第6話 復讐劇には準備が必要です
(
私の婚約者がレックスだと言うのは、愚痴った時に話した気がするけれど、ヴィンセント先輩に婚約者がいるのは初耳だ。
(先輩に婚約者……そりゃあ、こんなに素敵な人なら居ても不思議じゃない)
ズキンと胸が軋む。
考えが上手くまとまらない。レックスに復讐するのをヴィンセント先輩が手伝う――と言うのならわかる。でも「お互いの婚約者」と言う言葉が引っかかった。
「(そういえば、レックスの恋人のライラって人にも婚約者がいたような?)ヴィンセント先輩の婚約者って……ライラって人?」
「ええ。……貴女と最初に出会った時の部屋って、ガゼボが一望できる場所なのよ。そんでもってよく声が響くの。ここまで言えば分かるかしら?」
「あ」
レックスの本心を聞いて、特別教室に逃げ出したあの日、ヴィンセント先輩もレックスとライラの会話を聞いていたのかもしれない。
いいや、私よりももっと長い時間、耳に入っていたとしたら、きっと傷ついただろう。
「私は一回聞いただけで、かなり凹みましたけど、ずっと聞き続けるのって辛くありませんでしたか?」
「私の婚約者……と言っても、彼女の両親が私の家を嗅ぎつけて、強引に結んだものだったから、彼女に思い入れは全くないの。むしろ政略結婚的なアレに近い」
「強引……」
貴族社会では親同士が決めた婚姻は普通だし、政略結婚なんてのもザラだから驚かないけれど、実際に目の当たりにするのは何と言うか、前世で割と自由恋愛が一般的だったので、物語のような世界だなぁと他人事のように思ってしまった。
(よく考えたら、私とレックスも親同士が盛り上がって決めたんだった……)
「まあ、当時は婚約者がいないと何かと面倒だったから気軽に引き受けて、目立たない格好で会ったら見向きもされなかったんだけれど」
お水を飲んで喉を潤そうとしたのだが、思わず噎せそうになった。
「もしかして……長い前髪の姿の時は、みなさんヴィンセント先輩だって認識してないんですか!?」
「ええ。同名なだけで別人だって思われているそうよ。ライラに会った時に勝手に広めたから、そのまま訂正してないわけ。まあ、フルネームを名乗っていないし、平民だと思ったようね。別に問われていないし、そのままにしているわ」
「ヴィンセント先輩はすごい力や実力を持っているのに、それを隠して静かな学院生活を選んだんですね」
それはすごい決断だったと思う。本来なら飛び抜けた実力を持っていて、尊敬されて憧れる存在なのに、それらの生活ではなくて静寂を選んだのだから。
私ならその孤独に耐えられなかっただろう。
ヴィンセント先輩はクスリと笑った。
「認識阻害魔導具も使っていたから、気付かれなかったんだと思うわ。私は集中して貴重な素材を使った服作りに没頭したかったの。取り巻きに囲まれるより、一人のほうが気楽だったし。でも、それが正解だって思ってないわ。シンシアが同じことをなぞる必要はまったくないから! まったくよ!」
「あ。……私、ヴィンセント先輩との時間が楽しくて、期末テストが迫るまで今後の学院生活について先延ばしにしていて……。先輩の言う復讐って、どんなことを考えているのですか?」
「せっかくだから、大舞台で二人に恥をかかせるの。耳を貸して」
そう言って艶っぽく笑ったヴィンセント先輩に手招きされて、近寄る。ドギマギするのを誤魔化して耳を傾けた。
睦言のような甘い囁きに、更に心臓が激しくなりかけたが──ヴィンセント先輩の提案に思わず耳を疑った。
「……え」
「決行するかどうかは、シンシアに任せるわ」
「でも、先輩はそれでいいのですか?」
「私はもうすぐ卒業だし、それに――」
「それに?」
蠱惑的な笑みを浮かべた。私の答え次第と言いたいのだろうか。
だとしたら答えは、もう出ている。
その日はヴィンセント先輩の考えた復讐について話し合った。
二足歩行の猫が恭しく料理を運んで来てくれたことも、料理が絶品だったのも印象的だったが、私にとってはヴィンセント先輩と同じ境遇だったこと、一緒の目的ができたことが死ぬほど嬉しかった。きっと私は今日この日のことを生涯忘れないだろう。
