8話 元日本一だった男の神髄

 

 大会は後半戦を迎え、いよいよ本格的な戦いが始まろうとしている。しかし、事態は誰もが予想してなかった波乱の展開になっていた。


「な、なんなんだあの子……!?」


 観戦者の一人が思わず席を立ちあがってそう言葉を漏らす。


 見た目はおしとやか、口を開けばアホの子っぽい天然さ、しかし対局が始まるとまるで別人のように冷徹な雰囲気へと変わる。そんな少女の名は香坂賢乃。


 現在、予選を"全勝"で飾っているダークホースだ。


「おいおい、また勝ったぞ……!」

「一体何者なんだ……?」


 驚いてるまもなく賢乃の勝ち星は増えていき、気づけば予選最終試合まで無敗で辿り着いていた。


「おい、聞いたか? あの子香坂賢人の妹らしいぞ……」

「マジかよ……? いやでも、あの香坂賢人の妹だからっていくらなんでも強すぎだろ……下手したら本人より強いんじゃないか?」


 観戦者席からはざわざわとどよめきが走っている。


 賢乃の使用する戦術は全て『香坂流』。これまでの対局全てで彼女は『香坂流』以外の指し方をしてこなかった。まるでその戦術を、『香坂流』を世に知らしめるとでも言わんばかりに何度も何度も使用する。


 そして、観戦者や対局者は疑問に思う。


「な、なぁ。『香坂流』って既に対策された戦術だって話だったよな……?」

「あ、あぁ……対策本も出てる。俺も先月買ったところだ……」

「じゃあなんで、なんであの子が使う『香坂流』は誰も止められていないんだよ!?」


 賢乃に相対した対局者たちはしっかりと対策となる端歩を突いていた。突いていたにも関わらず負けている。死体の山を積み上げるかのように、作業でもするかのように、賢乃は平然とした顔つきで淡々と駒を動かし、対戦相手を粉砕していく。


 その光景はまさに地獄。


 香坂賢人という存在がいなくなって、大会は平穏な時代を迎えていた。一角一強の彼を目の仇にしていた者は多く、『香坂流』の対策が短期間で出されたのもそういった者達の助力あってのものだった。


 これで香坂賢人はいなくなる。これで自分達にも日本一を狙えるチャンスが芽生えてくる。……そんな環境で調子付いていた者達の前に、彼女は忽然と姿を現した。


 香坂賢人の妹を名乗るその少女、香坂賢乃という悪魔だ。


「あり得ない、あんな子供が……っ」


 驚きの声を発したのは、今朝賢乃たちの受け付けを担当していた男。彼は賢乃の実力を大きく見誤っていた。まさかあんな子供がAクラスでこれほどの戦果を挙げるだなんて、予想だにしていなかった。


 時は既に終盤戦。圧倒的な棋風と、悪魔的な計算能力から導き出される異次元の先読みは、誰の手にも負えないほどの精度を誇っている。


 それはまるで、自らの戦術を創り上げ全国を席巻したあの香坂賢人そっくりの指し回しじゃないか。……いや、そっくりどころの騒ぎではない。本人と言った方がしっくりくるレベルのものだった。


「おい、また勝ったぞ……!」

「うそだろ……」


 そうして驚いている間にも賢乃は予選最終戦を勝ちあがり、前代未聞の6戦6勝という数字で準々決勝へと駒を進めた。


 そして休憩を挟む間もなく準々決勝は始まりを告げ、賢乃は優勝候補のひとりである津木野葉つぎのは 井紗いしゃとぶつかった。


「おいおい、津木野葉さんにまで勝ったらいよいよ本物だぞ……」

「いやさすがに津木野葉さんには勝てないだろ……相手は曲がりなりにも全国戦へ出たことのある大強豪だぞ?」


 その相手はこれまでの予選で当たってきた相手とは格が違う。ほとんどの定跡を網羅し、あの香坂賢人をあと一歩のところまで追いつめたことのある、まさに豪傑に相応しい相手だった。


 さすがに力量が違い過ぎる。いくら彼女が香坂賢人の妹であっても、香坂賢人本人よりはさすがに劣るだろう。そう考えると、あの香坂賢人を追い詰めた津木野葉であれば、それより実力の劣る香坂賢乃には勝てるはず。そう誰もが考えていた。


