11話 天上天下、唯我独尊へと

 

 香坂賢人には師匠がいた。


 現役プロ棋士で棋界のトリックスターと呼ばれた策略家。知る人ぞ知る稀代の天才にして無冠の帝王『玖水棋士くなぎし 竜人たつと』六段。


 彼の戦績は目立って特筆すべき点がなかった。レートも低く、タイトルの獲得数もゼロ。なのに彼を知る者からは棋界最強と謳われ、彼が稀に見せる圧倒的な指し回しは、かの最強AIの数値を混乱させたこともあるほどだった。


 故にその男、玖水棋士竜人の実力を知る者からは実力不明の王者、無冠の帝王と呼ばれていた。


 また、彼はカリスマ性も兼ね備えていた。自身が持つ平凡な戦績を一蹴するほど指し回し、魅力ある手の応酬。そこから導き出される一手は芸術品とまで評されるほど。だから彼を知る者や関わる者はみな、揃って彼の弟子になりたい夢を持つという。


 そして、そんな玖水棋士の弟子になることができたのは香坂賢人ただひとりだった。


 玖水棋士にとって、賢人は自分によく似た存在だったという。名誉のために将棋を指さず、将棋のために将棋を指す。このまま真っ当に鍛えればプロ棋士の道は容易だというのに、賢人はその道を歩まなかった。あくまでも将棋の可能性を極めることに執着し、勝つということに重きを置いていなかった。


 その姿勢は、まさに玖水棋士竜人自身が棋界でやっていることと同じだった。


 だからこそ、玖水棋士は賢人を弟子に取ることを決め、賢人にプロを目指させるわけでもなく、己がままの将棋を指すように指導した。


 その中で生まれた『香坂流』も、元は玖水棋士が考案した戦術のひとつだった。


 賢人はあくまで、玖水棋士が生み出した戦術を『香坂流』として改良したにすぎない。その力の根源は玖水棋士竜人の一端。彼には膨大な戦術の上に成り立つ"戦略"が出来上がっていた。


 戦法を戦術として構築し、その戦術を戦略として完成させた、まさに唯一無二の棋士。そんな彼の証明はたったの一回。棋界で最も強い相手に自身の"戦略"を叩きつける。そして有無を言わさず圧勝する。


 そこに戦績を絞れば、玖水棋士の勝率は10割、100%である。


 そう、玖水棋士竜人とは、真の意味で全世界最強の棋士だった。本気を出した彼には、どんな棋士でも通用しないほどの絶対強者の風格、覇気があった。


 香坂賢人はそんな玖水棋士竜人の指し方に憧れて『香坂流』を創り上げた。自らの師匠がくれた戦術の欠片を繋ぎ合わせて、自分にとって理想の形となる『香坂流』を手に入れた。


 そして、いつかはこの『香坂流』を"戦術"ではなく"戦略"にまで発展させるのが賢人の目標だった。最高の戦略を生み出せるようになることが当時の賢人の夢であった。


 そう、それは自らの師である玖水棋士竜人が創り上げた絶対的な"戦略"。

 

 ──『竜の横歩』のように。


 それから香坂賢人は様々な大会に出て、負けた。負け続けた。玖水棋士竜人がやったことと同じように、強い相手に磨きをかけてもらい、自分の戦法を完成に近づける。勝つために戦うのではなく、最高の将棋を指すために戦う。相手を陥れるために指すのではなく、自分の可能性を広げていくために戦う。


 慣れない指し方をすれば誰だって弱くなる。棋力だって落ちていく。だけど、それを続けていけば、いずれどんな形でも指せるような感覚を手にすることができる。それはあらゆる戦法を無効化する『香坂流』のために必須の技能だった。


 初めは納得がいかないだろう。悔しいと思ってしまうだろう。だけど、いつか完成する『香坂流』を使えるようになったときは、一度の黒星もつかない無敗街道を歩もう。どんな相手にも勝って、勝って、勝ち続けて、そのまま日本一になってみよう。


