実瑠①
木曜日の夜にはアルバイトを入れず、歌舞伎町のホストクラブに行く。これは親友の里香にさえ話していない秘密だ。里香がうぶなのは知ってる。こんなところ来ていることを知られたら、何を思われるかわからない。
木曜日は、実瑠の担当が唯一店に出ている日だった。
「今日もありがとう」
茶髪で長身で塩顔イケメンの担当は、実瑠を一目見ると個室のvipルームを案内した。里香の父親は酒店を営んでいるオーナーで、ホストクラブとも提携をしていたからだった。
「お父さんには内緒ね、高良」と実瑠は言った。
「僕は別にただのバイトだから、君のお父さんと話すことなんてないけどね。言うならオーナーに言ってよ。あと、個室入るまで本名で呼ぶなって。なんのためにVIPルームを毎週木曜に開けてると思うんだよ」と高良は言った。
「はいはい、将来のオーナーさん」
「別に俺、死んだおやじの店継ぐために週一でバイトやってるわけじゃないからね?」
「じゃあ何のためにやってんの」と実瑠は笑った。
実瑠が席に着くと、高良はいつものように実瑠の酒瓶を持ってきた。
「今日は、リシャール・ヘネシーが飲みたい」と実瑠は言った。
「俺もちょうどそんな気分だった」高良もため息をついて言った。
ヘルプの子が、竜型の瓶いっぱいにウイスキーの入った、未開封のリシャール・ヘネシーを持ってきた。”現在”は世界に2つしかない、なんて限りなく嘘に近い営業トークを言いながら、高値であちこちに売り捌いてる代物だ。
2人はしばらく無言のまま、リシャール・ヘネシーをじっと見つめていた。
「やっぱりこれ、このまま持ち帰ってもいい?」
「いいけど高つくよ」
「大丈夫」あとでお金だけ父親に請求すればいい、と実瑠は思った。
「持ち帰ってどうするの?」と高良は聞いた。
「まりこにあげるの」
「そうか、まりこによろしくな。あいつ今日誕生日だろ」と高良は呟いた。
まりこは実瑠の小学校時代の友人だった。まりこは頭が良くて偏差値70を越える最難関の女子校に進学した。私は偏差値60くらいの共学校に落ち着いた。
実瑠は大学受験の時、いまだに払拭しきれていない過去を思い出して情緒不安定に陥り、国公立大学に落ちた。浪人をする気にもなれず、現在は、里香の大学と同じくらいの偏差値の私立大学に通っている。だから里香がまりこと同じ学校だと知った時は驚いた。里香がそんなに優秀な人だとは、初見ではわからなかったからだ。
まりこと高良が知り合いだと知ったのは、親の会社の提携店であるこのホストクラブで、担当の高良にまりこの話をした時だった。その時、高良は本名を明かしてくれた。実瑠はそれ以降、毎週木曜のホスト通いを止められなくなった。
バイト仲間の淳史からメールが届いていた。内容なんて推測がつく。実瑠は淳史と体の関係を持ってから、たまに夜に私にメールをよこすようになったのだ。実瑠はメールを無視した。
「じゃあ帰るね」と実瑠は言った。
「今日も早いね。普通はさ、こんなに高い金払ったら、アフターとか期待するもんだよ」高良はリシャール・ヘネシーを包みながら言った。
「高良とアフターするくらいなら、お店通さずに普通に会った方がいいじゃん。ここに来ることが私の目的みたいなもんなの」
「俺何もサービスしてないんだけど」
「いいの。それに、私あんたと寝るつもりなんて毛頭ない」
VIPルームを出ると、他の客がぽつりぽつりと訪れていた。木曜夜はさほど客がいない。それでも、どこかのテーブルではシャンパンタワーが行われ、どこかのテーブルではリシャールが頼まれる。若い女性が不相応な酒をその価値もよくわからないままに頼めば頼むほど、親の会社は売り上げを伸ばす。
真っ暗闇に浮かぶ目が眩みそうなほどの照明と大音量が、店の中の混沌を隠していた。
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