破滅
寝て起きたら葡萄農園が全焼していた。
そうとは知らないアリダは醸造所で顔を洗い、身支度を整える。昨日はピッピの手によって自室に運ばれたらしい。何やら外が騒々しく、男達の言い争う声が聞こえる。
「フラスト、お前の煙草が原因じゃないのか?」
ひどく棘のある言い方で、ピッピがフラストを糾弾していた。
「俺じゃねえって言ってるだろ!」
アリダが飛び出していって二人の言い争いを止めようとしたが、目の前を広がる焼け野原に声も出ない。
「この近辺にお前の煙草以外の火元があるか? あるなら言ってみろ!」
ピッピも混乱しているのだろう。泣きそうな声でひたすらフラストを掴みかかっている。
「昨夜は酔いつぶれて寝てたから……こんなところ来てねえし」
「なら、酔いどれて覚えてないんだな? どうしてくれるんだ、私の葡萄畑を……これじゃあ……」
これでは、廃業するしかないではないか。ピッピは現実を直視して、項垂れた。
「俺じゃねえよ……俺じゃない!」
フラストはピッピを払いのけた。
アリダには、そのままフラストがどこかへ行ってしまうような気がした。醸造所からワインを持ち出して追いかける。追いついた時フラストはアリダすら睨んで、しかしワインは受け取ってくれた。それを持って走り去る。
「私はフラストがやったんじゃないって信じてるからね!」
その言葉に返答はなかった。後姿がだんだんと小さくなる。
フラストを見送って、数日経った。
葡萄は誰かが意図的に燃やした跡がある。徹底的に焼き尽くされていて、もう実をつけることはありえないだろう。
連日沼にはまったように落ち込み続けて、自宅に引きこもるピッピを、アリダは心配して連日訪ねていた。
ピッピ! 落ち込まないで。ピッピ! 元気を出して。ワインがあるよ、一緒に売ろう。ねえ、ピッピ!
激しく叩かれる家の扉。
うるさい!
ピッピは引きこもっている家の中で、代々受け継いできた呪具を使用していた。古い道具だが、使い込まれていて強い魔力が宿る。ただの水晶に見えても、その価値は計り知れない。丁寧に手入れしてきたものだ。
その道具を使って、葡萄畑焼失の犯人を捜した。葡萄畑の焼け跡には、魔力を使用した形跡がある。その持ち主の強い怨恨の念を読み取った。
水晶に映るのは、アリダに渦を巻く黒い煙。憎悪だけではなく、愛情さえも巻き込んで彼女に執着している何者かがいる。
「アリダのせいだ……」
畑を燃やした犯人が誰か、それを知る前に、ピッピの恨む対象は決まった。
今も、玄関の扉を叩く音がする。
ピッピはアリダの使う魔法と正反対の呪術を使った。古い魔法だ。解き方は今ではピッピしか知らない。不幸になる魔法の対象に、アリダを選んだ。
「ピッピ!」
扉を開けたピッピは、アリダに魔法がかかったことを確認して、言った。
「帰ってくれ。もう顔も見たくないんだ」
アリダは自分の靴から、砕ける音がしたのに気付いた。
「お頭ぁ! やっと帰ってきてくれたんですね!」
「おう」
フラストは長年根城にしている海岸沿いの岩屋に戻った。黒く日焼けしたならず者連中が手放しでフラストを歓迎する。
(……戻るつもり、なかったんだけどな)
フラストは足を洗ったつもりだったのだ。しかし、足は自然と馴染みの場所へと帰ってきてしまった。
俺はどうせ盗賊だ。
ピッピにも言われた、ごろつきだと。その通りだ。それの何が悪い?
「おっ、それ手土産ですかい?」
フラストが手に持っているワインボトルに注目が集まる。
「いや……これは……」
ここ二か月ほどの努力と思い出の品だ。簡単に連中に差し出せる代物ではなかった。
「これは俺専用。お前らは安酒でも持って乾杯だ。フラスト様のお帰りだ!」
帰還を宣言した。これでまたまともな仕事から遠のいた。戻ってきてしまった。
場は盛り上がり、酔えるだけの安酒が飛び交う。フラストは久々に大声で笑った。こいつらと一緒にいる方が、あの生活よりずっと気楽で楽しいじゃないか。
一人、また一人と、眠りの世界に飛び立っていく中で、フラストは持ってきた手造りのワインを取り出して飲んでみた。
樽と葡萄の芳醇な香りが鼻を突き抜けていく。やたら美味い酒だ。
「……楽しかったなぁ」
ピッピに怒鳴られたこともあったが、合間合間にアリダと話したり、ピッピの差し入れの料理を楽しんだり。ピクニックに出かけたり。楽しかった。確かに楽しかったのだ。
最後には葡萄畑を燃やした犯人扱いをされてしまったけど、誤解を解ければまだあそこにいられたのだろうか。いや、自分にはもうまともな生活なんてできない。今回のことで思い知った。
盗賊辞められるかと思ったんだけどなぁ。本当に。儚い夢だった。アリダにも悪いことをした……今度、謝ったら、許してくれるだろうか? 友人として……でも、足洗うって約束守れなかったしなぁ。
ああ、本当に。
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