第8話 異国の王子・ヴィンセントの視点
西のサデュール国、その第一王子として生まれた。我が国は砂漠では珍しい宝石が採れ、水と果実に恵まれており、陸路と水路の貿易が盛んで観光地としても有名な国である。
代々女王が国を治め、王子は騎士か商人と決まっていたが、私は幼い頃から女装や可愛いものに目がなかった。
姉が五人、妹が三人いる中で男一人だったのもあるだろう。
騎士も商人もそれなりに人付き合いを求められる。私には向いていない。
騎士か商人か。この国で生きていくのならどちらかだ。
(貿易国でも他国の素材は思いのほか高い。いっそ国を出て他国で……)
そんな悩みを偶々王家に出入りしていた魔法使いの青年――アーサー・オールドリッチに打ち明けてみた。琥珀色の瞳に、整った顔立ちの青年だった。姉の一人が惚れたとかで無理矢理王城に客人として迎えたとか。
アーサーは博識で、剣技、武術、魔法に秀でており、また美しい竪琴を奏でるのが得意だった。本来は魔糸魔法を使うという。
思い切って将来について相談してみると――。
「祖国の魔法学院には特待生制度があるから、興味があるなら留学してみたらどうだい? 僕の実家は辺境地なのだけれど、その分珍しい素材や魔物が多くてね。今は妹が超有能で森の管理をしてくれるから助かっているんだ。僕がこうやって旅に出て見識を深めることができる」
「ああ、他国では男子が家を継ぐのでしたね」
「基本的にはね。まあ、家督を妹に譲って婿を取らせれば、シンシアがずっと家に居てくれるんじゃないか――と、最近考えていて父と相談中なのだけれど」
「は、はあ」
「妹が超絶可愛くて『将来は兄様のお嫁さんになる』って言ってくれた時は、心臓が飛び出るかと思ったよ」
(妹か。私にもいるけれど、ここまでの溺愛とは違うな)
その後、二時間ほど妹の話を聞かされた。シンシア・オールドリッチの名を一方的に知ったのは、この時だったと思う。
それから彼の紹介で友好国でもあるローレンスと個人的な交流を持ち、留学の推薦状を貰うことができた。
王位を継ぐ必要もないので、留学はあっさりと叶った。
騎士でも商人でもない服作りの職人になることを選んだ。王族としてではなく、他国でギルドを通してオーダーメイドの注文を受ける。
そうやって留学の傍らで、仕事をこなしていった。
友好国では珍しい素材や狩り場があり愉快だったが、人間関係はどこも面倒の一言に尽きる。特に貴族階級のあるこの国は、婚約者のステータスが重要らしく早々に身分を隠して生活する道を選んだ。
二年半、この学院で生活をして辛いとか不自由だと思ったことはない。
ただ夕暮れの廊下ですれ違う同世代の生徒たちが嬉々として話している姿や、恋人たちが仲睦まじく歩く姿を見る度、少しだけ羨ましくは思った。
(こんな私の性格を受け入れる人間がいるとは思えないし……。淡い期待を持つだけ無駄ね)
自分のことはよく分かっている。
だからたいして期待もしていなかった。ただライラの態度に腹が立ったので婚約破棄をした後、自分が王族だと身分を明かしてやろうとささやかな復讐ぐらいは考えていた。
あの日、シンシアに出会うまでは。
***
青空の、良い天気だった。
珍しく窓を開けていたら、ライラとレックスの声が聞こえ――耳障りで奧の窓を閉めていると、三つ編みの眼鏡をかけた少女が部屋に飛び込んできた。
(この子は……もしかして――レックスの?)
