第2話「真紅のフードの狩人」

 白い光となって見えるほどに膨大な神気が吹き荒れる。上級神程度の実力しかないと思っていた女神の身から放たれた神聖性に、神喰らいの魔狼は圧倒させられる。そしてマズいと我に返ったその時には、眼前に黄金の戦斧が迫っていた。


「せいっやぁあああああああああっ!」


 猛々しい咆哮は、歴戦の魔狼の足を竦ませる。生まれてから千年もの時の中で感じたことのなかった恐怖。本能を畏怖させる本物の、根源的な恐怖がそこにあった。

 魔狼は思う。自分は立ち入ってはならぬ場所へ立ち入ったのだと。

 その首に刃が滑らかに滑り込んだ。焼けるような痛みは身にまとう邪悪の力を滅する、圧倒的な神聖性によるものだ。狩人たちの放つ銀の弾丸など比較にならないほどの苦しみだ。

 世界の中心とも言われながら、前人未到の魔境として知られる暗黒大森林。過去何度も伝説の宝具を身につけた勇者や、最高位の魔法使い、屈強なる騎士団といった数多の英雄たちが挑み、儚く散っていった死地。神話級と恐れられ、一体で国を滅ぼせるほどの魔獣が肩身を小さくして暮らす修羅の地。

 それでも、自分ならば太刀打ちできるだろうと考えていた。千年を生き、数多の神を喰らい糧としてきた自分ならば、と。

 甘かった。あまりにも見誤っていた。


「でぃえええええええええいっ!」


 黄金の刃が首に食い込む。

 鉄よりも硬いと言われた毛並みも意味をなさない。肉を断ち、骨を斬る。

 千年を生きた神喰らいの魔狼の首が、高く空へと飛んだ。


「ふぅ。いっちょ上がりってね」


 噴き上がる血飛沫で頬を濡らしながら、ヘルミオネは得意げに笑う。結納品の斧を使ってしまったが、まあいいだろう。こういう武器は神が使えば使うほど箔が着くし神気も高まるというものだ。

