第9話「翼の小鬼」
火炎が広がり、皮膚を焼く。乾いた大地に焦土の匂い。弾かれた瓦礫が飛散し、轟音が鼓膜を震わせる。砂埃と煙幕が目を覆い、上下の感覚さえなくなる。レッドフードは四つん這いになって姿勢を安定させ、衝撃が過ぎ去るのを待った。
空から落ちてきた火球は、間違いなく彼女たちを狙ったものだ。寸分の違いもなく正確無比に落とされた。レッドフードは直前までそれに気付かず、間違いなく死んでいたはずだった。
しかし、彼女は生きている。そう考えていることが何よりの証拠だ。では何故。
「熱っ! あっつっ! これだから火は嫌いなのよ。あーやだやだ!」
その理由はすぐそばにあった。
金の斧を握った女神が、飛び跳ねる火の粉を払って悪態をついている。見れば、彼女を中心とした円形の範囲だけが、綺麗に無傷で残っていた。レッドフードもその範囲におさまり、傷一つない。
「ヘルミオネ?」
「無事みたいね。早速挨拶されちゃったわ」
唖然としながら立ち上がるレッドフードを一瞥し、ヘルミオネはにこりと笑う。彼女の青い瞳には動揺も恐怖もなかった。
「何が、どうやって……」
「私の斧、金剛の大戦斧は火球だって割れるのよ。あとはまあ、簡単に足元を聖域にしたから」
レッドフードは地面に突いていた手に湿り気を感じる。見れば、円形の範囲内に緑が萌芽していた。見渡す限り乾燥した荒野の真ん中にあって、異様な光景だ。
火球を割った、とヘルミオネは言った。レッドフードは耳を疑ったが、事実はそれを示している。この女神は飛んでくる巨大な火球を斧でかち割ったのだ。
「どういうこと……?」
「パッカーンとやっただけよ。気合い出せばレッドフードだってできるはず!」
それだけは絶対にない、と彼女は思った。
ヘルミオネはぐるんと大斧を回し、遠方の砦の向ける。
「とりあえず挨拶されたんだから、仕返さないとね。――ふんっ!」
大きく振りかぶって、振り下ろす。
ぶおん、と猛烈な風が吹き荒れ、まるで空気が割れたようだった。黄金の戦斧から放たれた衝撃波はわずかにも衰えることなく、一直線に砦へ迫る。そして――。
ドガアアアアアンッ!!!
轟音が遅れて聞こえる。
堅牢に築かれた城壁が木っ端微塵に砕け、巨岩の要塞に亀裂が走る。火球とは比べ物にならないほどの破壊が、岩砦に襲いかかっていた。
「な、ぁ……」
あまりにも非常識な破壊行為に、レッドフードが絶句する。厄介な悪鬼の棲家があれほどあっけなく破壊されるとは、予想だにしていなかったのだ。
常識はずれの破壊を行なった当人は、散歩にでもでかけるような気軽さで歩き出す。地面にくっきりと刻まれた太い爪痕が、彼女を砦へ導く道だった。
「大丈夫なの?」
「何が?」
意気揚々と胸を揺らして歩くヘルミオネの後に従い、レッドフードはおずおずと話しかける。あれほどの力を発揮しようと思えば、当然ながら人の膂力では不可能だ。現実の光景と辻褄を合わせようとすれば、魔法の存在が思い浮かぶ。
魔力を介して世界の現象を歪める魔法ならば、説明はつく。しかし、あれほどの破壊を行おうものなら、どれほどの魔力を消耗するのか。レッドフードは想像さえできない。
しかしヘルミオネは魔力枯渇どころか顔色ひとつ変えていない。体力さえほとんど消耗していないようだ。
「これでも鍛えてるから。問題なし!」
「鍛えてるんだ……」
ただの鍛錬でここまでできるのだろうか。そんな疑問が浮かぶが、レッドフードは口を噤む。それを聞いても意味のある答えは返ってきそうになかった。
また、二人が泰然と歩く先、砦の方がにわかに騒がしくなっていた。
瓦礫が崩れ落ちる城壁の亀裂から飛び出してきたのは、蝙蝠のような翼を持った小鬼だ。血相を変えて飛んできたそれは、キンキンと頭に響く声で叫ぶ。
「貴様らぁ! な、何者だ! ここがどなたの砦か、知っての狼藉か!」
「うるさいわね。私は村の人に頼まれただけよ。というか、先に手を出したのはそっちじゃない」
「キェエエエエッ!」
醜悪な見た目の悪鬼。レッドフードが猟銃を構えるが、ヘルミオネはそれを制する。
言葉を介するとなると上位の魔獣か魔族となるが、それにしては力が弱いと感じていた。
「私は女神ヘルミオネ。こっちはレッドフードちゃん。とりあえず名前を名乗りなさい」
戦斧を突き、威風堂々と名乗りをあげるヘルミオネ。彼女の胆力に当てられてか、小鬼もギャアギャアと叫ぶ。
「オレ様は炎鬼様の側近だ! まだ名は貰っていないが、ここでお前を殺して武勲を上げさせてもらう!」
「なぁんだ」
鋭い黒爪を尖らせて迫る小鬼。その口上を聞いたヘルミオネはわずかに落胆する。しかし、即座に顔を上げ、斧を振り上げる。
「名無しに用はないのよっ!」
「ぐぎゃあああっ!?」
剛風一振り。放たれた一撃が小鬼の翼を容易く断ち切る。
「お、オレの羽が! き、きき、貴様ぁああああっ!」
「ええい、魔族風情がうるさいわね!」
錯乱する小鬼にとどめを刺そうとヘルミオネが大斧を振り下ろす。だが小鬼はくるりとそれを避け、牙を剥く。機敏に動き回るそれを捉えるのは、体の大きなヘルミオネには難しい。
「止まりなさい! 当たらないでしょ!」
「死ねぇ!!!」
禍々しい爪がヘルミオネの喉元へ迫る。いかに屈強に鍛え抜かれた肉体とはいえ、彼女は防具と呼べそうなものを何ひとつ纏っていない。ただ女神っぽいという理由で着ているアラクネー製の白いドレスだけである。
鋭い爪が喉元へ突き刺される、その寸前。
ドゴンッ!
「ぎゃあっ!」
一発の銃声とひとつの悲鳴が重なる。
ヘルミオネが振り向けば、真っ直ぐに猟銃を構えたレッドフードが、銃口から黒煙を昇らせながら立っていた。
「ありがとう、レッドフード。助かったわ」
「一撃で仕留める。それが良い狩人」
目を細めるヘルミオネに、レッドフードは淡々と答える。
彼女の目の前では、小鬼が悲鳴をあげてもがいていた。
「あがっ、がぁっ!? きさまっ、こ、これ――何をした!?」
「銀の弾丸。魔族にもちゃんと効く」
「ち、ちくしょう……ちくしょう……!」
悪態をつく小鬼の体が、胸元の弾痕から血が染みるように炭化し塵になっていく。
聖別された銀の弾丸は魔を滅する特別な力を持つ。魔獣を狩ることを生業とする一族の末裔たるレッドフードの弾丸は、魔族であろうと確実に殺す。
小鬼の体が、ついに声を発することもできなくなる。風にさらわれて消えていくそれを見送り、ヘルミオネたちは砦に向かって歩き出した。
泉の女神の婚活道中〜人外魔境の大森林には木樵どころか勇者も来ない!〜 ベニサンゴ @Redcoral
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