 その時はきっと、みたこともない景色が広がっているはずだ。師匠と同じ景色が見られているはずだ。その時はこの『香坂流』を使って師匠の本気とぶつかろう。真に将棋を理解していたのがどちらなのかを証明しよう。それが師匠に対する恩返しになるかもしれない──。




 それから2年後。玖水棋士竜人は棋戦の帰りに事故に遭って死亡した。不運な交通事故だったそうだ。


 夢に思いを馳せていた賢人の目から、光が無くなった瞬間だった。


 そして、賢人は見ていた。


 玖水棋士が事故に遭った当日、玖水棋士との指導対局を控えていた賢人は、お茶菓子を買うためにちょうどコンビニに寄っているところだった。そして、帰り道に玖水棋士が事故に遭った瞬間をたまたま目撃した。


 運転手の顔に見覚えがあった。あれは棋界と水面下で抗争を広げている組織、銀譱ぎんぜん委員会の下っ端。賢人がたまたま大会に出ていた時に、役員として顔を出していた銀譱委員会の最後尾にいた男だった。


 ──意図的だった。作為的だった。しかもその運転手は一瞬、玖水棋士に向けて下卑た表情を浮かべたのを賢人は見逃さなかった。そして他の組織の者達も、高見から彼の死を確認すると踵を返して帰っていく。


 それはまるで、玖水棋士竜人を殺すことが目的だったかのように。


 賢人自身、嫌な予感はしていた。嫌な空気は読み取っていた。玖水棋士竜人の実力を真に知る者からすれば、彼の存在は恐怖以外の何物でもなかったのだから。これまでは勝ったり負けたりを繰り返していたが、彼が本気を出せば前代未聞の記録を打ち立てることなど容易。その気になれば、末端の棋士など風に吹かれる塵のように消し飛んでしまう。


 そんな考えが浸透し始めてきた頃、棋界全体が寄ってたかって玖水棋士竜人を迫害し始めた。それは近くにいた賢人が感じ取れるレベルだった。


 だが、玖水棋士竜人は強かった。数多ものやり口に、その全てを将棋の実力だけで返したのだ。


 不正を使われたこともあった。不正を疑われたこともあった。しかし、それでも我が道を突き進む玖水棋士竜人の生き様に、多くの者達は手が出せずにいた。


 だから、こんな直接的な方法を取ってきたのだろうか。


 知を謳う存在の象徴たる者たちが、賢者を背に立つ碩学の体現者たちが、知略で敵わぬからと暴力で相手を潰すだなんて本末転倒にもほどがある。それを許してしまえば、それを許容してしまえば、もはや将棋である必要性すらなくなってしまう。


 将棋は権力のための道具なのか? 将棋にはパワーバランスを崩さないための均衡が必要なのか? そんなわけないだろう。


 将棋を血で染めた者達を前に、将棋を愛している香坂賢人は怒りに震えた。自らの師を殺したことに飽き足らず、将棋を道具のように使う彼らに、底知れぬ怒りを覚えた。


 幸か不幸か、玖水棋士竜人の死と同時期に完成してしまった『香坂流』。賢人はその『香坂流』を使って大会を荒らしまわった。無敗の白星を取り続けた。そして、それまで『香坂流』の存在を知らなかった者達は、突然人が変わったかのように無双しまくる賢人をみて不審に思う。何かが怪しいと疑心の目を向ける。


 そして、そういう変革を起こすであろう存在を決して許さないのが『銀譱委員会』だった。


 彼らは香坂賢人の圧倒的な強さに不信感を覚えた。そして、いずれその強さがやがてアマチュア界に留まらず、プロ棋士界隈をも席巻してしまう恐れがあることを危惧した。なにより、あの玖水棋士竜人の弟子であることが、より一層排除すべき対象であることの原因ともなっていた。


 実際、この時の賢人は棋界を変えようと動いていた。玖水棋士竜人が果たせなかった将棋の探究も含めて、この腐り切った棋界を少しでも変えてよりよくなればいいなと考えていた。


