105 本(ブック)の少年と魔術師の手
ゆっくりと歩いてソフィーの部屋に戻るまで、ソフィーもセティも何も話さなかった。ソフィーはセティの様子を気にして歩幅を合わせながら、セティはケーキの箱に集中して、二人で並んで歩いていた。
部屋に戻って、セティは手にしたケーキの箱を不安そうにソフィーに差し出す。
「これは?」
「チョコレートケーキ」
ソフィーは受け取ると、箱をテーブルに乗せて開けてみる。チョコレートクリームの甘いにおいに、口元がわずかにほころんだ。
ソフィーのそんな表情を見て、セティは安心したように言葉を続けた。
「食べようと思って。その……二人で」
ソフィーは顔をあげて、セティを見てにっこりと笑う。
「ありがとう。じゃあ、早速食べましょうか」
テーブルにお皿を並べてケーキをそっと箱から出して乗せる。フォークを添える。一緒に飲むのはいつも通りに牛乳だ。マグカップに白い液体をたっぷり注ぐ。
用意を終えて、ソフィーがセティを見る。セティは瞬きをしてソフィーを見返す。
「あのね、セティ」
ソフィーは何か言いかけて、でもすぐにまた微笑んだ。
「ううん、あとで話す。今は、ケーキを食べましょう」
セティも、ソフィーに言いたいことがあったはずなのに、言葉はうまく出てこなかった。だから何も言わずにこくりと頷いた。
チョコレートクリームは甘く、二人の間にあった緊張をほぐしていった。ふわふわとしたスポンジの感触も、優しかった。
合間に牛乳を飲むのも、セティはとても気に入った。マグカップの口をつけた場所に、チョコレートクリームがくっつく。
「美味しいケーキね」
「デイジーに教えてもらったんだ」
「お礼言わなくちゃね。また彼女の店に買い物に行きましょう」
そんな穏やかなやり取りの間、ソフィーはセティを見ていた。そのことにセティはひどく安心した。セティと視線を交わして話をしていることが、とても嬉しかった。
そうして二人で時々顔をあげては、目を合わせて微笑みあって食べるチョコレートケーキは、とびきり甘くて美味しかった。
セティがケーキを食べ終えて牛乳を飲んでいる間に、ソフィーもケーキを食べ終えた。フォークを皿に戻して、真っ直ぐにセティを見る。
その雰囲気に、セティはマグカップをテーブルに戻して、口の周りをぐいと拭った。セティもまた、真っ直ぐにソフィーを見返した。
ソフィーは真面目な顔で、静かに口を開いた。
「ごめんなさい、セティ。あなたをないがしろにしていたつもりはなかったんだけど……でもわたしはサンキエムに──サンキエムの言葉に囚われすぎていた。ちゃんと、あなたを見れていなくて、ごめんなさい」
ソフィーの言葉に、セティは何度か瞬きをする。それから、反応に困って視線をうろうろさせて、そしてようやく唇を尖らせてソフィーを睨みあげた。
「そうだぞ。最強で特別な俺が一緒にいるんだから、ソフィーは大丈夫なんだ。だから、サンキエムの言うことなんて、気にすることないんだ」
ソフィーはふふっと柔らかく笑った。
「そうね。わたし、セティに
あまりに素直な感謝の言葉に、セティはまた何度か瞬きをする。素直に受け取るのはなんだか恥ずかしくて、また「ふん」と顔をそらしてしまう。
デイジーには甘えたら良いと言われたけれど、それはやっぱり出来そうにない。でも、セティは大事なことを思い出した。ソフィーはいつだって優しかったし、いつだって
「俺は……ソフィーが
「ありがとう、セティ。ちゃんと、セティのことも大事にするから」
「あ、当たり前だ! 俺は特別な
ぐいと顎をあげたまま、セティは胸を張ってみせる。
いつものようなそんなやり取りも落ち着かなくて、そわそわと視線をあちこち動かした後に、セティはそっとソフィーを見上げた。
「あ、あの……」
「なあに?」
デイジーみたいに「大好き」と言ったり、ぎゅっと抱きついたりするつもりはない。でも、セティは今、ソフィーの体温が欲しかった。前に手を握ったときの温かさ、頭を撫でられたときの優しさ、そんなものを感じたかった。
セティはそっと、ソフィーに向かって上半身を傾けると、自分の頭を差し出した。
「な、撫でても良いんだぞ、頭」
突然の申し出に、今度はソフィーが何度か瞬きをした。それから静かに微笑んで、右手を持ち上げてそっと、セティの頭に乗せる。
セティはその手の優しさに、口角が自然と上がるのを必死で誤魔化した。唇を引き結んで、不機嫌そうな顔をしてみせた。それでも、ソフィーの手は変わらずにセティの頭を撫でていた。
セティの真っ黒い髪を、ソフィーの指先が優しくくしけずる。
「ソフィーの手は、優しいし柔らかい。それに、あったかい」
セティの言葉に、ソフィーは目を細めて、より丁寧に頭を撫でた。セティは前髪の下からソフィーの表情を伺って、ほっとしたように言葉を続けた。
「リオンの手はもっと大きくて、ごつくて強くて、髪の毛をめちゃくちゃにするんだ」
セティが唇を尖らせる。その表情に、ソフィーはふふっと笑う。
「それで、じいさんは……じいさんの手は、しわくちゃで、骨ばってて、指輪が当たると痛くて……でも、あれが最後だったんだ」
セティは、アンブロワーズに閉じられる直前のことを思い出す。頭を撫でられたこと。知識を集めて成長しろと言われたこと。
そして最後に──。
(そうだ)
アンブロワーズは最後に、セティの頭を撫でながら「良い
セティはそっとソフィーを見る。ソフィーは楽しそうに、幸せそうに、微笑んでいる。目が合って、気恥ずかしくて慌てて目を伏せる。頭を撫でる手の感触が、よりくっきりと感じられる。
ソフィーの手はアンブロワーズの手とは全然違う。でも、セティにとって大事な
アンブロワーズの手に頭を撫でてもらうことはもうできない。でも、セティには新しい
ソフィーがアンブロワーズの言う「良い
第三部 本(ブック)の少年と魔術師の手 おわり
ブックワームは書架に潜る くれは @kurehaa
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