃という原石は何よりも輝いて見えていた。
板井目は小鳥遊美優を切り捨て、香坂賢乃を選んだのだ。
「どうかね? こんなチャンス滅多にないぞ? この私が直々に推薦しようというのだ。断る理由はあるまい?」
そう言って板井目は手を差し伸べる。賢乃と対局する前とは真逆の態度、決して未来の生徒の前に向けるものではない醜悪な表情、自分が格上であることを知らしめるような上からの物言い。それは銀譱委員会の存在そのものを象徴していた。
「……」
それでも賢乃は、そんな板井目に対して一度たりとも笑顔を崩さなかった。
ただ優しい声色で、ただ確かな物言いで、板井目に向かってその言葉を放った。
「──お断りさせて頂きます」
「なっ……!!?」
ただ一言そう告げてトイレに向かおうとする賢乃。
「きっ君……! 代行の誘いを蔑ろにするつもりか……!?」
付き人の言葉も無視して賢乃は歩き出す。すると、板井目は杖を突き出して賢乃を叱責した。
「こ、後悔することになるぞ……! 銀譱委員会に逆らえばどうなるか分かっているのだろうね……!?」
しかし、その言葉を放った瞬間、賢乃の目付きが一変した。
それまで礼節を弁えた言動をしていた賢乃は、ガンを飛ばすように板井目の元にUターンする。そして板井目の目の前まで迫ると、その見た目からは想像を絶するような畏怖を放つ声色で告げた。
「……やってみろよ?」
「──っ!?」
賢乃が見せたその目は、まるで委員会の外道を経験した者のそれだった。
──やれるものならやってみろ。ただしその時は、覚悟はできているんだろうな? と、圧巻の殺意で板井目をドン底に突き落とす。
少女が放つものとは思えない殺気の籠った声と言葉に、板井目は狙う相手を間違えたと体を震わせる。
そして、閉会式が終わるまでその場から動けずにいたのだった。
「……ありゃあどうみても香坂賢人だわ」
「……だな」
その光景を傍から見ていた観戦者達は、賢乃の正体に納得の言葉を漏らしていた。
──それから数分後、トイレから戻ってきた賢乃は優勝トロフィーを受け取ろうと会場に入る。しかし、そこで掛けられた第一声に驚愕した。
「優勝おめでとう賢乃ちゃん、──いや、香坂賢人」
「!?」
観戦者からさも当然のようにそう告げられた賢乃は、目を丸くして観戦者の方へと視線を飛ばした。
「えーと……わたしは賢乃ですよ?」
「嘘つかなくても分かるぜ、アンタの実力は俺らがよく知ってんだ」
「あぁ、ここまでの試合を見ればみんなアンタの正体に気づくさ」
「え、ええ……!?」
どういうことなのか全く理解していない賢乃。周りの観戦者も当然とばかりにその事実を受け入れている。
一体何が起こっているのか分からない賢乃は、虎飛に視線を向けた。
「いやぁ……俺も頑張ったんだぞ? でもお前素の実力出し過ぎなんだよ、あんな強い指し方されたらさすがに気づくやつは気づくぞ……?」
そんなことを口走る虎飛も困った表情を浮かべていた。
どうやらやり過ぎたらしい。ここまで来てやっとその事が自覚できた賢乃は、自分の正体を理解している観戦者達に向けて口元に指を添えた。
「──しーっ!」
可愛らしいポーズで口元に人差し指を立てる賢乃。その愛らしい姿に心を射抜かれた観戦者達は、中身が香坂賢人であることも忘れてドキッとしてしまい、無言で静かに頷いた。
それから表彰式の授与が行われ、賢乃は歴代最年少でAクラスを優勝する功績を打ち立てたとし、各県内新聞社が取り上げる事態となった。
県の三冠王である小鳥遊美優を打ち破った事実、そして香坂流のような戦い方で勝ち進んでいたことから、界隈では香坂賢人の再来とすら噂されるようになっていた。
そして大会終了後の帰り道、賢乃と虎飛は揃って帰路に着いていた。
「それで、これからどうするつもりだ? もう随分名が知れ渡っちまったぞ?」
「ま、やれるところまではやるつもりだよ」
楽天家な賢乃は頭の後ろに両手を組みながら軽い足取りで歩を進める。
「ところで虎飛、お前免状は持ってるよな?」
「え? あ、あぁ。一応初段の免状は持ってるが……」
「十分」
「?」
疑問符を浮かべる虎飛。その合間に遠くから聞き慣れた声が響いてきた。
「ちょっと待ちなさーいっ!!」
何やら叫びながらこちらに向かって走ってくる者がひとり。虎飛はおもむろに振り返ると、その人物を特定する。
「小鳥遊!? わざわざ付けてきたのか?」
