第5話「襲来、女神」
突然川にダイブするという奇行に走ったヘルミオネ。彼女が水に沈んだ直後、眩い光が天を貫いた。レッドフードが急な展開に驚きながら目を細めるなか、その変化は急激に現れた。
「これは……泉……?」
真っ直ぐに延びていた川の真ん中に丸い窪みができたのだ。そこから豊富な水が湧き出し、山のように隆起している。
泉の中心に立ち神々しい光を背負っているのは、全身を濡らして金髪から雫を滴らせるヘルミオネ。その表情は穏やかで、これまでの衰弱ぶりが見る影もない。
「はぁぁ、生き返るわぁ」
泉の中心に立ったまま、ぐぐぐと両腕を広げる。筋肉の隅々にまで生気がみなぎり、完全復活を遂げたことは誰の目にも明らかだった。
一体何が起こったのか。ヘルミオネは何をしたのか。
一人置いて行かれたレッドフードは呆然とする。彼女の様子に気が付いたヘルミオネが得意げに笑みを浮かべて奇行の理由を説明した。
「ほら、私って泉の女神でしょ。だから泉とか水が近くにないと力が出ないのよ。というわけで泉がないなら作ればいいじゃないと思って」
だから作った。泉を。
あっけらかんと言うヘルミオネ。あまりにも当然の如く披露された女神仕草にレッドフードはその滅茶苦茶っぷりにしばらく気が付かない。ヘルミオネは自身の権能を使って、荒野に泉を生み出した。当然、どう考えても自然の摂理をなんか強引に捻じ曲げている。
「まあこんなに大きいのを作らなくても良かったかもしれないけど。とりあえずこれでしばらくは歩けるわ」
川の上流に泉が作られたことで、流れ出す水も神聖性を帯びている。この川を辿っている限りはヘルミオネも衰弱することはないだろう。
一応、この川も元々の水源は暗黒大森林の中心にあるヘルミオネの実家なのだが、そこから溢れる神聖性は草原が終わったあたりで根こそぎ取られてしまっているのだ。だからこうして中継点を作ることで神聖性を維持している。
つまりはこの泉を中心にヘルミオネの神域がまた拡大することになり、ゆくゆくは暗黒大森林の拡大にも繋がるのだが、今の所は些細な話である。
「気を取り直して行きましょうか。この先に村があるのよね?」
「うん」
ざばん、と陸に上がったヘルミオネは水滴を払う。すぐに全身も乾かした彼女は二本の斧を背負い直して気合いを入れる。レッドフードは深く考えるのをやめた。とりあえずヘルミオネが元気になったのなら、それでいい。
二人は再び川沿いを歩き、荒涼とした広野を横断する。
「改めて見ると不毛もいいところね。木が全然生えてないじゃない」
周囲を見渡したヘルミオネは悲しげだ。広野には木の一本たりとも生えておらず、砂と岩だけの無味乾燥とした土地だ。動物の気配は多少するものの、あまりにも寂しい。
「このあたりは昔からこう。むしろ、暗黒大森林が変な場所」
「変な場所て」
丹精込めて育てた森を特異点呼ばわりされたヘルミオネは思わず突っ込む。
ともあれ実際にそうなのだから仕方ない。この荒野は驚くほど広範に広がり、縦横どちらに渡ろうとも、少なくとも一ヶ月は要する。幸いなことに各方位に向けて放射状にしっかりとした川が流れているため水を心配する必要はないものの、その水源となっている人外魔境の暗黒大森林が最大の障壁であることもまた事実だ。
広大無辺な荒野の中央に前触れなく現れる草原、そしてその中心にある深く暗い森。あまりにも不自然な対比ではあったが、大陸中に張り巡らされたレイラインが結集する土地ということもあり、強い力を宿すのは必然だった。
「ああでも、ここって元々荒野だったし、確かにウチが変といえばそうなのかな」
ヘルミオネは古い記憶を思い起こして首を捻る。彼女が一滴の雫として地に落ちた時から、この辺りは荒涼とした土地だった。そこに長い時間をかけてせっせと緑を広げたのは、たしかに彼女の功績である。
「暗黒大森林は、ずっと暗黒大森林だった」
「いや、ちょっと前は全然不毛の土地だったのよ」
「嘘」
「いやいや……」
全くもって微塵も信じてくれないレッドフードにヘルミオネは閉口する。実際の話なのだ。ただちょっとタイムスケールがデカすぎるだけで。神代よりもちょっと遡る必要がある程度である。