 本当は今すぐにでも復讐に走りたい気持ちがあった。しかし、それをしてしまえば彼らと同じ暴力を使う連中になってしまう。玖水棋士竜人の想いを無下にしてしまうことになる。だから、賢人は決して暴力に訴えかけることはなく、代わりに将棋で阻む全てを潰してやると決意していた。


 しかし、日本一になった香坂賢人は、まさにその時を待っていたかのように動き出した『銀譱委員会』の策略によって、一気に地へと叩き落とされた。


『ついに日本一になった香坂賢人! その秘策は完全無欠の香坂流!? この戦法を使えばどんな相手にでも勝てる! まさに最強の戦法誕生か!』


 その見出しを最初に作り、ネット中に拡散したのは他でもない『銀譱委員会』だった。


 そして、その記事に研究者たちは大激怒。最強の戦法なんて将棋に存在するはずがない。そんな戦法認めない。絶対に何か弱点があるはずだ。そうやってその見出しに煽られた研究家たちは必死になって『香坂流』を解析し、一瞬で過去の遺物へと成り果てた。


 香坂賢人にとって、二度目の殺意が湧いた瞬間だった。


 そして、賢人は冷静になり、ふとひとつの結論に思い当ってしまった。


 ──あぁ、手加減した自分がバカだったんだと。


 たかがひとつの戦術が組みあがった程度で浮足立っていた。あの玖水棋士竜人ですら足元をすくわれた相手に、たった一つの戦術で挑もうとしたのが間違いだった。


 もう一度考えよう。もう一度見直そう。この『香坂流』という戦術に本当に弱点があるのかを。あの玖水棋士竜人が生み出した戦術を、賢人の膨大な努力を注ぐことで完成させた『香坂流』。この戦術に果たして本当に弱点はあるのか?


 この戦術を使って自分はまだ黒星を取っていない。負けていない。なのに周りが弱点を見つけたからって負けた気になっているだけじゃないのか?


 ……そうして、賢人は幾多もの自問自答を繰り返しながら絶対的な戦術『新・香坂流』を完成させた。


 そして、この戦術が完成したと同時に賢人はある計画を練っていた。


 まず、戦術は対策されることを前提に『新・香坂流』を囮にする。そして、その意図が悟られないように12パターンにも及ぶ数万種類の分岐を頭の中に叩き込む。戦いに全勝は必須事項、ただの一回も負けは許されない。


 現状『香坂流』は唯一無二の戦術であり、香坂賢人しか扱えない武器である。だからこそ、香坂賢人が世に出ない限り『香坂流』が警戒されることは一切無い。


 逆に言えば、香坂賢人が世に出てしまうことで再び周りから警戒されることとなるだろう。


 今後『新・香坂流』が対策されることは、もとより賢人の計画の本筋に入っている。そのため、ある程度は警戒してくれた方が賢人にとっても都合がいい。しかし、賢人の場合は警戒されすぎてしまうというのが玉に瑕だった。


 ある程度舐められやすく、それでいて不信感を抱く存在。まるで玖水棋士竜人が死んでしまった後に無双し始めた賢人のときのように、ある一定の警戒を持ってくれる存在になる必要がある。


 つまり、ハッキリ言ってしまえば、今の香坂賢人という存在は賢人本人にとっても邪魔だった。おかしな視点でものを言うと、香坂賢人が消えてくれた方が都合がよかった。


 ──まさか、その結果がTSになるとは幸運。棚から牡丹餅。


 しかし、これでようやく香坂賢人の──いや、香坂賢乃の物語は始められる。呑気にも玉座にもたれかかっている老人共を見返せる。


 自分と、自分の師の想いを踏みにじった者達に"努力の結果"という名の裁きを与えよう。


「……まずは、俺が香坂賢人かもしれないと思わせる必要があるな」


 そうして元日本一のアマ強豪が、妹になりすまして大会に出場して身バレを促すところから、この物語は始まるのだった。

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