***
期末テストは支給された制服姿で、髪を三つ編みに、分厚い眼鏡をかけて受けた。私がずっと学院に来ていなかったことに対して、何か言ってくるクラスメイトはいなかった。普通にテストを受けて、実技もいつも通り地味に終わらせる。
ヴィンセント先輩と出会う前の日々は、こんな感じだったかと懐かしく思った。
テスト期間は退屈で、時間があるときは本を読むか、窓の外をぼんやり眺めていた。この姿でやることが一つ残っている。
レックスとの婚約破棄だ。書面でしっかりと破棄して貰わなければならない。
テストが終わった後、上級生のいる教室に向かおうと思っていた矢先、レックスが一年生の教室に駆け込んできた。私が出席しているのを確認するなり、一瞬だけ口端を吊り上げたのが視界に映り込んだ。
「シンシア! ようやく学院に来たんだね。俺との婚約破棄が嫌だからって逃げ回るのは、やめてくれ」
(今度はそう言う設定にしているのね……)
私が学院にいない――いや毎日、第十三区域の森にいるので欠席しているわけではないのだが、ここでそのことをばらすつもりはない。
すでにクラスメイトはレックスの話を信じ込んでいるのか、私に向ける視線は冷ややかなものだ。彼の望む設定に話を合わせて沈黙を貫いていると、一枚の羊皮紙を机の上に投げつけた。
「これは?」
「婚約破棄の書面だ。今すぐにサインをしてくれ。もちろん、俺の分は済ませてある」
「そう」
「君が俺のために魔法学院まで追いかけて来てくれたことは嬉しく思うが――だからと言って、俺や俺の大切な人たちに酷いことをするのはやめてくれ」
今度はどんな嘘を盛り込んだのだろうか。違うと言ったとしても、糾弾されるのは周囲の雰囲気からもわかる。ここに私の味方はいない。
それでも入学した当初の時とは違う。
今の私にはヴィンセント先輩がいるのだ。それだけで、この数十人の冷ややかな視線などどうとも思わない。
サインもすぐに終えた途端、羊皮紙に描かれていた紋章が浮かび上がり、受諾と共に燃えて灰となった。これで婚約は白紙に戻る。そしてその知らせは教会本部へと伝わる様になっているらしい。
「ああ、ようやく解放された! いいか金輪際、俺や俺の大切な《亜麻色の乙女》に関わるなよ!」
(ん? ライラって人の髪は、亜麻色だったっけ?)
眉を寄せる私に、レックスは何か勘違いしたのかさらに言葉を続けた。
「お前が突如魔法学院に編入してきた亜麻色の長い髪に、琥珀色の瞳の《亜麻色の乙女》にまで、酷い嫌がらせをしているのは知っている。そんなに俺と彼女が一緒に居るのが気に食わなかったのか?」
(んん? 私と同じ髪の人が編入してきたってこと? でも琥珀色の瞳って珍しいような)
「ヴィンセントじゃなくて、俺と一緒にいるのが楽しいと言ってくれた彼女に迷惑をかけたくないんだ。いいな、絶対に近づくなよ。これはその誓約書だ」
近づくもなにも話を整理すると、いつの間にか
ライラはどうしたのか。
そう思ったが、これはこれで有り難いので誓約書にもさらさらっとサインをした。「自分自身に近づくなとはこれいかに?」と思ったが、ある意味これでレックスが私に近づくことはできなくなる。
(ま、まあ、でも婚約破棄と接近禁止の書面をゲットできたから良かったわ)
そんなことを思いつつも、婚約破棄をしてまったく落ち込んでいない自分に少しだけ驚いていた。少なくともヴィンセント先輩と出会う前であれば凹んだし、涙で枕を濡らしただろう。
それに魔法学院に滞在する意義も失って、自信や周囲の視線や態度に人間不信になっていたと思う。
レックスが嘘を重ねれば重ねるほど、自分の首を絞めるのだが、それに言及するほど私はお人好しではない。
冷ややかで侮蔑に未知な視線に耐えた。
『復讐劇には下準備が必要なのだから』と、言っていたヴィンセント先輩のことを思い出し、口元が緩む。
(ここにヴィンセント先輩がいなくても、私の心を助けてくれる。本当に先輩はすごい)
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