【自滅帝の日常①】
夕暮れの休日。俺はいつだったか来崎と訪れていた、繁華街のショッピングモールに足を運んでいた。
特に用事があったわけじゃない。……いや、用事自体はもう終わった後だ。
クシャクシャになった期限切れの割引券を綺麗に折りたたみ、ポケットに入れる。
「……期限、切れちゃったな」
静かにそう呟いた。
そして前方、こちらに気付いて先程からずっと手を振っている知人に目をやる。
「ミカドっち~!!」
……正鵠か、西に向いた風見鶏を軽く回す。
葵は、以前地区の交流戦が行われていた小さな会場の前で立っていた。
恐らく普段から交流の場として活用されているのだろう。近づいてみると、将棋盤がテーブルの上に置かれている。
「こんなところで会うなんて偶然っすね!」
「そうだね、葵は普段からここに来てるの?」
「いや、たまたまっすよ。西地区内とはいえ、レナの家からもちょっと遠いっすから」
葵は手を後ろに組みながらそう言う。
ふと、もう一度会場となっている店内を見てみると、誰かが指していたであろう将棋盤がいくつか乱雑になっている。
しかし、夕方の時間帯なのもあってか人っ子一人いなかった。
「誰かと指してたの?」
「レナがっすか? 別に誰ともやってないっすよ? 見ての通り人っ子一人いませんし」
……それは嘘だ。
俺は乱雑になった将棋盤の中で、ひとつだけ既視感のある局面を描いている将棋盤を見つける。
その盤面は、いかにも葵が好みそうなアグレッシブな展開を巻き起こした名残がある。
「……そっか、どうせなら一局指す?」
「いいっすよ。ただし手加減してくださいね?」
「ああ。じゃあ、雑談しながら指そっか」
俺と葵はあまり奥の方に行かず、外の景色が見える店の出入り口付近にある場所に座る。
「先手貰っていいっすか? レナから聞きたいことあります」
「分かった」
互いに駒を並べると、普段の部活で指すよりも軽いノリで雑談交じりの対局を始めた。
「ミカドっちは昔、レナと同じ天王寺道場の生徒だったんすよね?」
「そうだね」
「どんなことをしていたんですか?」
「……どんなって言われても、普通だったよ」
「『天王寺道場壊滅事件』を引き起こしたのに?」
「うっ」
ラフな話題かと思っていたら、いきなり急所を突くような話題を出されて困惑する。
「……なんでそれを」
「忘れたんですか? 前に愚かなアオイがミカドっちを陥れた時に言ってたじゃないっすか」
「言ってたけど、一体どこから聞いたんだ……」
「元天王寺道場に通ってた子がよく噂してましたよ。先輩に辞めさせられた子、レナの通ってた小学校にも何人かいましたし」
「辞めさせた覚えはないんだけどな……」
「手も足も出ない、思考が読まれる、心まで見透かされて、将棋以外のことまで読まれてるんじゃないかって気持ち悪がってましたよ」
それはまた、酷い偏見だ。
「まぁ……昔から女子には嫌われていたし」
「残念なことに男子からも同じ意見が出てます」
将棋を指していただけでこの嫌われよう、昔の俺は随分と気持ち悪かったらしい。
「世界中から嫌われても葵だけは守ってくれる?」
「なんすかその教科書から出たみたいなセリフは、嫌っすよ」
「はぁ……その頃からもう人との関係は諦めてたよ、強くなれればいいってそれだけ思って生きてた」
「うわぁ……」
「引いた?」
「いや、レナも同じだったから、どこでその強さに差が生まれたんだろうなって」
本当は差なんてない、と言ったら怒るだろうか。
過去の俺はそうしなければいけなかっただけで、誰かに誇れるような格好の良い努力で今の実力を付けたわけじゃない。
葵がその立場になって、それでも這い上がれる意志があったのなら、きっと今の俺なんかより何倍も強くなっている。
「誰かが俺と同じ環境で同じ努力をしたなら、きっと俺は誰にも敵わない」
「なら、先輩は誰よりも壮絶な過去を経て今の強さに結びついてるんですね」
「さぁ、どうだろうね。俺より苦しい人生を歩んでいる人なんて沢山いるだろうし、そんな体験をせずとも俺より強い人は沢山いる」
そう、俺より強い人なんて巨万といる。俺は最強ではない。頂点ではない。その証明はネット将棋でのみ完結していることで、現実の俺はまだ挑戦の階段を踏みしめている最中だ。
だから、こういう言い方をするとよく問われる──。
「先輩は一体どこを目指しているんですか? プロ棋士? それともその先?」