 魔狼の体は急速に朽ち果てていく。森の力が強すぎるせいで、その形を維持できないのだ。数十分程度で全て土に還り、新たな生命の苗床となるだろう。

 これで目先の憂いも払ったし、後任の精霊ちゃんもなんとかやっていけるだろう。そう思ってヘルミオネは今度こそ意気揚々と歩き出し――。


「止まれ」

「今度は何ぃ!?」


 暗闇の中から冷たく放たれた言葉で立ち止まった。


「私、悪くないわよ。ただの一般通過女神だもの」

「――こんな魔境に人? お前、何者?」


 全く話を聞いてくれない。暗がりにうまく身を隠し、気配も完全に殺しているあたり、かなり手練のようだった。だがそれよりもヘルミオネは声がしたこと自体に驚いていた。

 この森の、一応深層と呼ばれるような場所までやって来れた知的生命体はこれまで存在しなかった。魔獣やその類はたまにいるが、お呼びでないのでカウントしない。

 あとはその声が正直でイケメンで休日は一緒にお家デートとかしてくれる木こり君なら良かったのだが、どうにも若い少女のようだ。


「あなたこそ、随分やるわね。そんなに物騒な殺気は久しぶりよ」

「神喰らいの魔狼は、わたしの獲物だった」


 ゆっくりと顔を向けたヘルミオネが見たのは、真っ直ぐに構えられる猟銃だ。銀の装飾が施され、銃口から微かに神聖性の匂いもする。

 その猟銃の主は小柄な少女だった。顔を隠すように真紅のフードを被り、その奥から銀の瞳が鋭くヘルミオネを睨んでいる。


「私はヘルミオネ。この森を管理している泉の女神よ」

「泉の女神……?」


 ヘルミオネの自己紹介も赤いフードの少女にはピンと来なかったらしい。猟銃を構えたまま質問する。


「つまり、この暗黒大森林の魔王?」

「何その物騒な名前!? 一応聖域に入ると思うんだけど」

「でもここは暗黒大森林。地図にもそう書かれている」

「マジで……。まあ、とにかく、あなたの獲物を横取りした形になったのは謝るわ。でもこっちも管理者としての務めを果たしただけなの」

「……」


 銀の瞳がじっと見つめる。ヘルミオネの言葉に嘘がないか調べているようだった。


「……わかった」


 そして、少女は銃口を下げる。


「わたしは、狼狩りの一族。家族を喰った魔狼を探している。その魔狼を調べてもいい?」

「どうぞご自由に」


 森の中にあるものは全てヘルミオネのものと主張するわけではない。そもそもこんなデカいものをどうこうしようとすら思わない。

 ヘルミオネが頷くのを見て、暗がりの中から少女が現れる。小柄な体格や幼い声に似合わない、使い込んだ装備だ。武器は猟銃だけだろうが、腰には銃剣も吊り下がっている。


「あなたの名前は?」

「……レッドフード」


 既に苔が表面を覆いかけている魔狼の骸に潜り込みながら、少女は端的に答えた。

 明らかに本名ではなさそうだがヘルミオネは受け入れる。とりあえず呼び名さえ分かればいい。

 結局、その魔狼はレッドフードの探していたものではなかったらしい。肋骨の隙間から顔を出した彼女は露骨に落胆していた。


「家族を喰った魔狼って、どんなやつなのよ」


 生まれてこのかた森から出たこともないが、それでも一応天地開闢の前から存在している古株だ。多少は話も聞けるだろうとヘルミオネが尋ねる。

 レッドフードは懐から小さな手帳を取り出して見せる。


「世界を恨む魔狼。名前はいくつもある。一番有名なのは、フェンリル」

「うーん、全くわからないわね」

「役立たず」

「なっ!? わ、私女神なんだけど!?」


 あまりにもストレートな暴言にヘルミオネが眉尻を吊り上げる。しかしレッドフードは臆する様子もなく表情の乏しい顔で銃の整備を始める。

 自分よりも遥かに若いやつにこんな無礼ナメられた態度を取られては、女神の沽券に関わる。ムキになったヘルミオネは勢いに任せて口を開く。


「よく分からないけど、どうせ辺鄙なところに隠れてるんでしょ。私ならすぐに見つけちゃうわよ」

「……本当に?」

「で、できらぁ!」


 じっとりとした瞳に注視されながら、ヘルミオネは上擦る声で断言する。筋骨隆々の神気あふれる女神だが、彼女は人と話すのが初めてだった。コミュニケーション経験の圧倒的な不足と、生来のゴリ押し気質が相乗効果を生み、勢いのままに深く考えずに口を開いたのだ。


「じゃあ、探して」

「ええっ!? 私がその魔狼を!?」


 結果、自分で言い出したことなのに目を丸くして驚く。チャキリ、とレッドフードが銃を向けた。


「私の獲物を横取りした。責任取るべき」

「うぐぅ」


 そんなことを言われたら反論できない。

 ヘルミオネは肩を落とした。


「私、正直でイケメンで誕生日にはお花とか送ってくれる木こり君を探してるんだけど……」

「狼も一緒に探せばいい」

「何その二本立て。寒暖差で風邪ひいちゃうわよ」


 あまりにも無茶振りだったが、歴戦の引きこもりであるヘルミオネには分からなかった。それよりも、彼女の脳裏に妙案が浮かぶ。


「分かった、その魔狼探しも引き受けましょう。ただし条件があるわ」

「……なに?」


 レッドフードが身構える。警戒心をあらわにする少女に苦笑しながら、ヘルミオネは要求を提示した。


「私は森の外のことをほとんど知らないの。だから、案内役になってほしいのよ」

「…………それくらいなら」


 ヘルミオネの青い瞳を覗き込み、そこに悪意がないことを確認したレッドフードはおずおずと頷く。


「よし、契約成立ね。私は正直でイケメンで包容力のある木こり君を探す。あなたは世界を恨む魔狼を探す。お互い頑張りましょう」

「うん」


 ヘルミオネが風格の滲む手を差し出す。レッドフードの細い指がそれを握った。

 世界最大の魔境、世界最後の秘境と呼ばれる暗黒大森林。その深層の、神喰らいの魔狼の骸の前で、二人の女が結託した。

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