冬の訪れ

 黒色の調度品がぎょろりとリノを睨むような息苦しい部屋で、リノはレアルコと話をしていた。レアルコは意外と包容力がある。思考回路がイカレているので、大抵の物事は受け入れてくれる。

 リノの抱える愛と憎悪についても、レアルコは表面上では一番の理解者だった。本質的には、愛も憎悪も理解などできるはずもない。レアルコは壊れている。感情を理解できないからこそ、それに自分勝手な憧れを抱く。執着と愛憎の違いが全く理解できないのにも関わらず。いつも、笑って領民の話を聞く。どんな凄惨な話でも、リノの苦しみも、笑って聞く。

「多額の資金を融資して放置すれば自滅すると思ったんです。馬鹿だから。でも、上手くいきそうで、腹が立つ……」

 リノは死にかけの虫のように苦しんでいた。思い通りに事が進まない。地団太を踏んでもどうにもならない。

「ワインに毒でも入れようかな」

 名案が浮かんだ。出荷目前のワインに毒物を注入しておけば……何人か死人が出たらそれはとても楽しい。あの醸造所の三人のうち誰かが死んでも面白い。ただ、アリダには死んでほしくない。彼女にはもっと苦しんでもらわなければ。勝手に死なれては困るのだ。

 どうすればもっと彼女に苦痛を与えられる? どうすれば……。

 しかし、脳裏に浮かぶのは彼女の能天気な笑顔だ。

「レアルコなら、人を傷つけるならどうしますか?」

「えー、私人を傷つけたりしないからなぁ」

 レアルコは楽しそうにきゃらきゃら笑う。部屋の家具のいくつかは人間の生皮を剥いで作られている。皮を剥がれて、もう呻き声も上げなくなった人間もついでに飾られている。

「可哀想にねぇ」

 レアルコの口癖である。リノもアリダも、可哀想だ。こんなに苦しんで。特にアリダ、あの子は何もしていない。家族の罪を押し付けられている。まあ、平等だ。リノも弟を亡くして辛かったのだから。

 リノが毒の調達方法について思案していた時、「あと美味しいワインは私も飲みたい」とレアルコが言い、毒を混ぜるのは断念した。

 レアルコはアリダが気になってきた。リノがこれだけ苦戦する、風の加護とは? リノの憎悪を和らげ、悪い展開を回避し、愛情さえ持たせたその魔具と持ち主のアリダに興味がわいた。


 ワインが完成した。最後の工程は澱引きというもので、熟成させたワインの底にたまった不純物を取り除く作業だった。この後、さらにろ過をするワインも多くあるが、しないワインもある。アリダたちは、ワインの味わいを大切にして、無ろ過を選択した。

 完成したワインを次々ボトルに充填していく。樽一つ分が終わったら、この仕事はもう終わりだ。

 これで本当に完成したのか? アリダは焦りにも似た不安を覚える。呆気ない。

 しかしピッピは感極まったように拍手をしている。ありがとう、ありがとうと何度も言う。あんなに仲が悪かったのに、フラストの手を握って感謝の言葉を繰り返すものだからフラストも照れている。

 段々と実感の湧いてきたアリダが、勢いよく二人を抱きしめた。

「お前なぁ!」

「アハハハハ」

 フラストが注意して、ピッピが笑う。アリダも楽しくて笑った。

「ねえ、乾杯しようよ!」

 そう言ったのは下戸のアリダだった。驚く二人が大丈夫なのか、飲めるのかを何度か尋ねたが、アリダは大丈夫だと胸を張った。

「この醸造所の匂いにも慣れたし、一口くらいなら問題ないよ!」

「それなら……」

 アリダに押される形ではあったが、いくらかピッピも嬉しそうにワイングラスを取り出してくる。

 アリダにだけは味がわかる程度の少量で、ピッピとフラストはグラス一杯のワインを注いだ。

 このワインを今度は販路に乗せる必要がある。アリダはやる気が漲っていた。宣伝のためにも、味を知っておく必要がある。きっと上手く売り出してみせる。そして、成功報酬を受け取り、融資されたお金を返し、旅をしながらワインを売り歩こう。製造のイロハはピッピが掴んだ。あとは売るだけ。

「それじゃあ、ワイン完成を祝って」

 ピッピが杯を掲げる。軽く傾けて祝杯を挙げた。

 口に含むと、キレのいい酸味があり、ふくよかな香りが広がる。

「おめで……とう」

 アリダは空けたグラスをフラストに持たせ、その場に倒れこんだ。

 慌てたピッピが抱き起すと、くーくーと寝息を立てて、気持ちよく眠っている。

 アリダはいい夢を見た。全て良い方向に向かう夢だ。

 その日はフラストとピッピも酒を飲みかわし、酒瓶を抱いて寝た。酒にはアリダの無意識の魔法がかかっていた。真心、とでもいうものか。飲んだ人間の幸福を願うような魔法がかかっていた。だから三人はとても幸せな気持ちで夢の世界へと旅立っていった。


 その日の夜、リノは葡萄畑に火を放った。

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