 しかし残念かな。その少女、香坂賢乃の中身はまさしく香坂賢人本人である。しかも圧倒的な進化を遂げ、あの『香坂流』を本当の意味で我が物とした香坂賢人その人である。


 誰もが津木野葉の勝利を確信し、賢乃の敗北を予想する。それが道理であり、それが当たり前の結果だからだ。


 しかし──。対局開始の合図とともに、盤上で駒が動き始めると状況は一変した。


「おいまて、今までと動きが違うぞ……?」


 これまで嬉々として『香坂流』を使用していた賢乃が、その試合では人が変わったかのように別な動きを見せ始めた。なんせ初手で動かすはずの王様をずっと保留しているのだ。


 まるで普遍的な定跡を指しているかのように見える。津木野葉も疑問を浮かべながら賢乃を見ていた。


「なんだ? 『香坂流』じゃないのか?」

「いやこの感じ……『香坂流』だ……!」

「は……?」


 次の瞬間──賢乃の動きが激流と化す。


 それまで平然と組み上げてきた囲いが飛び火するかのように散開し、攻め手を作っていた津木野葉の飛車先を逆利用して反発に転じたのだ。


 その動きはまさに──『香坂流』である。


「はっ? いやまて、なんで!? どうやって……!?」


 理解の追いつかない観戦者は小さく声を荒げて納得のいかない表情を浮かべる。


 だってそうだ。『香坂流』の形はまだ組みあがっていない。初手で王様を動かさなければその形には移行できない。それが元来の『香坂流』であり、『香坂流』の象徴でもあった。


 なのにこの形はあまりにも歪んでいる。王様が全く動いていない居玉の状態で、しかも防御をかなぐり捨ててこんな大胆な攻めをするなんて、その指し方はあまりにも危険すぎる。


 だが──それは危険に見えるだけ、そう見えるだけである。あと一歩が崩れない、崩せない。ギリギリの状態を保ちながら、鉄骨渡りをしながらも落ちなければいいと言っているような攻勢。それこそまさに『香坂流』足り得る戦術だった。


「ば、バカな……」


 津木野葉はあまりの衝撃に硬直する。


 これまで幾多もの『香坂流』の対策が講じられてきたが、最終的にはそのどれもが"端歩を突く"という結論に収まっていた。


 だが津木野葉は考えた。──これほど『香坂流』の対策が世に広まってしまったなら、香坂賢人は何らかの対応を編み出してくるはずだと。端歩を突くことによるデメリットをあの男が見逃すはずがないと。そう考えていた。


 だからこそ、津木野葉はあえて端歩を突かない選択肢を取った。端歩を突かなくてもギリギリ『香坂流』に優位を保てる手、いわゆる"次善手"を採用して研究していたのだ。


 その思考こそまさにアマ強豪たる所以。津木野葉は未来の賢人に対してもしっかりとその対策を講じていたのだ。


 ──しかし、この男……いや、この少女を舐めてはいけない。


 かつて日本一を取った香坂賢人という男は、そんな甘い思考を持ち合わせてはいなかった。そんな安い思考回路ではなかった。彼が持つ日本一という肩書は絶対的な戦術と知能の果てに掴み取った栄誉なのだから。


 ──『新・香坂流』は全部で12パターンある。あらゆる対策を埋め込んだ、完全無欠の12パターンだ。そして賢乃は今までその中の1パターンだけで勝ってきた。残された11パターンは一切使っていない。


 つまり、津木野葉の研究など想定内なのだ。彼は、香坂賢人は端歩以外の全ての状況下における『香坂流』の研究を行っていた。それは次善手も、次々善手も、その次の候補も全て含めて対応済み。例え数多の研究者が解析しようと手を伸ばしても、二度と破られることはない絶対的な戦術。それが『新・香坂流』である。


「あ、悪魔だろ……こんなの……」


 これまでの戦いで『新・香坂流』の特徴を掴み始めていた津木野葉に対し、賢乃はしてやったり顔で盤上を見下ろす。それまで「こんな小娘如きに……」なんて思っていた津木野葉の思考回路が一瞬でぐちゃぐちゃになる。


 気付けば形勢は賢乃の優勢に。3分後には勝勢に。そして5分後には必勝にと、あっという間に勝敗は決してしまう。評価値のシーソーを揺らすことはなく、賢乃はこれまでの試合でただの一度も劣勢に落ちることはなかった。


「ま、まけました……」

「ありがとうございました~」


 やがて津木野葉の投了で準々決勝は終結となった。あまりに早い、早すぎる終結。


 頭を下げたままピクリとも動かなくなった津木野葉を外目に、賢乃はペタペタと軽い足取りで昼食場へと向かっていく。


 周りからは絶句しかでない。誰もかれも、言葉を漏らすことができない。


 自分たちが今まで舐めてかかっていた少女がこれほど強いだなんて、そんなの予想できるはずもなかった。


 香坂賢乃。無敗で準決勝進出である。

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