104 チョコレートケーキ

 クレムの父親の店の脇で、セティは膝を抱えて座り込んでいた。唇を尖らせて、明らかに不機嫌な表情だった。

 隣でクレムも座って、そばかすの顔をセティに向けていた。ちょっと困ったような表情で。


「本気じゃなかったんだ。そういうことを言いたかったわけでもなくて。でも、出てくって言っちゃったんだ。それで、ソフィーの部屋を出てきた」


 セティの説明は言葉足らずで、何があったのかはクレムにはよくわからなかった。それでもセティの態度と言葉の切れ端から、事態を想像してセティに話しかける。


「つまりさ、理由はよくわかんないけど、ソフィーさんと喧嘩して出てきちゃったってことか?」

「喧嘩……かどうかはわからない。ソフィーは俺のこと見てなかったし。だから、俺は気に入らなくて……」

「うーん」


 セティが膝を抱えた腕に顔を埋めるのを見て、クレムは腕を組んで考え込んだ。


「俺もさ、父ちゃんと喧嘩して家を飛び出したことあるけど、落ち着いてくると他に行く場所もないし、なんで喧嘩なんかしちゃったんだろうって思ったりして、結局家に帰ったんだよな。でもって、帰ったら父ちゃんとちゃんと話ができてさ。

 だからセティもさ、きっともうちょっとしたら落ち着いてソフィーさんのところに戻れると思うぜ。それまでここにいても良いからさ」


 セティは少しだけ顔をあげてクレムを見た。けれど視線が合うと、逃げるようにまた腕に顔を埋めた。


「戻りたくない」


 頑ななセティの言葉に、クレムは仕方ないかと溜息をついて、自分の経験上からのアドバイスをする。


「まあ、こういうのって時間が必要だからな。しばらくそうしてたら良いんじゃないか?」


 それに対してセティの反応はなかったけれど、クレムは気にした様子もなく壁に寄りかかった。


「あら、クレム! と、セティ?」


 通りかかったデイジーが、ぱっと顔を輝かせて二人を見たあと、うずくまっているセティを不思議そうに見下ろした。


「よ、デイジー」


 クレムが軽く挨拶すると、デイジーは枯れ草色のおさげ髪を揺らして首を傾けた。


「何かあったの?」

「あー……ソフィーさんと喧嘩したらしい。それで、戻りたくないんだってさ」

「大変!」


 デイジーは目を丸くして、表情に好奇心を滲ませた。それからセティを挟むようにクレムの反対側に腰を降ろした。クレムが眉を寄せる。


「お前、時間は大丈夫なのか?」

「大丈夫、配達終わったところだもん。今ちょうど帰り道だったの」


 デイジーはちょっと誇らしげに顎をあげてクレムを見てから、心配そうに眉を寄せてセティを見た。


「それで、どうして喧嘩したの? 仲直りはできそう?」

「お節介じゃないか? 喧嘩なんて時間が経てば落ち着いてなんとかなるって」

「あら、それじゃあ足りないときだってあるんだから! それに、時間がかかるより早く解決できた方がずっと良いでしょ?」


 青い目をくりくりとさせて、デイジーはクレムを見る。自分の両隣が急に賑やかになって、セティは少し顔をあげると、クレムとデイジーを順番に見た。

 セティが顔をあげたのを良いことに、デイジーはその顔を覗き込んだ。


「で、何が原因なの?」


 セティはしばらく唇を尖らせて黙っていたけれど、デイジーの視線に負けたのか、やがてぽつりと呟いた。


「ソフィーが、俺のこと見てくれないんだ」

「見てくれない?」


 瞬きをして、デイジーはセティに話の続きを促す。セティは落ち着かないように視線をうろうろとそらして、それから不貞腐れたような声を出した。


「俺以外のことばっかり気にしてる。さっきだって……俺が目の前にいるってのに、俺のこと見ないで、別のことばっかりで」

「つまり、セティは嫉妬してるのね、ソフィーさんがセティ以外のことを気にしてるってことに」

「は!? 嫉妬……!?」


 ずばりと言われて、セティはなんだか急に恥ずかしくなった。


「ち、違……そんなんじゃ……」


 慌てて否定してみせたけど、その言葉は弱々しくて、図星だと言っているようなものだった。


「そう? でも、セティはソフィーさんにもっと甘えたら良いんじゃないかな。セティが甘えたら、ソフィーさんだってセティのことちゃんと見ると思うし」

「あ、甘え……っ!? そんなこと、できるわけ……!」

「そうだよなあ、さすがに甘えるのは無理だろ、恥ずかしいよ」


 クレムもセティに加勢する。デイジーは不思議そうに首を傾けた。


「どうして? わたしは寂しいときはお母さんに甘えちゃうけどな。お母さん大好きってぎゅってするの」

「そんなのできるかっ!」

「デイジー、お前すごいよ」


 セティとクレムの反応に、デイジーはうふふと笑った。


「そりゃ、ソフィーさんはお母さんじゃないからそこまではできないと思うけど。でも、もうちょっと甘えてみたら良いと思うの、わたし」


 そして、ぴょんと立ち上がる。立ち上がると、くるりとセティを振り向いた。


「それで、素直に帰るのも大変なんでしょ、どうせ。だったら、ケーキを買って帰ったら良いと思う」

「ケーキ?」

「そ。クリームたっぷりの。で、一緒にケーキを食べて、ちょっと甘えて、めでたしめでたし。ね?」

「クリームたっぷり……」


 その言葉でセティはココアに乗っていたクリームを思い出す。パンケーキは途中で美味しく無くなってしまった。だったら改めて甘くて美味しいものを食べるのは良いかもしれない。

 ケーキというものも、気になる。食べてみたい。

 デイジーに続いて、セティも立ち上がった。


「わかった。ケーキ、買いに行く」


 それでデイジーの案内で、三人でケーキ屋に行った。セティは、チョコレートクリームがたっぷりのチョコレートケーキを二切れ買って、箱に入れてもらった。

 ケーキを倒さないようにそっと箱を運ぶのは、セティにとっては新種の興奮だった。ケーキを持って慎重に歩いているだけで、自分の苛立ちが収まってゆくような気もした。

 そうやって三人で歩いていると「セティ!」と名前を呼ばれた。顔をあげなくてもわかる。ソフィーの声だった。

 ソフィーはセティを探して駆け回っていたらしい。息を切らして、セティを見て、ほっとした顔になった。

 セティはどんな顔をすれば良いのかわからなくて、唇を曲げてしまった。片側からクレムに小突かれる。反対側からデイジーに「頑張ってね」と声をかけられる。

 クレムとデイジーにそっと送り出されて、セティはソフィーの前に立った。ソフィーは優しく首を傾けた。


「帰りましょう」


 素直になるのが恥ずかしくて、セティはそっぽを向いた。


「帰ってやっても良い」


 セティの態度に、けれどソフィーは柔らかく微笑んだ。

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