楓②

 父の単身赴任先から帰ってきた翌日の講義。講師は災害を取り扱っていた。講師はその昔、南の島で起きた津波のことを話題に出した。


 バカンスに来ていた日本人も多くが巻き込まれ、その内2名が死亡した。生き残った人の中でも、いまだに精神疾患で苦しんでいる人もいる。


 3人組で、海外の災害対策に関して案をまとめ、発表をしろ、と講師が言った。


 教室がざわめいた。皆、面倒だな、というのが正直なところなのだろう。今は就活の真っ最中。それどころではないのだ。


 講師は何かプリントを配り出した。


「お前結局大学辞めて看護師目指すの?」授業中、結局授業に出席した暁斗が楓に言った。

「私そんなこと言ったっけ?別に、普通に就職するつもりだけど……」

「あー、そっちにしたわけね。お前はいいよな、父親人事部長だから余裕なんだろ?」


 楓は眉間に寄せた皺を見せまいと、唇をぎゅっと噛み締めた。あー確かに暁斗に昔そんなことを話したな。なんで、よりによって暁斗に話しちゃったんだろう。私はいつも人を選び間違える。


 隣で里香はぼーっと座っている。そういえば里香にも同じこと話したっけ。丸井商事の人事部長。その瞬間里香の目は輝いた。あの時里香は何を考えていたんだろう。


 楓は商社を目指していた。父の影響か、学科の友人たちからの影響か、わからない。色々なセミナーに顔を出したが、結局やりたいことなんてわからなかった。私はただ、幸せな家庭を持ちたいだけ。


 講師が配ったプリントは、課題用の3人組班をリストにしたものだった。楓は、里香、暁斗と同じ班だった。よりよってなんで、と楓は頭を抱えた。


 講義の残りの時間は課題の相談時間に当てられた。


「この島、家族で行ったことある」と里香が言った。

「その話、今関係なくね?」と暁斗がイライラしながら言うと、スマホを取り出して、何かをずっと書いていた。たぶん、インターン用のESだろう。「とにかくちゃちゃっと作ろうぜ」


「あのね」と里香が話を始めた。「私、中学の頃、同級生が亡くなっているの」


 突然、話を始めたと思ったら、止まらなくなるのは里香の癖だった。ねぇ里香今は課題をこなそうよ。楓は引き攣った顔を隠そうともせず、里香に見せつけた。


 暁斗のわかりやすいため息が、楓に焦燥感を与えた。どうしよう、私がこの空気をなんとかしなきゃいけない。


「さっき、授業で扱っていた、南の島での津波。巻き込まれた2人の死亡者のうち1人は、私の中学の同級生……」


「だから!お前さ、授業中なんだから、いい加減にしろって!」暁斗が突然声を荒げた。楓もドキッとした。里香はびっくりしたみたいに泣き出すと、走って教室の外へと出ていった。


 周りの人たちも驚いて、里香の方をちらりとみた。暁斗は大きなため息をついた。楓は、嘘でしょ、と思いながらも、一応里香を追って教室の外に出た。


 里香は廊下で佇んでいた。ハンカチを取り出すと、目頭にあて、止まらない涙をぐっと抑えた。


「大丈夫?」と楓は言った。

「ごめん、ちょっと同級生が亡くなった当時を思い出しちゃって」と里香。


 楓は拍子抜けした。てっきり、暁斗が大声を出したから泣き出したのかと思ったからだ。


「あのね、その子、津波に巻き込まれたんだけど、助かるかもしれなかったんだって。でも、向こうの医療機関はしっかりしてなかったから、間に合わなかった。訴えようとしたみたいだったんだけど、当時、その子のお父さんが丸井商事の役員で、その島と取引が始まろうとしていたところだったから断念したらしいの」


 里香、あなた今、何を言っているの?今、そういう時間じゃないでしょ?とにかく早く、教室に戻ろうよ。


「その子のお母様も、最近、当時の災害が原因で自殺した。だからね、私、丸井商事に入って、災害時でもサプライチェーンを維持できるように業務改革をしたいの。それが、同級生の弔いにもなると思うの」


 私は里香にムカついている。はっきりそう自覚した。わがままで、自己中で、空気を読めない里香に。でも私は暁斗みたいに、はっきりと意志を示すことはできない。


 あの時もそうだった。暁斗の彼女に、彼女と知らず色々と言ってしまった、と里香打ち明けられた時。私は、付き合ってることを言わなかった彼女が悪いよ、と一応里香をフォローした。でもどう考えても、里香の方が悪いよ。


 暁斗が怖い、と里香に相談された時もそうだ。里香が暁斗に告白するから悪いんだよ、と思った。自分のことを好きな人間のことなんで、見下すに決まってんじゃん。


「その話を就活ですればいいよ」


 楓が冷たく言うと、里香は驚いた顔をした。


「話のネタにするのは申し訳なくない?」と里香はポカンとして言った。「私ね、その子のお葬式に行かなかったの。今でも後悔している」


「中学生だから、人の死が怖いのは当然だよ」と楓はイライラしながら早口で言うと、時計をちらりと確認し、教室の中の様子を伺った。


「ううん、違う。お葬式に行ったら浮くと思ったの。だって当時の私は暗くて無口で、学校に友達なんて、まるでいなかったから。毎日つらかったけど、学校の廊下ですれ違うといつも私に笑顔を向けてくれた。彼女は唯一の救いだった」

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