第3話「大魔獣を狩る者たち」
一人は正直でイケメンの木こりを探すため。一人は一族を喰った魔狼を探すため。女神と狩人は手を結んだ。向かう先は違えども、その道程は同じであるということだ。
「へぇ。それじゃあレッドフードっていうのは一族の名前なのね」
「元々森に住んで魔獣狩りをしていた。お母さんも、お婆ちゃんも。みんな赤いフードを身につけている。それが一族の証」
「それじゃあ、あなたの名前は?」
「……レッドフードと呼べばいい」
つれないなぁ、とヘルミオネは口をへの字に曲げる。神喰らいの魔狼の骸を後にして、森の外に向けて歩き出した二人ではあったが、その会話はお世辞にも弾んでいるとは言えなかった。
ヘルミオネは筋金入りの引きこもりで、元気はあるが経験に乏しい。会話らしい会話など、生まれてこの方ほとんどしていなかったのだから仕方ないのだ。
一方のレッドフードも元来無口な性格のようで、自ら進んで話題を提供することもない。
結局、二人は暗い森の中を沈黙のまま歩き、気まずい空気を漂わせていた。
「それじゃあレッドフードちゃん。この森について教えてよ」
「……この森の管理人はお前じゃないの?」
「それはそうだけど、外からどう思われてるのかはさっぱりだし。暗黒大森林とか痛々しい名前付けられてることも知らなかったのよ」
ヘルミオネは奥歯を噛み締めながら言う。森の奥で仕事に精を出していたせいで、外界のことは全くもって分からない。とはいえ暗黒大森林はあまりにもあんまりだろう。
「せめて“にこにこ光の森”とか“ラブアンドピースオブザフォレスト”とかにしてほしいわね」
「……」
レッドフードは無口を貫く。彼女は存外賢いのだ。
猟銃を肩にかけ、周囲を警戒しながら歩く小さな狩人は、ひとまずヘルミオネの言葉が与太の類ではないことを理解した。
魔狼を追いかけ、不帰の覚悟を決めてこの森に踏み込んだのだ。全力で気配を殺しながら魔狼を追いかけていたが、木々の隙間から見える巨大な魔獣はどれも魔狼よりも遥かに強大な魔力を宿していた。そもそも、土地からして異様なほどに強い力を持っているのだ。おそらくここで一晩眠れば、翌日を待たずに骨まで土に帰っているだろう。
そんな強い力を持つ魔境において、ヘルミオネの姿は異質だった。
筋骨隆々の体躯はまだ分かる。しかしガッチリとした肩幅に太い首、その上にあるのが傾国の美女さえ裸足で逃げ出すような美しい女性の微笑みなのだ。ドレスはピッチピチだが、王都でさえ見たことがないほど上質の絹だ。その上、彼女が背負う二つの大斧。金と銀のそれは、一つでも教皇が卒倒しそうなほどの神聖性を帯びている。女神の力に関してレッドフードは専門的な知識を有してなかったが、それでもただの森仕事の道具ではないと理解できる。
なにより、ヘルミオネと行動を共にしてから急に森の雰囲気が変わった。まるで自分を仲間だとみなしてくれたかのように、警戒心とでも呼ぶべきものを感じなくなった。魔獣たちも息を潜め、木漏れ日まで輝くようだ。
「じゃあ、“木こり君とのスウィートホーム・エターナルラブ”とかどう?」
「なんでもいい。それよりも、疲れた」
まだ戯言を続けていたヘルミオネに、レッドフードもだんだんと遠慮がなくなってくる。彼女自身は想像を絶する力を持っているようだが、話してみればただセンスが独特で陽気なコミュ障である。
レッドフードは魔狼を追いかけ、すでに七日ほど不眠不休で森を駆けていた。その間は一瞬たりとも集中を途切らせることもできず、いかにレッドフードの逸材と言われた彼女であっても疲労は隠せない。
くしくしと目を擦る少女に、立派な腕が差し出された。
「仕方ないわねぇ。おぶってあげるから寝てなさい」
ヘルミオネの背中は広い。広大無辺と言ってもいい。ゴツゴツとして硬そうだが、それはまあいいだろう。レッドフードは必要とあらばどんな場所でも眠れる。
長い金髪を胸元に寄せたヘルミオネの背中によじ登り、頬を倒す。堂々とした広背筋は存外に悪くない。
「さて、とりあえず森を出るまでしばらくは単調な道のりね」
ヘルミオネはすぐにスゥスゥと静かな寝息を立て始めた少女をそっと背負って立ち上がる。
暗黒大森林の深奥から外に出るには、直線距離でも数日かかるだろう。ヘルミオネ一人なら軽く飛ばして数分程度、そもそも権能を使えば一瞬だが、少女を背負ったままだとそれも難しい。