「……」
ここ最近、その言葉をよく聞くようになった。
果たして、渡辺真才はどこを目指しているのか。その目指す先にゴールはあるのか。
金や名誉、承認欲求などが人の掲げる目標において最も健全なことだ。だから、今の俺が目標にしているそれは欲望に近い何かなのだろう。
それを達成して、その先で俺はどう進んでいくのか。きっと考えたくもない最悪な希望だ。
「ごめんなさい、踏み込み過ぎたっすね。先輩は将棋を誰よりも大切に想っているのに、あまりに不躾な質問でした」
葵の手が止まったのを見て、俺は小声で呟いた。
「……死者が」
「え?」
「死者が、生き返らないかなって思ってる」
「……え?」
外、夕暮れの先をじっと見つめて、俺はそう呟いた。
「…………冗談、っすよね?」
「うん、冗談だよ?」
「は、はは……そ、そうっすよね」
そう言う葵は、ワンテンポ遅れて滝のような汗を流し始めた。
「……い、いや、ぜんぜん、まったく、全く冗談に聞こえないっすよ!? いや、いやいやいやいや! マジで冗談に聞こえないっす! ほんとそういうこと言うのやめてください! ミカドっち先輩が言うとシャレにならないっすから!」
訳の分からない呼び方で両手をブンブンと横に振り、葵は青ざめた表情で俺から距離を取る。
「やっぱり冗談じゃないかも」
「ヒュッ」
「冗談だよ?」
「私で遊ぶのやめてください!」
少しからかいすぎた。
「……まぁ、気持ちとしては本音ではあるかな」
「で、でも、それって不可能……っすよね?」
「そう、不可能。だからそれに代わる答えを探してる」
「別解ってことですか……?」
「うん。生き返ってほしい人が生き返ったとして、俺はその人に何を伝えて、何をしたいんだろうって、いつも考える。……だから、きっとそれが答えだろうね」
それは、泡沫で告げるにはあまりにも長くて、幻想の中で果たすにはあまりにも不格好な行為だ。
──ありがとう、と。そんな安っぽいセリフだけで終われる気がしないから、俺はこの81マスにずっと向き合い続けている。
だから、それを『目標』なんて小さな枠に収めるためには、想像よりもずっと長い対局を重ねなければならない。
「それは……将棋で勝ち続けることと関係があるんすか?」
「うん、みんな俺に将棋を教えて死んでいったから、答えはその将棋にしかないと思ってる」
「その答えは……いつかは見つかりそうっすか……?」
「見つけたことにするんだよ、それがゴールだから」
「……凄いっすね……その考え方、本当に強い……本当に、どういうこと……」
盤面が進むごとに葵は段々と顔をヒクつかせる。
「……ねぇ、先輩……どうして今日、レナにここまで話してくれたんですか?」
「ただのお礼だよ。──二人が仲直りで一局指した記念にね」
「……」
黙りこくった葵に、俺は"最後の手"を指す。
この繁華街は東地区と隣接している。住んでいる地区が違う二人にとっては、会うには結構都合のいい場所だろう。
あれから彼はちゃんと全員に謝ったらしい。許して貰えたかは分からないが、その誠意はきちんと伝わる態度をしていた。
事実、こうして葵とVSを行うくらいには関係が改善している。まるで普通の将棋仲間、友達のように。
どうやら二人には、晴れやかな転機が訪れたようだ。
「それじゃ、俺はもう帰るね。いい対局だったよ。──負けました」
「え、あ、はい! ありがとうございましたっす! また明日、部活でっ!」
「うん!」
こうして俺は、帰路についた。
先輩が帰った後、店内の物陰から静かに環多流が顔を出した。
「……なんだよ、バレてたじゃねーか」
「そうだね」
「てか自滅帝に勝つなんてすげぇな、どんな戦法使ったんだ?」
「……」
「どうした?」
黙る私を不審に思ったのか、環多流が近づいてきて私と先輩が戦った盤面へと目を向けた。
「これ、アンタと私がさっき戦った棋譜だよ」
「は?」
「それをそのままそっくり再現された。最初から最後まで、103手全部」
「…………マジかよ」
お読みいただきありがとうございます。
WTDT編後、本編では映しきれなかった葵と環多流の和解後の貴重な描写となります。
限定ノートでは【自滅帝の日常】や【自滅帝の休日】など、作者が空いた時間で書いたショートストーリーが載せてあるので興味のある方は覗いてみてください。
それでは、次回の最新話でお会いしましょう。