ヘルミオネは納得させようと言葉を尽くすが、レッドフードは相手にしない。そんなやりとりを続けながら歩いているうちに、二人は地平線の向こうに建物が現れたのを目敏く見つけた。
「ん、あれが村」
「おおー、初めて人工物を見れたわ!」
少しズレた喜び方をするヘルミオネを放って、レッドフードは歩みを進める。すでに彼女は女神がどんな人物なのかをある程度把握し始めていた。
「木こり君はいるかなぁ。嘘つきだったら斧も肋骨もバッキバキに折るんだけど」
「木こりはいない。ここは荒野だから」
「ぐっ、そうか……」
正論パンチを真正面から喰らい、腹を抑えるヘルミオネ。ここは不毛の土地である。
「あ、でも最悪イケメンなら良いわね。斧はこっちで用意できるし、木は実家にいくらでもあるし」
「暗黒大森林に連れ込んだら、死ぬ」
「私が守るわよ。甲斐性ってやつ?」
ニコニコと期待の笑みを浮かべて夢想するヘルミオネ。彼女は長年の引きこもり生活で鍛えられた妄想癖があった。
「やっぱり一日三回はデートしたいわよね。木を切り倒すのは正直どうでも良いっていうか。でもたくましい男の人の二の腕とか素敵。少なくとも私に腕相撲で勝ってほしい」
「無理難題」
ヘルミオネに力で勝てるとすれば、それはもう木こりの範疇に収まる人物ではない。そんなことを端的に示すレッドフードだったが、妄想の翼を羽ばたかせるヘルミオネには届かなかった。
「そうね、最悪私が鍛えればいいのよね。――レッドフード、あの村に男の人はいるの?」
「いる」
そりゃそうだろ、と呆れた目を隠そうともせずレッドフードは頷く。女性だけの村など、アマゾネス族以外にはまず存在しない。
などと益体もない話をしているうちに、二人はいよいよ村の間近にやってきた。しっかりとした柵で囲まれ、立派な櫓も組まれた物々しい構えの村だ。魔獣の襲撃を意識してのことなのだろう。
そして暗黒大森林の方から、斧を背負った筋骨隆々の美女と赤いフードを被って猟銃を携えた少女が徒歩で現れたせいで、村内が慌ただしくなる。
「あれ、なんかお騒がせ?」
「当然こうなる。仕方ないこと」
前人未到の魔境から人が、それも女が二人やってきたのだ。警戒するなと言う方が無理がある。しかし常識というものを持ち合わせていないヘルミオネにはそれが分からなかった。
二人が厳重に閉ざされた門の前までやってくると、櫓から誰何が飛ぶ。
「お、お前ら何者だ!」
明らかに怯え切った声。ヘルミオネはちらりと見上げ、櫓からクロスボウを構える中年の男を見つけた。レッドフードが立派な猟銃を携えていたため、てっきりそのくらいの文明レベルはあるのかと思っていたが、そう言うわけではないらしい。
「暗黒大森林の方から来ました、女神のヘルミオネでーす」
「はぁ? 何言ってんだテメェ。頭沸いてんのか!?」
「あぁ?」
にこやかに挨拶をしたのに、帰ってきたのは警戒心バリバリの暴言だった。これには流石の女神も苛立ちを隠せない。嘘偽りなく真実を話したと言うのに。
「レッドフード。魔獣を狩って来た。一晩泊めて、多少の取引をさせてくれたら、すぐに出て行く」
はっ倒してやろうかと息巻くヘルミオネが動く前に、レッドフードが口を開く。静かな声だが不思議とよく通り、高い櫓の上にいる男にも届いた。
彼女が指し示したのは、ヘルミオネが斧と一緒に担いでいる三つ首黒牛の半身だ。これを交渉の材料として、入村を求めたのだ。
「レッドフード……。たしかにその真紅のフードは獣狩りの証だが、随分と小さいやつもいるんだな。って、その牛、まさか!?」
小柄で幼いレッドフードに怪訝な目を向けていた見張り番だったが、彼はヘルミオネの担ぐ巨牛を見て驚愕する。ずっと旅の荷物でも入れた袋かと思っていたものが、血の滴る牛だったのだ。しかもそれは、暗黒大森林の守護神と言われるほどの力を誇る大魔牛である。
「っ! 分かった、ちょっと待て。村の者に伝えるからな」
絶対動くなよ、妙な真似したら怒るからな! と念を押して、見張りの男は櫓を降りる。門の向こうで喧々囂々の議論が繰り広げられ、扉が開いたのは随分と時間が経った後のことだった。
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