第5話 復讐のお誘い

 私が落ち着くまでヴィンセント先輩はずっと隣にいてくれた。掴んでくれた手の温もりが酷く熱い。途中でお互いに照れて、目を合わせるのにさらに一時間ほど掛かった。


「その、私は世界の伝承や神話、素材となる幻獣シリーズ図鑑が読みたい……です」

「ふうん、意外。可愛いけれど。……名作と言われた恋愛小説とか冒険譚とかは読まないの?」

「このせかいにそんなこうしょうなほんがあるのですか?」

「なるほど、存在自体を知らなかったのね。ああ、もう。目を丸くして、子ウサギのように震えて可愛い! どれだけ私をドギマギさせるつもりなのかしら! 罪作りな子ね」

「(先輩がまた独特な褒め言葉を炸裂させている)……あの、ヴィンセント先輩、連れてきてくださって本当にありがとうございます!」


 笑顔が大事だと言ってくれたことを思い出し、感謝の気持ちと共に微笑んだのだが、ヴィンセント先輩の反応がない。よく見ると耳まで真っ赤になっているではないか。


(何故か分からないけれど、目が潤んでいる?)

「――っ、すごい破壊力だわ」

「?」

「何でもない。ほーら、ささっと本を見つけてソファで読みましょう。このままじゃ、私の心臓が持ちそうにない。理性がゴリゴリ削られる……」

「?」

「小首を傾げて、あああーー、もう。本当にずるいわ」


 ぼそぼそと呟いていた先輩の頬は、まだ赤い。あんな綺麗な人が頬を染めるなんて思わなかったので、遅れて私の頬も熱くなる。


(これじゃあ、まるで……)

「あ。……最初は五冊にしておきなさいよ」

「じゅうごさつ?」

「五冊よ! わざと聞き間違えたでしょう!」

「じゅっさつ……」

「五冊よ! もう。とぼけている顔も可愛いわね!」


 その後、色んな本を探してはソファで真剣に本を読んで過ごした。

 ヴィンセント先輩はデザインやファッション系の本が多かったが、『象徴から得る加護』『付与魔法と刺繍』『紋章と刺繍と付与魔法』などにも熱心だった。


(すごい集中力……)


 図書館内には宿泊施設も併設しており、私のような本好きが時間を忘れて読みふけってしまうので作られたとか。

 学院内と言うことで特待生や講師など実力がある人たちがちらほらと、宿泊施設を利用していた。


「魔法学院は生徒自身のレベルにあった学習環境に協力的だから、当初から特待生制度を導入しているけれど、もしそういうのがなかったら上手く学院生活に馴染めずに学院を去る生徒も多かったと思うわ」

「その気持ち、少しわかります。……私は何もかも地味だから、入学してからの三ヵ月は居心地が悪かったと思う」


 地味なくせに成績優秀だというのは、ひがみや嫉みの対象になりやすい。あからさまな嫌がらせはなかったけれど、仲良くなれる雰囲気ではなかったのだ。

 それに加えて上級生のレックスが私の黒いデマを流していたのもあったのだろう。


「ならシンシアに声をかけて良かった。前よりも笑顔が増えて、ますます可愛くなってどこまで可愛くのなるのかしら! 天使? ううん女神になるんじゃ?」

「ヴィンセント先輩とあの日に出会えて、本当に良かったです」

「――っ」


 ヴィンセント先輩は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、心底驚いていた。


「ねえ、シンシア。貴女がよければ――」

「ヴィンセントじゃないか!」

「「!?」」


 唐突に声をかけてきたのは、魔法学院のローブを羽織った青年だ。ブロンドの長い髪に、翡翠の瞳、繊麗せんれいな青年は、笑いながらヴィンセント先輩に歩み寄る。対してヴィンセント先輩は「うげぇ」と声を漏らしつつも、どこか嬉しそうだ。


(先輩の知り合いっぽい?)