「はぁ、はぁ……! つ、付けるとは失礼ね! ちょっと賢人……じゃなくて香坂賢乃に用事があってきたのよ!」
息切れしながら二人の元まで走ってきた小鳥遊。そのことに賢乃は面倒くさそうな目を向けた。
「何の用だ?」
「……いや、何の用って言うか……アンタこれからどうするつもり? 地区大会とはいえアンタの正体数人にはバレてるのよ? それに銀譱委員会相手にあんな正面から啖呵切って、絶対タダじゃすまないわよ?」
「なんだ、心配になってわざわざ忠告しに来たのか?」
「ち、ちちち違うし!?」
顔を赤らめて必死に否定する小鳥遊。
「お前こんな奴の心配しに来たのかよ。コイツはなぁ、TSしても自衛手段を一切行わない破滅主義者だぞ?」
「誰が破滅主義者だ人聞きの悪い」
「確かに、常人はこんな姿になったら絶対外出ないわよね……」
虎飛のノリに合わせる小鳥遊をみて、賢乃は深い溜め息をついて前を向いた。
「まぁ、三人ならちょうどいいかな」
「?」
「?」
「お前らも準備しておけ。なぁに、金なら必要ない」
「金? 何の話だ?」
「い、嫌な予感がするわ……」
思わせぶりな言い方をする賢乃に、二人はゴクリと息を呑む。そうして賢乃から放たれた一言は、二人の予想通り驚くべきものだった。
「今からわたしたち三人で道場に入門する」
「えっ!?」
「道場だと!?」
二人は驚愕のあまり足を止めてしまう。
さきほど銀譱委員会の勧誘を断ったばかりで"道場に入門"という言葉は、あまりにも非現実的だった。
「おいまて賢乃、俺達が入れる道場なんてこの周辺にあるわけないだろ!?」
「そ、そうよ。今の将棋界隈は水面下で競争が起こってるし、それにこの周辺は銀譱委員会が牛耳ってるわ。私はもう追放された身だし、虎飛は実力不足だし、アンタなんて香坂賢人の妹だって知られたら大問題じゃない」
「今さらっと俺のこと実力不足って言わなかったか?」
虎飛のツッコミをスルーしつつ、賢乃は不敵な笑みを浮かべて答える。
「なーに、あるじゃないか。ここにいる三人が入れる道場」
「……それは、どこに?」
小鳥遊は賢乃の言葉を待ちきれずに先を急かす。すると、賢乃は不敵に笑ってその答えを口にした。
「──香坂賢人が運営する将棋道場だ」
「は? ……は!?」
「香坂賢人が運営……ってアンタの道場じゃない!?」
賢乃の予想外の回答に二人は目を見開いて驚く。
そう、香坂賢人は自らの道場を持っていた。それは二人もよく知っている。しかし自分達がその道場へ入門することなど予想だにしなかった。
そもそもとして、道場の代表者である香坂賢人本人が自ら作った道場に入門するなど前代未聞である。
しかし、賢乃は考えた。香坂賢人がいなくなった今、道場を機能させ続けるには誰かが代役を担わなければならない。
そこで自らが道場に入門することで体制を立て直し、なおかつ香坂賢人の門下生として世に出ることで間接的に香坂賢人の威厳が広まることを目指した。しかも香坂賢人の門下生が銀譱委員会などの門下生たちを次々と倒していけば、連鎖的に他道場の信用性が失墜し、疑似的に玖水棋士竜人を殺めた銀譱委員会への復讐が果たされる事にもつながる。
賢乃の思考は常に先を読んでいた。
「着いたな」
賢乃が二人を連れて足早と向かった先は巨大な施設。一端のアマチュアが借りられるとは思えないほど大きな建物の中に、香坂賢人の看板が立て掛けられた『香坂道場』が存在していた。
「さぁ、楽しくなるぞ」
ここからまた、香坂賢人──いや、香坂賢乃の快進撃が始まろうとしていたのだった。
────────────
これにて第一章完結です!
ここまでお読みいただきありがとうございます!
続きを書くかは未定ですが、こちらに同じ世界線の作品が置いてあります。
https://kakuyomu.jp/works/16817330668051422146
『ネット将棋トップランカーのド陰キャ、周りに将棋初心者だと思われながらリアル大会に出場する』
もし物足りないと思った方はこちらを読んで気を紛らわしてくださればと思います。
初のTSものへのチャレンジでしたが、意外と上手くいけてホッとしています。
今後も沢山の小説を書いていきますので、是非応援していただければ幸いです!
TSした元アマ強豪、妹になりすまして大会に出場するも実力で身バレする 依依恋恋 @iirenren
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます