第8話「荒野の岩砦」

 荒野を歩く女が二人。ひとりは灼熱の最中にも関わらず厚い真紅のフードを被り、その下から鋭い眼光を覗かせている。銀の装飾を施した猟銃をひしと抱き締め、その姿には熟練の魔獣狩りが放つ覇気があった。


「そんなに緊張してたら、後がもたないわよ?」


 残るひとり。筋骨隆々の長身をのびのびとさせた女神ヘルミオネは、周囲を警戒しているレッドフードを見て気の抜けた声を出す。


「警戒は慣れている。習慣のようなものだから」

「そう? ならいいけど」


 人によってはあまりの緊張感のなさに怒り出しそうなほどのヘルミオネだったが、レッドフードは冷静沈着に答える。魔獣狩りである彼女にとって、集落の外を歩くことはすなわち狩りを行うことと同義である。故にいつ何時獲物が現れても動けるようにと、すでに銃にも弾丸を装填していた。

 二人はカジス村の若き村長代理ラギリから請われ、この荒野のなかにある岩の砦を目指していた。そこに棲むのは炎のような悪鬼で、村の女や若者、金品の類は全てそれに奪われているという。


「悪鬼ってざっくり言われても、結局どんな種類の魔獣なのかも分からないのよね」

「……魔獣であると決まったわけでもない」


 道なき荒野を歩きながら、ヘルミオネは“悪鬼”と呼ばれる存在に思いを馳る。

 魔獣ならば問題はない。そもそもが暗黒大森林と(不本意ながら)称されているヘルミオネの聖域にさえ立ち入れないほどの小物である以上、彼女の敵になるはずもないのだから。しかし懸念すべき点がある。その存在は少なくとも言語を解し使うだけの知性を持っているのだ。

 魔獣のなかでそれほどの知性を持つものはそう多くはない。代表例となるのは龍族だろう。そして、龍は竜と明確に区別されるほどに隔絶された存在だ。


「そうなのよね。魔族とか、魔神とか、なんなら混沌とか出てきたらちょっと面倒よ」


 収斂進化の果てに人と同じような形を取るに至った魔族は、その知性も内包する魔力も凄まじい。まさしく魔の種族と称するに足るだけの力を持っている。更に神格さえ備わった魔神ともなればヘルミオネと同格であり、苦戦は必至であろう。混沌ともなれば、もはや彼女の手に負える相手ではない。


「混沌?」


 ヘルミオネのこぼした言葉に、レッドフードが首を傾げる。聞き慣れない言葉だったからだ。しかしヘルミオネはそんな彼女の反応が予想外だったようで軽く眉を上げる。


「あれ、混沌って知らない? 世界が安定する前の話なんだけど?」

「この世界は、光の女神によって生み出された。その前は天地の境もない世界だった」

「そうそう。それが混沌よ」

「世界が?」

「世界というか、概念ね」

「……分からない」


 ヘルミオネの説明が難しいことを理解したレッドフードはそれ以上の追及を諦める。彼女にとって重要なのは、今なにが起きているのか知ること、そして仇敵たる神喰らいの魔狼を撃つことそれだけなのだ。


「世界の成り立ちも失伝しちゃってるのね。まあ仕方ないか……。今度時間がある時に少しずつ教えてあげるわ」

「……別にいい」


 レッドフードは勉強に興味がなかった。魔狼を撃つ術ならばまだしも、天地開闢の伝えなど聞いても腹が減るだけである。

 けんもほろろな対応にヘルミオネは落胆するも、すぐに気を取りなおす。


「ま、混沌なんて出てきたら上が黙ってないだろうし、気にするだけ無駄ね」

「上?」

「そうそう」


 人差し指が乾いた空に突き上げられる。


「雲の上というか、概念的な上層というか。ま、そこで惰眠を貪ってる誰かさんが起き出して叩きのめすわ」

「ヘルミオネの言っていることは分からない」

「そんなぁ」


 今度こそレッドフードは興味をなくし、歩速を速める。このまま悠長に歩いていれば、ヘルミオネの難解な講義が延々と続くと察したのだった。


「考えられる最強の敵としては魔族だけど、流石に魔族ならウチに挨拶の一つくらいよこすと思うのよね」


 レッドフードが早足になるのにも構わず、ヘルミオネは思考を続ける。魔族は人族と比べてもはるかに強大な力を持ち得るが、そうであれば暗黒大森林を訪れない理由がない。その土地の支配者に一声入れるのは、強者ゆえにトラブルを除く最良の策だ。

 事実、ヘルミオネはこれまでも幾度となく魔族との挨拶を交わしたことがある。あいにく、どれも彼女の琴線には触れなかったが。


「はてさて、鬼が出るか蛇が出るか……。って、悪鬼だったわね」


 小高い丘を登っていたレッドフードが頂上付近で足を止める。彼女が振り返るのと前後して、ヘルミオネも遠方に霞むそれを認めた。

 荒涼とした原野のなかに唐突に現れた巨岩。台形のそれは天然の砦として守りを固めているようだ。


「随分と知恵が回りそうな感じがするわね」

「遮蔽物がない。どうやって近付く?」


 周囲は見通しの良いという言葉さえ足りないほどの荒野だ。身を隠せるものもなく、近づけばまず間違いなく気取られる。ともすれば、丘の稜線から顔を出した時からすでに見られている可能性さえあった。

 猟銃を抱え、気配を鋭くさせるレッドフード。しかしヘルミオネは和やかな雰囲気を崩すことなく気楽に言った。


「そんなにビクビクしなくても、そのまま歩いていけばいいわ」

「見つかるけど、いいの?」

「見つかるも何も、会いに行くんでしょ。向こうから来てくれるなら話が早いじゃない」


 ヘルミオネはなんら気後れすることなく一歩踏み出す。丘を滑るように降り、真っ直ぐに砦を目指して歩く。その威風堂々とした風貌は、レッドフードさえしばし呆気に取られるほどだった。

 砦を見れば、あまり変化はなさそうだ。レッドフードははっと我に返ってヘルミオネの背中について行く。何かあっても、とりあえず彼女が盾になるだろうという打算的な理由も、なくはない。


「そもそもねぇ」


 歩きながらヘルミオネが口を開く。


「あんなご立派な砦を建ててるってことは、外から襲われたくないって思ってるってことなのよ。自分に自信があるなら、防御壁なんて必要ないでしょ」


 言っていることは一見筋が通っているように見えて無茶苦茶である。例え強者であっても常に警戒できるわけではない。不意を突かれぬよう対策すること、小蝿のような嫌がらせを阻むこと。防御を練る意味は無数に考えられる。

 しかし言っている本人は本気だ。そもそも彼女の聖域からして、本来は泉だけなのだから。


「さ、そろそろ飛んでくるんじゃない?」

「飛んでくる?」


 ヘルミオネは「今日も天気がいいわね」くらいのテンションで空を仰ぐ。レッドフードが怪訝な顔でその視線を追ったその時。


「――ッ!?」


 空から火球が降ってきた。

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