涼香①
大きな邸宅に涼香はお呼ばれされていた。お手伝いさんが料理を運んでくるたびに、私はなぜ今ここにいるんだろう、と不思議に思った。目の前に座る貴婦人は、ナイフとフォークを上手に使い、ローストビーフをゆっくりと口元へと運んだ。涼香は見よう見まねで料理を食べた。
上京して丸井商事に入社しまだ1年も経っていない頃のこと。田舎出身の涼香は、まさしく都会の洗礼を受けていた。
「里香さんは、この間我が家を訪ねてくださいました。何年経ってもまりこのことを忘れずにいてくださったのです。弟も私も大変感謝しております。里香さんは、とっても心の優しい方です。そうでしょう?」
「え、ええ」涼香はその回答で精一杯だった。
里香は初めは誰とでも仲良くできそうな、ニコニコとしている元気な人だった。しかし、ある日突然、同期の集まりに姿を見せなくなり、なぜか涼香を避けるようになった。
当然同期も里香を心配しはじめた。皆、突然、里香が集まりにこなくなった理由を探し、思い思いに意見を述べた。しかし、その本心にはまるで辿り着いていない、と涼香は考えていた。
人狼で里香を騙したら嫌な顔をされた、とある同期は言っていたが、皆もう社会人の大人だ。同期の中で首席入社の里香が、そんな子供じみた理由で、仕事仲間を避けるようなへまはしないだろう。
お金持ちって言ったからでしょ?と誰かが言った。里香はお金がない、が口癖で、確かに涼香もそんな里香に対して嫌な顔をしたことがある。お金持ちキャラで行きなよ、なんて答えた気さえする。だってブランド物を持ち、海外旅行に行く里香は明らかにお金持ち。私の方がずっと家は貧乏だし、首席の里香は私より稼ぐに決まってる。確かに私は嫉妬していた。でもそんなことが理由で会社の同期である私を避けるようにまでなるだろうか。
違う理由に涼香は思いを巡らせた。何日も既読がつかない里香に対して、『社会人なんだから早く返信して』とチャットを送ったことがある。その時、『体調不良で』と里香から返信が来た。
『本当に体調不良なの?』
イライラした涼香はそうチャットを送り返した。次の日、新人研修中であるにも関わらず、会社を里香は休んだ。本当に体調不良だったのだ。焦った涼香は、チャットの送信を取り消した。その時、涼香は里香からの既読はまだついていないことを確認した。
間に合った
里香がチャットを見るのが遅い人でよかった、と涼香はほっと胸を撫で下ろした。だから、里香は私からの返信内容を知らないはずなのだ。
そんなに里香のこと気にしなくていいじゃん、と会社同期の彼氏が涼香に言った。薄情なやつだな、と涼香は思った。だって、彼氏は里香と私を天秤にかけ、私と付き合うことを決めたんじゃないか。当時私は、こいつと付き合うのが嫌で、里香の方に行ってくれって、あの手この手で押しつけたっけ。
なんにせよ、里香が集まりを避ける、というこの大事件を放っておくわけにはいかない。だって里香のご両親は、丸井商事の役員だし、里香は会長のお気に入りだ。
だから、人事の採用担当の人に飲み会の席で、里香が首席だったって聞いてから、「首席だって言ってましたよ」と伝え、里香を最大限立てたはずだった。それなのに、なぜ里香は私を避けるのか。別に里香と仲良くしたいとは思わないが、避けられるのは会社の人間としても、普通の人としても、本望ではない。
涼香は、佳子さんと日課のスイミングで出会った。佳子さんは50代くらいの女性だったが、体力がまるで衰えておらず、25mプールをクロールで楽々と行き来した。
「あらあなた丸井商事なの?なら里香ちゃんって知ってる?」
佳子さんにそう言われたことをきっかけに仲良くなり、お家へと招待された。
涼香は、他人の家に行くのは苦手だった。しかし、佳子さんは、丸井商事の会長の姉。断ることなどできるわけなかった。
お手伝いさんは食器を片付けると、紅茶とチーズケーキを出した。
「このケーキはまりこの好きだったものです」と佳子さん。佳子さんは、まりこ、という姪の話を先ほどから始めていた。
涼香は、フォークで切って、ケーキを一口食べた。濃厚なチーズが口の中で広がる。きっと高いんだろうな、と涼香は思った。
「あの日、私は、まりことその母親と3人で、南の島へとバカンスに行っておりました。父親、つまり私の弟は、仕事の都合であとで合流することになっていました」と佳子さんは語り始めた。
仲の良い家族。豪華な海外旅行。涼香はそう言った類の話が嫌いだった。
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