第5話 アイリスの思い
ライラックは手の中にあるものを、ジッと見ていた。その砕けたものは、ナスタのお守りだった。
「ふーむ。見事に壊れてるわね」
世界樹に背を預けながらお守りを見ていたライラックの横から、ユグドラシルがひょこっと顔を出した。
「というか、わたしを背もたれ代わりにするなんて、あなたくらいのものよ」
と、ユグドラシルは腰に手を当てて、頬を膨らませている。
「それで、あの子は起きたんでしょう?どうだったの?」
ナスタの容体についてユグドラシルは聞いてくる。
「一応増血剤と栄養剤を飲ませた」
淡々とライラックは話す。
「うへっ。あれを飲ませたの…よく飲んだわね…」
と、家の方角の辺りから、ラースとナスタが歩いてくるのが見えた。ラースはユグドラシルを見つけると、まるでスキップをするように走ってきた。その後ろをナスタは追いかけて来る。
ベロベロベロ!
「だ、抱きついてくるのはいいけど、顔はやめてぇ!」
どうやらラースは気に入った人の顔を舐めるようだ。ユグドラシルはラースの口を手で抑える。それでも止まらない。
「ラース…ラース、早いよー」
ぜぇぜぇとナスタが息を整える。起き上がったばかりのナスタに、走るのはちょっときつい。
「ふぅ…あ、伯父さん…と誰?」
ラースに顔を舐められてばたつかせている少女が目に入った。
「ち、ちょっとライラック!ラースをなんとかしてぇ!」
ライラックは、ラースを引き剥がしユグドラシルの顔をハンカチで拭く。
「うへっ、あとで顔を洗わないと…」
「ユグドラシル、ボクの愛情、受け取らないっていうの!?」
「そういうわけじゃないけど…あら、やっと来たわね」
ナスタの姿を確認したユグドラシルは、頭からつま先までじっくり見た。ナスタはなんだか恥ずかしく感じた。
「昔のアイリスそっくりね。最初に見た時は黒いもやがあったから、じっくり見られなかったけど」
「あの、母さんを知ってるの?」
「当たり前でしょ。わたしはこの大樹だもの。2人が産まれた時も居たし、その前も、ずーっと昔の子たちも覚えてる」
ユグドラシルはニカッと笑う。一体いつから生きているんだろう。ナスタはふと思った。
「それにしても、アイリスのお守りが壊れるなんてね。よっぽどじゃないと壊れないはずなのに」
「ヒビが入ったのも最近だし、こんな形になったのは僕を守るために、壊れてしまったから」
ナスタはしゅんとした。母の形見でもあったから。
「アイリスとあなたの父親も思いを込めたものだったみたいね。わたしの枝も使ってあるから。アイリスはね、こういう守りに特化したエルフだったの」
ユグドラシルによると、母アイリスは防御の術に長けていたらしい。災いから身を守るよう願いを込めたそれらの防具は、普通のものより数段防御率が高い。エルフの間ではなかなか手に入らない特別なものだそうだ。
「エルフには、大人になった証としてわたしから、世界樹の枝を1本与えることにしてるの。その使い方は自分次第。そのまま持つも良し、加工するも良し。ただアイリスは自分のためじゃなく、ナスタのために使ったのね。1人よりも2人のほうが思いは強いし」
ふふっとユグドラシルは笑う。しかしその顔は寂しそうにも感じた。
「この守りはそう簡単に砕けたり、ヒビが入ったりするものじゃない。ユグドラシルもさっき言ったが、アイリスの術は強力だ。自分達がいなくなっても、おまえが成人するまで十分に守れるくらいには、効果が続くはずだった」
ナスタとユグドラシルを見ていたライラックは、疑問を口にした。
「と、いうことはだ。おまえにかけられていた呪いは、それ以上のものだ。残念ながらな」
「の、呪いなの?」
「ナスタを見つけたとき、体に黒いもやがかかっていたのよ。今はこの地の清浄な空気とライラックの魔法で抑えられているわ」
自分に呪いがかけられているなんて知らなかった。母さんや父さんは何も話してはくれなかったけど、僕の首から下げたお守りを毎日触っていたのは覚えている。2人とも、僕のことを考えてくれていたのか。
「ナスタにかけられた呪いってなんなの?」
ラースがナスタのそばに来て問う。僕も知りたい。ユグドラシルは顔をしかめながら
「ナスタにかけられた呪い、口にするのも嫌な呪い…としか言いようがないわ。話すのはもっとあなたが大きくなってから、で勘弁して」
そうユグドラシルは答えた。
「ただアイリスは、あなたの人生が輝くよう願っていたはずよ。どんな困難も乗り越えられるように。あなたの名前はそんな意味だから」
そう言ってナスタの頭をユグドラシルは優しく撫でた。
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