彼女は小さな子供のように、大粒の涙をこぼして泣き崩れていた。
自分の感情を曝け出して、失恋に落ち込み――そして自分が変わろうと決意する。その姿勢に思わず声をかけてしまった。
単なる気まぐれだったのに、髪を解いて眼鏡を取った彼女は天使かと思うほど、とても可愛らしい。
自分の好みの外見に、ドキリとした。そして古い記憶が蘇る。
(ああ、あの琥珀色の瞳、オールドリッチの姓。……間違いない、彼女はアーサーの妹だ)
地味だと言うが、彼女の実力は一級魔法使いと同等。そんな彼女の笑みを、自信を、心を踏み躙ったレックスに殺意が芽生えた。
(ああ──でも、婚約破棄するのなら……)
パートナーに選んだのは、下心があったからだ。
私の素を見ても引くどころか飄々としていて、あっさりと受け入れられたら意識しないわけがない。
シンシアにとっては何でもないことかもしれないが、私にとっては今後現れないかもしれない漸く得た理解者だ。逃すものか。
そう思ったからこそ、彼女に復讐を持ちかけた。
レックスとの婚約破棄を囁き、共通の目的を持つことでより絆を深めようと考えたからだ。
どうすれば異性と意識を持って貰えるか。
あまりに急ぐと余裕のない男と思われる。慎重に、自分が有能だとさりげなく売り込んで好印象を掴みたい。
(何より、シンシアにいろんな世界を見せたいし、笑っていて欲しい)
いつも目を輝かせて笑顔になる姿も、感動で泣きそうになる顔も可愛らしくて、ギュッと抱きしめたくなるのをグッと堪える。
***
復讐の準備は着々と進んだ。
ライラと婚約破棄はあっさりと終わり、身軽になる。
(念のため教会に寄って確認しておこう)
そう思い足早に廊下を歩いているとローレンスが声をかけてきたので、途中まで馬車に乗せてもらうことにした。
こういう時はたいてい何らかの話がある。
先日の仕返しに恋愛相談をしたら、ローレンスは心底驚いた顔をしていた。
「――と言うことで復讐をすることにした。これでまた一つ私に気持ちが傾いてくれれば良いのだけれど」
「いや、そんなことしなくても、シンシア嬢はヴィンセントのことが好きだと思うが?」
「確定していないことを口に出されても嬉しくないな。……シンシアに惚れないでよ? 惚れたら殺すか、恋を諦めて貰わないと」
「確かに驚くほど可愛いが、俺はもっとこう胸があってお姉様系が好きだから大丈夫だろう」
「それは良かった。友人を一人失いたくはないもの」
「変わったな。……友人が明るくなったのは喜ばしいことだが、嫉妬はほどほどにしてくれ」
そうは言うが、日に日に美しくなるシンシアの姿を見る度に、彼女の姿を知っているのは自分だけで良いのでは――と、どす黒い感情が渦巻く。
けれどそれは、シンシアの望みとは違う。
謂れのない噂に、元婚約者からの心ない言葉の数々、孤立させられた彼女の立場を回復させる必要がある。心の傷も癒したい。
絶対的な味方として弱みにつけ込む形になってしまうが、チャンスは絶対に逃さない。少しずつ意識させて、溺愛してドロドロに甘やかす計画だった――のに、気付けば口説いて、額にキスまでしていた。
(復讐が終わるまでは告白しないって決めたのに……っ、なんて貧弱な意志なのだろう。でも、あんなこと言われたら押さえきれなかった。それに額にキスしたときのシンシアの顔、可愛かったわ。危うく抱き寄せて唇を奪いそうになったし……)
「浮かれたり凹んだり忙しいな」
「とりあえず自重はする。たぶん。きっと。……でもあんなに可愛くて、いい子だし、話は合うのだから、本音がダダ漏れてしまうのはしょうがないと思う」
「ああ。今も大分漏れているぞ。……それと、復讐劇に必要そうなものは、こっちでもある程度揃えてあるから好きに使ってくれ」
そう言って幾つかの書類を手渡してくれた。相変わらず仕事が早い。
次期王として有能なのは、友好国としても嬉しい限りだ。それにこの手の情報は正直有り難い。
「調べれば調べるほど、
「ああ、こっちとしても早い段階でこの手の種は潰しておくに限る。……当日トーナメント戦では、三回戦でぶつかるようにしておこう」
「頼んだわ」
「……ところで、この間貰った手紙に新しい戦闘服のデザインの中に、一枚だけウエディングドレスめいたものがあったんだが……」
「シンシアのことを考えてデザインしたドレスなのだけれど、あの子はすらっとしているからマーメイドラインがきっと似合うのだけど、率直にどう思う?」
「あー、うん。そういうのは婚約してから二人で決めたらどうだ? いささか気が早いのではないか?」
珍しく気の利く言葉に「ぐっ、たしかに」と、頷く。思いのほか勇み足だっただろうか。
まずは婚約者として、いや結婚を前提にプロポーズ、復讐劇が先だと自分を戒める。
ふとオレンジ色の夕焼けが目に入った。
放課後の時間に、楽しそうに話をしている生徒や、恋人たちの歩く姿を見ても、寂しくもないし、孤独感もない。
そんな些細なことで胸が熱くなり、またすぐにシンシアに会いたくなった。
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