視察
「ということで! この醸造所に融資してくれたリノに来てもらいました!」
「どうも」
リノは人当たりの良い笑みを浮かべた。美しい礼をする。
ピッピも、この男性なら信用していいのではないかと思ったほどだ。礼儀正しいし、丁寧に着こなす中流階級の衣服が似合っている。黒を基調に、控えめな装飾と地の良さが目立つ。
フラストだけがつまらなさそうに唇を尖らせている。アリダの馬鹿が一緒に暮らしてたって奴……。と、一人ごちる。
ふと、フラストはリノと目が合った。その目のあまりの温度の低さに、ゾッと心臓が縮み上がる気がする。
(……今のは?)
睨まれた、のだろうか。それにしては感情が無さ過ぎた。
(嫌な奴……)
フラストが感じた感情の名を言うならば、それは恐怖だった。
「今は葡萄を潰して、樽に移し入れる作業中なんですよ」
「そっか。順調みたいだね」
アリダはリノの腕に絡みついては離されている。人前だからね、とたしなめられていた。元々幼いところのあるアリダだが、いつにも増して子供らしい。まるでリノが保護者のようだ。大好きな人が来てくれて嬉しい! と尻尾をぶんぶん振っている犬の面倒を見る、保護者。
リノはピッピに声をかけた。
「この子から色々聞いてます。赤ワインを造るそうで。お好きですか?」
ピッピは落ち着いたその物言いに胸を撫で下ろす。
「ええ、まぁ。祝いの席なんかには、欠かせない物ですよね」
「わかります。白より赤の方が華やかな味わいで、祝いの席にはちょうどいいですよね。良いワインができるといいですね」
ピッピは目の前の男から魅了の魔法の気配を感じ取った。
魔法や呪術には詳しい。リノのこの力は、血によるものだと察しが付く。両親のどちらかが淫魔なのだろう。本人の意思による魅了ではないが、そんな物騒な魔法を巻き散らかすのは中々凶悪だ。自分の力をセーブする方法を知らない歳でもないだろうに、何が目的だろう。
ピッピがそう思った矢先、リノの腕にアリダが巻き付く。太陽に向くひまわりのような笑顔を彼に向ける。フラストが完全に不貞腐れた。
……ロリコンなのだろうか?
「良いワインができたら、リノにも送りますよ」
「ありがとう。楽しみにしてる、ピッピ」
リノはどこかアリダに似た人懐っこい笑みでピッピの肩をぽんぽんと叩いた。
「あの靴さえ無ければ……」
ここ魔族の統べる国では黒は高貴な色とされている。そんな黒を内装にふんだんに盛り込んだ、格式高い応接間にリノとレアルコはいた。
リノは頭を抱えている。酷い頭痛を抑えるように苦し気に顔を歪めて。
そんなリノの様子を見て、ここ一帯の領主、レアルコはクスクスと笑う。可哀想だね。苦しいんだね。その感情が、面白くて笑う。
リノは自分の苦痛の責任の全てを、アリダに押し付けていた。あの子のせいだ、あの女のせいで俺は。本来憎悪を向ける対象ではないことは、本人が一番目をそらしたい事実だった。
だが、他に恨みをぶつけやすい相手はいない。彼女が最も手を出しやすかった。それだけ。それだけのために、アリダに執着している。
可哀想にねぇ。レアルコの同情はアリダとリノ両方に向けられている。リノがアリダに抱いているのは既に恨みだけではないと知っていた。
「うぅ……」
ふいに、部屋の隅に置かれたケージからくぐもった呻き声が聞こえた。
「こら、お客さんが来てるんだから、静かにしてるように言っただろ?」
「ふぐ……」
「フグだって。可愛いね、リノ」
リノの目には、狭い正方形の檻の中に体を折りたたんで収まっている生き物がいた。口には猿轡が噛まされている。苦しそうな息をしながら、目を潤ませてこちらを見ている。……あぁ、悪趣味だ。
「可愛いですね」
しかし同調する。レアルコが求めている返事を返せば無難だ。火の粉は飛んでこない。
「今ハマってるんだよね、人間飼うの」
レアルコはウキウキと髪の毛に混ざったピンクと緑の細い触手二本をぱたぱた動かす。
「レアルコは慈悲深いお人だから、きっと大事に飼われてるのでしょうね」
「まぁね」
慈悲深い、と言うのは、本人談である。慈悲という心を知ろうとしていて、自分なりの慈悲を実行している。つまり自分は慈悲深い。そう思っているが、本人以外の誰も彼を慈悲深いだなどとは思ったこともない。倫理観がずれすぎている。それが下手に権力を握ったため、側近であるリノでさえ意見することができない。
そして周りに調子良く言われ、止める者のないまま暴走していく。明日は誰があの檻に入るのか。
「君の弟さんのことは残念だったね」
まあ、そんなことは今は関係ない。今はあの人間が「可愛がり」の標的だ。リノには関係のないことだ。それよりも、アリダだ。
あの靴さえ無ければ。あの、風の加護を宿した靴。
もし、そうなったら。自分はアリダに、何をするだろう?
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