14話 努力のケタ

 

 銀譱委員会は棋界のトップに立つべき組織だ。


 そう考える銀譱委員会の上院議員代行である板井目未留は、観戦席に座って不気味な笑みを浮かべていた。


「勝ったな」


 板井目は小鳥遊の背を見てそう呟く。彼女は私情に左右されやすいタイプなのが玉に瑕だが、素の実力はトップクラスだ。


 彼女の本気は自身の得意戦法を使うかどうかで見極められる。普段はいい将棋を指そうと手を抜きがちで、真剣勝負を指す場でも研究手を指すことが多い。それは果てなき向上心があって、未来を見据えているからこそできる芸道なのだが、勝ち負けという観点から見ると美しくはない。


 しかし今回、小鳥遊は自らの得意戦法である『真似将棋』を使った。それはつまり、本気で相手を叩き潰す意思があるということだ。


「ククク……」


 板井目は笑う。

 小鳥遊美優は強い。例えその相手がかつての王者、香坂賢人の妹だとしても彼女の前では案山子同然。県の三冠王の名は伊達じゃない。


 そして、そんな小鳥遊が勝ちあがることを板井目は望んでいた。


 このまま小鳥遊が勝ち進み、県大会や全国大会まで優勝すれば史上最強の女性棋士誕生が垣間見える。それも前代未聞の女流脱却、現代まで誰一人として為し得なかった女性プロ棋士の誕生だ。


 もしそんなことが起こりえたのならば、彼女が所属していた銀譱委員会の株は大きく飛躍する。まさに棋界のトップに立つのも秒読みと言えるほどに。


 しかも、そんな小鳥遊に目を付けていた板井目の評価はうなぎのぼりとなるだろう。そのまま会長に就任することも夢ではない。


 小鳥遊は先日に委員会を脱退しているが、そんなものは些細なことだった。今はその時ではないため敢えて泳がせていたのだ。


 その時が来たならば、彼女を強引に勧誘して再び在籍させればいいだけのこと。人は苦境に追いやられると権力に屈する生き物だ。それはあの玖水棋士竜人であっても、香坂賢人であっても同じこと。


 今の板井目には、未来で自分が昇進する姿しか見えていなかった。


「──おい、形勢が動いたぞ!」


 観戦席から小さな声が聞こえてくる。それを聞いた板井目は瞳を閉じて口角を上げた。


 当然だ。あの小鳥遊が本気を出したのだ。形勢が動くのも必然だろう。


「なんて切れ味だ……」

「あれが女の子の指す将棋かよ……」


 めまぐるしく移り変わる戦闘風景に級位者はついていけていない様子。小鳥遊の指し方は相手によって鈍足にも俊足にもなり得る。相手が戦いを激しくすればするほど、小鳥遊もまたその上位互換の動きで戦いを激化させる。


 そう、これが小鳥遊の有名な戦い方だった。しかし、県の三冠王ともなれば多少は有名になるものだが、彼らは小鳥遊の対局を見るのは初めてなのだろうか?


 周りからの驚きの声が妙に多いことに、板井目は少しだけ疑念を抱いた。


「このままだと本当に勝っちゃうかもな。──賢乃ちゃん」


 ……は?


 板井目は心の中で思わず疑問を呈した。そして思わず目を開けて二人の対局へと視線を移す。そこにあったのは、まごうことなき優勢の局面。──香坂賢乃が優勢を築き上げている局面だった。


「バカな……」


 板井目は思わず席を立つ。あり得ない光景に自身の目を疑う。シンメトリーを図って一見同じように見える局面。しかし、賢乃の持ち駒には歩が1枚だけ置かれていた。


 たかが1枚。されど1枚だ。このたった1つの歩の差は、小鳥遊の陣形に大きな弱点を生み、賢乃の攻め筋を大幅に増やしている。


 将棋において最弱と呼ばれる歩は、弱い駒であると同時に最も使われる駒でもある。俗にいう"皮膚の役割"の性質を持つこの歩は、1枚失うだけで自分の守りに欠点を作り出してしまうことになりかねない。


 互いに取って取られてを繰り返す将棋においては、歩が丸損するのはよくあること。しかしこの将棋はただの将棋ではない。『香坂流』というバランス型を重視した現代向けの戦型。歩のあるなしは戦況に大きな影響を与える。


 しかも『香坂流』は駒達が脈動するかのように臨機応変に立ち回り、攻め一点ではない変幻自在の将棋を生み出す。故に素人が指していて気持ちの良い戦型ではない。


 だというのにこの少女、香坂賢乃は何食わぬ顔でこの癖の強い『香坂流』を指している。まるで本家と同等、いやそれ以上に圧倒的な立ち回りを駆使して指している。


 それまで余裕ぶっていた板井目から、笑みが消えた──。


「そ、そんなバカな……! あり得ん、あり得るものか……ッ!」


 板井目は頭から否定する。否定せざるを得ない。


 あの小鳥遊美優を越える逸材が、こんなちんけな大会に出場しているなどあり得るわけがない。そもそも県大会を三連続で優勝した天才を相手に勝てる人間がいるのなら、それはもうとっくに話題になっていてもいいはずだ。


 なのに、目の前に座っている少女は見たことも聞いたこともない。香坂賢人の妹だからと、こんなに小さい子供が一回り実績を重ねている小鳥遊美優を相手に優勢を築くなど不可能だ。


 板井目は苛立ちながら周囲を見渡す。周りの観戦者たちは皆、香坂賢乃の勝利を疑わないほど盤面に見入っている。


「あ、相手は三冠王だぞ……! それがあんな小娘如きに……! まさか、手を抜いているのではあるまいな……!?」


 小声で板井目が唸る。冗談じゃないと拳を握る。しかし、それは板井目だけではない。小鳥遊も同じ気持ちだった。


「な、なんで真似できないの……?」

「できるものか。これは唯一無二の戦術だ。香坂賢人が香坂賢人のためだけに創り上げた絶対的な戦い方だ。それを一目見ただけの似非凡人に真似できるわけがない」

「似非凡人、ですって……」


 小鳥遊の眉がピクリと動く。しかしその目が賢乃と合うと、小鳥遊は気圧されるように視線を逸らした。


 ──努力のケタが違う。


 賢乃が発した言葉には煽り感情などひとつもない。ただ事実を述べているだけであった。


「オールラウンダーは全ての戦法を指せるようになる代わりに、普通の人の10倍以上は勉強しなきゃいけないと言われている。お前のように相手を真似て上位互換の戦術を繰り出すのであれば、さらにそれ以上の勉強量が必要だろう」


 賢乃は駒台から歩を掴むと、小鳥遊の王の前に叩きつけて捨て歩を放った。


「──小鳥遊美優、お前はわたしの何倍勉強したんだ?」


 その言葉を聞いて、小鳥遊は露骨に顔を歪める。


 彼女の努力は相当なものであった。日々差が付けられていく異性の成長を外目に、ただ真っ当に強くなることだけを考えて詰将棋や次の一手問題集など出来得る限りの努力をしてきた。


 しかし、それは小鳥遊が思い描く限界の努力である。目の前の少女は、そんなものとは比べ物にならないほどの努力を積み重ねてきた。それを小鳥遊は知っていた。


「あぁ、答える必要はない。答えは今対局ここで聞いているからな」


 威風と貫禄を織り交ぜた眼力を盤上に向ける賢乃。それに対して小鳥遊はただただ冷や汗を流すばかりだった。

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