「ローレンス。王族が供回りを連れずにこんな所にいていいのかしら?」

「王族だってたまには一人で行動したくなるときがあるんだよ。……ん? 君は噂の美少女ちゃんじゃないか」

「え……美女? 私が?」


 グッと近づくローレンスという青年に驚き、ヴィンセント先輩の背後に隠れる。青年はそのやり取りを見て、興味深そうに笑みを深めた。


「へえ。初々しい感じが可愛いね」

「ローレンス。手袋を今すぐにでも投げつけたいのだけれど!」

決闘手袋なんて……、そう怒らないでくれ。今、魔法学院内ではヴィンセントのパートナーになった謎の美少女の話題で盛り上がっているんだ。学院に戻るときは気をつけろって助言しに来ただけだよ」

「……………ああ」

「(何故手袋? それよりも謎の美少女って私のことなんだ……。こんなに早く周囲の目を惹くなんてヴィンセント先輩はすごい!)ヴィンセント先輩のおかげで自信が付きましたし、変わることができたんです! ヴィンセント先輩はやっぱりすごいです!」

「シンシア……その笑顔は禁止」

「ええ!? なんでですか!?」

「なんでも」


 今の姿はヴィンセント先輩が毎日のように髪型や服装、メンタルケア、姿勢などのレクチャーのおかげなのだ。感謝してもしきれない。


「へえ。あのヴィンセントがね」

「ローレンス。要件はそれだけ?」


 ジト目で睨むヴィンセント先輩に、ローレンス――先輩は両手を挙げて「まさか」と笑っている。王族らしい堂々とした立ち振る舞いはもちろん、華のある方だ。


「ヴィンセントは普段は目立たない姿をしているくせに、森に素材に行く時は決まって素顔を見せるから、学院内では生きる伝説にされているだろう」

(生きる伝説……)

「それが今回は、謎の美少女とペアを組んでいるからね。君が何者か気になっている生徒が沢山いるってことだ」

「私。……と言うかまだ誰なのか気付かれていなかったんですね。喜ぶべきか、凹むべきか」

「喜ぶべきじゃないかな。今後どのような学院生活を送るか考える時間があるのだから。ヴィンセントのように普段は目立ちたくないから、わざと地味で目立たない生活をして周囲と距離をとることや、僕のように目立つのを是として開き直っている場合もある。それ以外にもどのような学院生活が自分に合っているのか、見極めるのは大事だよ」


 先輩らしい忠告に、私は力強く頷いた。

 きっと外見が良くなると、ローレンス先輩のように声をかけてくれる人が増えるだろう。それに周囲の態度も軟化する可能性も高い。

 けれど私はちやほやされたい訳じゃない。レックスにギャフンと言わせてやりたい――あくまで復讐に近い気持ちで、変わろうと思った。


(そう考えること自体、不純な理由なのかもしれない。……それに復讐しようにも、自分が変わってギャフンと言わせるってことだけしか考えてなくて、まったくのノープランなのよね)


 とりあえずこの姿で婚約破棄をしにいくべきか、ヴィンセント先輩に相談してみよう。そうこの時までは思っていた。

 しかし図書館の品揃えの素晴らしさに感動してしまい、相談内容をすっかり忘れてしまったのだった。



 ***



 第十三区域の森での生活にも慣れた頃、夏休み前の期末テストの日が刻々と迫っていた。勉強は問題ないが、今考えなければならないのは今後の身の振り方だ。


(今まで通りでテストを受けるべきか、それとも自分が変わったことを知ってもらうために変わった姿を見せるべきか……。うーん)

「シンシア。今日も可愛いわね。うん、今日はもう少し森の奥にあるレストランに行ってみない?」

「れすとらん……え?」


 図書館のある湖よりも霧深くにある大樹の傍にレストランがあるという。

 こんな危険区域な森にレストランがあることに驚いた。いや、図書館や珍しい店もあったので今さらかもしれないが、それでもレストランというのはビックリだ。


(図書館は叡智を秘匿するためで、珍しいお店は入手が難しい素材の買い取り……って感じで一定装の強さを持った者が許される場所って感じだったけれど、レストラン……。あ、もしかして貴重な食材だから、来店者を制限するため――とか?)


