第7話「弱きを助ける」
カジス村は辺境にある。荒涼とした不毛の大地の真ん中で、周囲に大きな町もない。さらには背後に史上最大の人外魔境とも称される暗黒大森林が広がり、その魔境から時折現れる魔獣に苦しめられる日々を送っていた。
それでも彼らは厳しいなりに逞しく、貧しいなりに慎ましい暮らしていたのだ。荒地でも育つ芋やわずかな野菜を畑に植え、家畜と共に細々と世代を重ねてきた。
彼らの生活が激変したのは、三年ほど前のことである。
「この荒野を進んだところに、大きな岩の砦ができたのです。それを見つけたのは村の猟師でしたが、昨日までは何もなかったところに突然、一夜にして現れたと言っていました」
「岩の砦ねぇ。そこに誰かしらが住んでたのね」
ラギリは頷き、話を続ける。
所以も分からぬまま唐突に現れた砦にカジス村の人々が戦々恐々とし、誰が様子を見にいくのかと話し合っていた頃、それは向こうからやってきた。
「恐ろしい鬼でした。燃え盛る髪に赤い肌をしていて、背は私の倍はあったでしょう」
彼は青白い顔をして震える。思い出すだけでも恐怖が彼の心を苛んだ。
その禍々しい大男は自らを炎鬼と名乗った。そして、この村は己の支配下にあること、ひいては献上品を差し出すこと。身勝手にも一方的にそれを告げた。
「ぶん殴っちゃえば? 向こうが後から勝手に来たんでしょう」
「無論、抵抗しました。こちらには魔獣を相手にする猟師も多くいましたので。――ですが、無駄でした」
炎鬼の力は凄まじく、歴戦の魔獣狩りも赤子の手をひねるように容易く殺された。更に気分を害した炎鬼は村の若い女や子供を連れ去ってしまったという。
抵抗もできず、人質も取られてしまったラギリ村の人々は、嘆き悲しみながらも従う他なかったという。毎月のように大量の金品や食料を求められ、応じなければ妻や娘や子が殺されるのだ。
「ヘルミオネ様、レッドフード様……」
ラギリが顔を上げる。その目に光が宿っていることを、二人は同時に気がついた。
「ヘルミオネ。行こう」
「ちょっと、ラギリ君が困ってるんでしょう。なら助けてあげるべきよ」
二人の反応は真っ二つに割れる。面倒ごとは避けるべしと踵を返すレッドフードの赤い服を、ヘルミオネの太い指が掴む。
レッドフードが眉を寄せた直後、ラギリが勢いよく深々と頭を下げた。
「お願いします! 魔境の守護者を打ち倒したあなた方であれば、あの悪鬼も倒せるはず。どうか……どうか我々を助けてください!」
彼に続き村人たちも涙ながらに懇願を始める。あっという間に二人はとりかこまれ、レッドフードもこれを振り切るほど非情にはなれなかった。
「仕方ないわねぇ。炎鬼って言っても、所詮は
「安請け合いはよくない」
「そうは言っても、困ってる人は放って置けないじゃない」
不機嫌そうなレッドウードを諭して、ヘルミオネはラギリに向かって頷く。そんな彼女を見たラギリ村の人々から、大きな歓声があがった。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「いいのいいの。その代わり、お宿とかはよろしくね」
「お任せください。精一杯のおもてなしをさせていただきますよ」
にっこりと笑う青年の爽やかな白い歯に、ヘルミオネはうずうずと体を震わせる。
さくっと炎鬼とやらをぶっ飛ばし、感激したラギリをお婿さんにして暗黒大森林へ招待。木こり仕事はまあ、ゆっくり覚えて貰えばいいだろう。ここまで来れば数千年も数十年も同じようなものである。
そんな勝手な未来予想図を描きつつ、ヘルミオネは村の者に案内されて宿へと向かった。
「胡散臭い」
「何よ。こんなにいい部屋を用意してもらったのに」
ラギリが二人のために用意したのは、宿の中で一番広くて立派な部屋だった。広くて頑丈で、ヘルミオネの屈強な体も優しく受け止めてくれるベッドが二つ並び、高価な魔導灯までついている。
しかし部屋に入ってヘルミオネと二人きりになったレッドフードの第一声は疑念に満ちたものだった。怪訝な顔をするヘルミオネに、彼女は猟銃を分解しながら言う。
「あの人たちは家族を人質に取られて、炎鬼のことを怖がっている」
「そうよ。だから助けてあげるんじゃない」
猟銃は少女の指先でほどけるように細かなパーツへ分かれていく。そうして広げた部品を、一つ一つ丁寧に磨いて、油を塗って、再び組み上げていく。何度も繰り返したであろう、澱みのない動きだ。
「そんなに怖がってるのに、どうして見ず知らずの私たちを頼る?」
「そりゃあ、他に頼れる人がいないからでしょ」
「……」
再び組み上がった猟銃を構え、調整する。
レッドフードは照準器越しにヘルミオネを見る。彼女は人を疑うということを知らない、純真そうな顔で首を傾げていた。
「あの人たちが困っているのは事実でしょう。だったら、放っておくわけにはいかないわ」
「そう。……ヘルミオネは優しい」
「そりゃあそうよ。私は女神だもの」
恥じることもなく胸を叩くヘルミオネ。彼女の豊かな胸が大きく揺れる。
神にも善きものと悪きものがいるが、ヘルミオネは自身を善神であると信じていた。弱きを助け強きを挫く。世界に平和をもたらそうなどと高尚な理念を掲げて邁進しているわけではないが、すべては調和の下にあるべきだと考えていた。
そして、彼女は今の状況は調和が乱されていると判断した。
「別にあなたに強制はしないわ。なんなら、私一人で行ってもいいし」
「……ヘルミオネについていく」
銀色の弾丸を確認して、レッドフードは呟くようにいう。なんだかんだ言いつつ優しいじゃないか、とヘルミオネは薄く笑みをうかべるのだった。
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