綾乃③(綾乃編終わり)

「綾乃さん、暁斗に無理させないであげてください」と里香はグラスを机の上にゴンって鳴らすように置くと言った。


 里香の歓迎会のはずが、皆はしんと静まり返った。


「どうして私に言うの?」


 綾乃の不愉快は頂点に達した。それでも綾乃は自分のトレードマークの笑顔を武器にして、アイスピックで狙いを定めるように、鋭い声で里香に言った。


 里香はきつねにつままれたような顔でポカンと眺めた。まるで手応えのない反応だった。

「綾乃さんしか言える人いないじゃないですか」


 綾乃は胃がキリキリと痛んだ。これ飲む?とバイト仲間の1人が、まるで不愉快な緊張をゆるめるかように、里香にお酒を勧めた。


「あ、暁斗このあと合流できるって!」と高良が携帯を操作しながら言うと、帰り支度をはじめた。綾乃は高良に2度も窮地を救われた思いだった。


「里香ちゃん、家まで送ってあげるね」と綾乃は里香に怒りをぶつける渾身の笑顔で言った。里香はたちまち笑顔になった。綾乃は再び背筋の凍るような思いをした。


「今日は俺が出す。パチンコ当たったんだよね」と高良が言うと、財布から2万円を取り出した。

「あと、232円かな」


 里香は安っぽいジーンズ生地の鞄からガサゴソと何かを探し出すと、ボロボロの黄色の財布をだし、そこから、232円をぴったし取り出した。


 自分の歓迎会でなんでお金出してるんだろ、と綾乃は正直思ったが、まぁいっか、と思い、そのおかしな状況を見つめていた。


 高良が会計を済ましている時間、他のメンバーは、お店の外で待っていた。

「里香ちゃん、私に何か言いたいことあったんじゃないの?」と綾乃は言った。里香は頭の中を巡るように、空を見上げてうーん、と言った。

「いえ、話したいことは全部話しましたよ」

 やはり里香はまるで話が通じていない調子で言った。


 里香とは待ち合わせの駅前で解散した。里香は最後何か言いたげだったが、結局何も言わずに帰って行った。


「綾乃、大丈夫?」と高良が言った。

「うん」


 高良の一人暮らしの家で二次会が行われた。飲み会のあとはいつも決まって高良の家に行くことになっていた。高良は基本木曜日を除けばいつでもウェルカムだよ、と言っていた。きっと木曜はセフレとでも会う日なんだろう。


 綾乃は高良の家のソファに寝転がると、女って怖いね、とSNSに書き込んだ。それから、当てつけのように、SNSのプロフィール欄に、暁斗の名前を書き込んだ。そう私は暁斗のものであって、暁斗は私のものなの。


「おつかれっす」暁斗が高良の家にやってきた。

「ちょっと暁斗、携帯かして」

 綾乃は暁斗から携帯を奪うと、SNSを開き、プロフィール欄にあやの、と書き込んだ。ついでに、あやのだよ〜と呟いてみた。


 里香はそれから1ヶ月ほどでバイトをやめた。誰にも挨拶もせずにしれっと辞めていった。一番怒っていたのは高良だった。お世話になった人にくらい挨拶するのが普通だろ、と。綾乃は正直複雑だった。いなくなったのはありがたいけど、なんのために自分が教育していたのかさっぱりわからなくなった。あいつほんとなんなんだ。


 暁斗が里香の愚痴を言い出したのは一年後。何やら学科であるプロジェクトに取り組んでいるらしい。内容は聞いたけど難しすぎてよくわからなかった。

 

 暁斗から里香の名前が出るたびに、あいつのことを思い出す。綾乃は正直、もう里香のことを聞きたくなかった。たとえ記憶だけであっても、名前を聞くだけで、まるで目の前にいるかのように錯覚する。ほんと、いつまで経っても目障りだ。


 綾乃はだんだんと里香の愚痴ばかり言う暁斗がうざくなってきた。あーもう、里香に直接注意してやろうか、と思った時もあったが、話が通じる相手にも思えないし、何より会ったら、また胃がキリキリするだけに違いない。


 暁斗から逃げるように、里香は高良と浮気した。それが原因で暁斗とは別れた。


 ある日、最寄駅で里香を見かけた。里香は相変わらずダサかった。くしゃくしゃの髪、やすっぽい黒のダウンコート、ローファー。なぜか鞄だけが白のシャネル。


シャネル?


 綾乃は憎悪と羨望と嫉妬に満ちた感情に駆られた。

「こんにちは」

 綾乃は里香に声をかけた。里香は足を止めると、ゆっくりと顔を傾けた。それから、気まずそうにちょこんと頭を下げた後、通り過ぎてから何度も振り返った。


 しばらくすると、里香は綾乃のところへ戻ってきた。

「綾乃さん!」と里香は抑えきれないといわんばかりのくしゃくしゃの笑顔で言った。


 綾乃は内心、嘘だろ、と思った。私、あんたの悪口あれだけ書いたじゃん。見てないの?いや、見たけどこうなの?この子何考えているの。


「お久しぶりです、綾乃さん!髪切りました?」と里香。

「え、あ、うん」

「今度ランチ行きましょうよ!」と里香。

「あー、お店に来て」

 まるでホステスが言うようなことを自分の口から出ると思ってなかった。

 里香はランチのお誘いを断られたことにショックを受けたのか、みるみるうちに表情が曇った。


「わかりました!またお店に遊びに行きます!皆さんにもよろしくお伝えください!また飲みに行きたいです!」


 里香はまるでスキップするかのように家へと帰っていった。バイト代で買ったデパートコスメで塗りたくった綾乃の唇はカラカラに乾いていった。


 綾乃は恐る恐る里香のSNSをのぞいてみた。


ーブロックされています


 綾乃が見たのは里香のつぶやきではなく、里香からブロックされたことを告げる掲示のみだった。

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