どうせしばらくは見れなくなる景色だ。惜しむ気持ちもないわけでもない。この森の風景を目に焼き付けようと、ヘルミオネはゆっくりとした足取りで歩き出した。
「ふんはっは〜♪ ひょうっ! ひぃあっ!」
「……ん」
奇妙なテンポとメロディの歌でレッドフードが目を覚ましたのは、それからしばらくのことだった。パチパチと薪が爆ぜる音と、ゆらめくオレンジの炎が見える。
周囲は依然として深い森に囲まれているが、近くに小さな泉がある。ヘンテコな鼻歌はその泉の方から聞こえていた。
「へいっ、よ! ――っと、レッドフードも起きたみたいね」
泉に半身を沈めて踊っていた金髪の美女が振り返る。ドレスを脱いで露わになった厳のような肉体を惜しげもなく晒し、濡れた金髪を体に張り付かせている。
「……何をやってるの」
「禊的な? いや、邪悪なものがあるわけじゃないんだけど。入れるならお風呂に入っておきたいじゃない」
ざばんと大きな波を立たせて泉から出てきたヘルミオネは、なるほど泉を司ると言われるだけあって様になっている。彼女が指をくるりと回せば水滴が全て離れ、一瞬で体も乾いた。
「おおきい」
「そう? 真面目に仕事ばっかりやってきたからねぇ。自慢の体よ」
思わずレッドフードの口からこぼれた言葉にヘルミオネは反応する。片腕をぐっと曲げて大きく隆起した二の腕を見せつけたり、くるりと背中を向けて鬼の顔のように厳つい背中を見せつけたり。その顔は得意げだ。
――そちらではなく、胸にある豊穣の果実のことを行ったのだが。
レッドフードはクシクシと目を擦り、小さなあくびを漏らした。疲れていたのと、ヘルミオネが慎重に歩いてくれたおかげで、久しぶりに夢すら見ないほど深い眠りに落ちていた。狩人としては失格だが、今日ばかりは仕方ないだろう。
「たくさん寝たらお腹空いたでしょ。とりあえず人間? が食べそうなものは用意したわよ」
ひとしきりポージングを決めて満足したヘルミオネがドレスに体を押し込みながら言う。泉の近くには焚き火が置かれ、その向こうに山があった。いや、山のように見えたのはひっくり返って白い腹を見せている巨大なイノシシだった。
「……赫灼猪」
「そんな名前なの? 火をつけるのが楽だから獲ってきたんだけど」
レッドフードは思わず猟銃に手を伸ばしてしまう。
ヘルミオネはきょとんとして首を傾げているが、猛火を纏って分厚い城壁すら打ち壊わす強大な魔獣である。レッドフードの手練れであっても、複数人で犠牲を覚悟してなんとか撃退できるかどうかという相手だ。
そもそもあの神喰らいの魔狼でさえ瞬く間に朽ち果てた森のなかで、今の今までその骸をそのまま晒している時点でその力量は押して測るべきである。
その炎は鉄すら焼き尽くすと言われるほどであり、毛皮は火龍のブレスにも耐える。そんな大魔獣を着火材がわりにするとは。
「肉は食べられるでしょ? たぶん毒にはならないと思うけど」
「……たぶん大丈夫」
これまでの歴史上に赫灼猪の肉を食べた者がいただろうか。首を傾げるレッドフードの目の前でヘルミオネが手際よく解体して枝を尖らせた串に刺していく。
「家庭的なお嫁さんになるために修行してたのよ。今はこういうのしか作れないけど、サラダとかも得意なのよ。直搾りドレッシングは一度食べてもらいたいわね」
何も聞いていないのに勝手に喋りつつ、食事の用意ができていく。
火に炙られた猪肉から香ばしい匂いがたち、レッドフードは思わず腹を押さえた。きゅぅと可愛らしい音がして、ヘルミオネが目を細める。
「さ、どんどん食べちゃって。いくらでもあるし、なんならお代わりも獲ってくるわよ」
「そんなに食べられない」
そう言いつつ、レッドフードは串を手に取る。
元々野菜よりも魚よりも菓子よりも肉が好きな少女だ。ジューシーに脂の滴る肉を前にして我慢などできない。鋭く尖った犬歯を見せながら勢いよくかぶりつく。
「おいしい」
「良かった。人に料理を振る舞うのも初めてなのよ」
少女の忌憚ない言葉にヘルミオネは嬉しそうに笑う。そして次々と串に肉を通して焚き火に並べて焼いていった。
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