第2話 ライラック

 鼻にツンとくる匂いで目を覚ました。少年は見知らぬ家の天井を見上げている。ここはあの世ではないのか?体を起こそうとするが、力が入らない。しかも背中側の肌触りからして、誰かのベッドを拝借している。動きたいが動けない。まだ頭もはっきりしない。


 観念して動くのをやめた。しかしさっきから鼻につくこの匂いはなんだろう。今まで嗅いだことの無い匂い。考えるのも疲れる。


 すると、ドアをバン!と開ける音がした。トットットと何かが近づいてくる。身動きできない。ギュッと目をつぶった。

 顔に生温かい何かを感じて、次の瞬間、顔をベロベロ舐めはじめた。


 ううっとうめくと、


「起きてる?起きてるよね?ライラーック!おーきーたーよー!」


 わおーん!と何か吠える。犬?というか、今しゃべってなかった!?パチっと目を開けると、目の前に大きな白い犬が少年の上に乗っかっていた。目が合った犬は嬉々として少年の顔を舐める。


「や、やめて…食べ物じゃないよ…」


 力が出ないので声も小さい。すると


「ラース、退きなさい」


 犬の後ろから男の人の声がした。ラースと呼ばれた犬が少年の上から退くと、次にさっきの声の主が現れた。眼鏡をかけ、髪は白くて長く後ろで束ねている。決定的に自分と違うのは耳が尖っていた。


「ふん、ようやく目が覚めたか。5日も寝ていたのだ。早く私のベッドを返して欲しいのだが」


 抑揚の無い低い声で、少年を見る。少年は目を見開いたが、すぐに元に戻った。


「しょうがないでしょ。動けないんだから。でも早く元気になってほしいんだよねー。ボクと遊んでよ」


 と、ラースという犬は話す。


「あ、の」

「なんだ」

「なぜ僕はここに」


 か細い声で少年は問う。あの世にいってしまったと思ったからだ。男は近くの椅子に座り、


「ユグドラシルが保護しろと言ったからだ」


 簡単に答えた。

 ユグドラシル?誰だろう?


「ちゃんと言ってあげなよ。ユグドラシルっていうのは、今の君からは見えないけど外にあるでっかい木のことだよ。この大陸のどこからでも見える大樹。見たことあるでしょ?」


 ラースが代わりに詳しく答えた。少年の顔の近くに自分の顔を乗せて、フスフスしている。


「君がそのユグドラシルの根元に倒れていたから、ライラックが呼ばれて君を保護したってわけ」


 なるほどと思った。あの世ではなかった。


「それで、おまえはなぜあの場所にいた?普通の人間では入れない場所だ」


 ライラックが顔をしかめて少年を見る。何重にも結界が張ってあるからだ。


「母さんと父さんが言ってた。命が危なくなったらあの木を目指せって」

「なんだと」

「僕、お守りが壊れたから、大きな木を目指したんだ。途中で狼に襲われてお腹を引っかかれて怪我した。もう一度襲われそうになったとき、バチッ!って音がして…気がついたら倒れて動けなかった」


 ぼそぼそっと少年は話した。ライラックは考え込み、口を開いた。


「お前の親の名前は?」

「父さんはジン、母さんは…アイリス」


 ライラックは口元を手で覆い、ラースはえっ?えっ?と慌てた。どうしたんだろうと少年はそわそわしたが、次にライラックが話した言葉に、体が熱くなった。

 

「お前の母さんは、私の妹だ…」

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