 千年樹に小洒落た扉があり、そのドアの向こうには《シュレディンガー黒猫店》という特別な空間のレストランへと繋がっている。

 調度品など白と緑で統一され、開放感のある不思議なレストランだ。ウエイターからシェフまでみな二足歩行の猫で、全員が長靴を履いている。

 猫人族と言うらしく、あまりにも愛くるしい姿に、早くもこのレストランのファンになってしまいそうだ。


「この十三区域の森以外にも、色んな時空や別世界にも各店舗があって、様々な種族の客が来店するらしいわ。扉に入る条件は『お腹を空かせている』っていうのよ。面白い条件よね」

「条件も可愛い。見た目も私が小さな頃読んだ童話のままで、すごく好きになりそうです」

「でしょう。いつか私の姉や妹を連れてきたいって思っているのよ。まあ、故郷に扉ができるのが一番手っ取り早いのだけれど」

「お姉さんと妹さんがいるんですね」


 ヴィンセント先輩が自分の話をするのは珍しい。何処か自分の話をしたがらない――距離を置く人だと思っていたから、少し意外だと思いつつも話に乗っかる。


「そう。うちは大所帯で姉が五人、妹が三人いるのよ。で、私はその中で男一人だったのだけれど、姉や妹と一緒にドレスやママゴトをするのが好きだったから、姉が刺客に襲われるまでは自分も女の子だって思い込んでいたもの」

「刺客!?」

「そう私の国はちょっと複雑で、姉が狙われることが多かったから、守るために魔法剣を編み出したの。ほら、魔法剣って無から有を生み出すでしょう。ドレスに武器を隠し持っておく必要も無かったから、とっても重宝したのよ。それから十二歳で魔法剣を極めて、ふと思ったのよ。私がいくら強くなっても、ずっと姉や妹を守り続けるのは難しいって。そこで姉や妹に必要なのは、魔法や暗殺にも耐えられる防護用ドレスだって閃いたのよ!」

(ん!?)


 独創的な発想を理解するのに、数秒ほどかかった。

 まさか自分を鍛えるだけではなく、防護服を自分で作るという発想がすごい。何より実行して、特待生になっていること自体に驚きを隠せなかった。


(何をしてもできてしまう天才なんだわ)

「ドレスでも付与魔法や素材の使い方次第では、ドラゴンの息吹ブレスに耐えられるし、急な温度変化にも対応する機能も付けられるってわかったの。他にも防水とか、毒耐性とか」

「と言うことは、ヴィンセント先輩がこの国に留学したのは素材集めをして、家族に防護用ドレスを贈るため?」

「そう。くだらないでしょう?」


 その理由を「くだらない」と言う人もいるのかもしれないが、私にはそうは思えなかった。


「そんなことはないと思います」

「ふふっ、ありがとう。魔法の根源を求めて研究する人や、より高見を目指すため研鑽している人たちからすれば、お遊びまたは趣味の範囲だって思われるのは覚悟しているわ。別に他人に何を言われようと関係ないし」

「(その考えも、姿勢も、志も、成し遂げる実力も、全部。格好いいな……)誰かの為に頑張れるって私はすごいことだと思いますよ! ……私の場合は、その誰かがろくでもない男でしたけど」


 自分でも自虐的な笑みを浮かべていたのだと思う。ヴィンセント先輩はそんな私の額を指で突いた。


「痛っ」

「何年も会ってなかったのでしょう? 人間、環境や周りに染まりやすい人もいるわ。それともあの男にまだ未練でもあるの? この際ハッキリしなさい!」

「ないです」

「よろしい。それなら、さっさと婚約破棄してしまいなさい。後であっちが惜しくなったとか言い出して面倒になる前にね」

「あ」


 そう言われて変わった姿を見せる前に、書面にして置いたほうが後々楽だと思い至る。なにせレックスは私と言う婚約者がいるにも関わらず、ライラという恋人がいたのだ。彼にギャフンと言わせるのが目的で変わろうと決めたが、よりを戻したいとはまったく思わない。


(そうだ。どう切り出すことがレックスにとって悔しいか。ギャフンと言わせるようなことぐらいはしたい。……でもどうやって?)

「それとも私と一緒に、?」

「え」

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